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父はドM野郎:1

 父がドM野郎だと知ってしまった。  実の息子として放っておくべきか、協力してやるべきか、俺は今まさに分岐点にいると言っていい。    四十九日前に母が交通事故で亡くなった。    葬式の準備や相手から賠償金だか慰謝料だかを受け取るといった作業中は、まだ父も平気だった。  母が亡くなったことで発生した諸々の手続きをしている間は忙しく必死だからかいつもの父だった。    大体のことが片付いたその後に父は突然、リビングで泣き崩れた。  俺だって母の死は衝撃的なことだが、号泣としか言いようのない父の姿はショックだった。  厳格だと思っていた父の涙は、母の死よりも俺を動揺させる。それぐらい、父の姿がありえないものに感じた。    たまっていたらしい有給を使い、休み続ける父。  家に父がいることの違和感は俺の睡眠を浅くした。  寝つきが悪くベッドの上で寝返りを打ち続ける日々。    そして、号泣する父よりも、もっと恐ろしいものを見ることになる。  深夜、リビングに置かれた母の遺影の前で全裸でオナニーする父。  仏壇の前で行われる蛮行。  出来る男の見本のような父が晒す醜態は泣き顔よりも衝撃的で倒錯的だ。    母の名前を呼びながら泣きながらオナニーしている中年でも腹が出ているわけではない男前な父。  舌を突き出して獣のような咆哮をあげる父は母が生きていた頃はありえなかった見苦しい姿をさらしている。母の死が父をここまで壊してしまったのだろうか。異様としか言えない父の姿に俺は動揺を隠せなかったが、この時は見なかったことにした。    気を遣って翌日から俺は母が書きとめていたレシピを使って料理を作ることにした。  せめてもの慰めになればいいという息子心だ。    とりあえず簡単なオムライスを作ってみた。  結果、効果はてきめん。  感激の涙か悲しみの涙かよくわからないが、泣きながらオムライスを食べた父は翌日から会社に行くようになった。  ちゃんと社会復帰してくれた、めでたしめでだしなんて結末を期待するほど楽観していない。俺はあの父の奇行を甘く見ていない。    冷凍食品やスーパーの惣菜を駆使しながらお弁当を作りつつ、父を観察した。  すると父が母の死から立ち直ったわけではないのがわかった。    父はすでに母の写真の前でオナニーしないと生きていけない人間になっていた。  リビングでやっていないと思ったら書斎で母の写真に見せつけながらのアナニ―。  ケツの穴を指で広げて母に見てくださいと懇願している姿は、出来るパパで羨ましいと周囲に絶賛された男の面影はない。俺の知る厳しいながらに格好いい父はどこかに消えていた。    亡くなった母はどちらかといえば地味な見た目ですこし嫌味でわがままな性格だった。  イヤなものはイヤだと言うタイプなので、人間に対する好き嫌いが激しかった。  ご近所づきあいができないほど社交性に問題があるわけではない。けれど、父があまりにも理想の旦那、理想の父親像だったために周囲から微妙な扱いを受けていた。    父の見た目は、どちらかといえば派手というか華やかだ。    昔からよく父を見て、タワーマンションに住んでいるのかと俺に聞いてくる。高い時計をこれ見よがしに持っているわけでもないが、父は貧乏とは無縁に見えるらしい。雰囲気で成功者オーラを出す父は実際に出世している人なんだろう。そこそこ広い一軒家で暮らしていて、金銭的に不自由を感じたことがない。    完璧ではない母と完璧すぎる父だったが、二人は相思相愛といって間違いなかった。    父が出張でも仕事中でも母はよく父に電話でもメールでもSNSでも様々な媒体を使って連絡を入れていた。  その行動に母の独占欲は感じない。    今日の献立を父に伝えていると言いながら五分から十分ほどスマホを操作する母。愛情に満ちた顔というよりも暇つぶしにゲームをするような冷めた顔だった。    思い返すと息子である俺の前で緩んだ顔をしないようにしていただけかもしれない。  作業ゲームをしているような無表情になっていたのは照れ隠しの可能性だってある。  母は無駄に見栄を張る人だった。喜んだ顔を見せるのは恥ずかしいという感覚の人だ。    子供ながらに仕事が忙しくても父が母を愛しているのは感じていたし、母が父を気遣っていたのはわかっていた。  だからといって母の死で、ここまで父がおかしくなるとは、思わなかった。これはもう、心療内科に相談する案件だ。    俺は母を近所の評判から父に似合わない地味な女だと無意識に低く見ていたのかもしれない。  母は母なりに居なくなったら父を狂わせてしまうほどの人だったのだ。    反省から父が手を付けることのない母の遺品を整理したり、母が毎日していた家事をやってみる。母の残した料理のレシピをまとめなおしていると大雑把ながらに俺や父の好みにあわせた食事を作ってくれていたのがわかる。  なくなってみないと母の愛に気づけなかったことが恥ずかしい。苦労を見せない人だったのだ。    プリントアウトしていることも多かったレシピはパソコンの中にもあるだろう。  母はよくスマホやパソコンでレシピサイトを見ていた。  そう思ったのが悪かったのかもしれない。  あるいは母が導いた可能性もある。  なんだかんだで、父や俺を心配してくれる人だ。    

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