8 / 28

第7話【解放(前編)】

 十年以上抑圧していた欲望が、弾け飛ぶのは一瞬だった。 「は……っ、ぅ……ッ!」  真駒の手に、椎葉の手が添えられている。それは、手を握っているだなんて……生易しい状況ではなかった。  椎葉の呻き声が聞こえている筈なのに、真駒は意に介していない。  頭の中では、ただひたすらに……『駄目だ』と叫ぶ声が響く。  膝は事務所の床に付き、椎葉に馬乗りしている真駒は……情けないくらい、大粒の涙を流した。 (課長の、首……凄い……っ)  まるで憑りつかれたかのように、真駒は口角を上げる。  レジ袋を握っていた筈の手が、温かなものを握っていると気付いたのは、少し経ってからだ。  ――真駒の両手には、椎葉の美しい首が……握られていた。  手のひらには、ドクドクと脈打つ……椎葉の生きた証が、刻まれていく。  真駒の想像通り――想像以上に、椎葉の首は素晴らしかった。  匂い、手のひらへのフィット感、質感に温度……真駒は全神経で、椎葉の首を堪能する。 「ッ、ぁ……はッ」  力強く首を絞められている椎葉が、必死に真駒の手を離そうともがく。  それでも、真駒は力を緩めない。椎葉の着ているスーツが床の埃を纏おうと、椎葉の両手が必死に抵抗を続けようと……その首から、手を離せなかった。  恋焦がれていた首に触れた真駒は、興奮のあまり……鼻血を垂らす。流れ出た鼻血は、椎葉の整った顔に滴り落ち、赤く汚していく。  頭の片隅に残る罪悪感が、涙となってとめどなく溢れてくるのに……真駒は両手にある快楽を、手放すことができなかった。――その時だ。  ――椎葉の手が、真駒の手から……離れた。 「ッ!」  真駒は息を呑み、慌てて椎葉から手を離すと……勢いよく、尻餅をつく。 「ゲホッ! ハッ、はぁ……ッ!」  床に倒れ込んだまま、椎葉が忙しなく酸素を取り込もうと呼吸する。その様子を見て、真駒は自分が何をしてしまったのか……瞬時に理解した。 「ち、ちが……っ、これは……ッ」  椎葉の首には、真っ赤な指の痕が残っている。それは、真駒が力強く椎葉の首を絞めたという、揺るぎ無い証拠。  真駒は何度も首を横に振り、無実を証明しようとするも……言い逃れできる筈が、無かった。 「ちが、俺じゃ……だって、課長が……ッ!」  『力になるから、何でも言ってよ』……そう言ったのは、確かに椎葉だ。  けれど、殺人まがいなことをしてもいいという言葉では、ない。  真駒は乱暴に、目元と鼻をこする。ワイシャツが汚れてしまうことなんて、気にも留められない。  ――ただひたすらに、この場から立ち去りたかった。 「ご、ごめんなさい……ッ! あの、俺……す、すみませんッ!」  デスクから鞄を手に取り、床に落としてしまったレジ袋も拾い上げてから、真駒は社内を走り抜ける。  椎葉がどんな顔をしていたか、椎葉がどう思ったのか……そんなことを考える余裕が、真駒には無かった。  人の首を絞めた……その事実が、真駒を苦しめる。  ――けれどそれ以上に、真駒は下半身に集まった熱を、持て余してしまった。

ともだちにシェアしよう!