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第13話

    「――――」  ふわりふわりと浮上する意識。  意識が落ちる前にいた場所はお香と彩入の血のにおいでいっぱいだったが、そのにおいがしなかった。 「――もう、あの方は大丈夫なんですか」 「いいえ。緋采の――月雲の精神は完全に崩壊して……幼児帰りをしてしまいました」  聞き馴染みのある声と、初めて聞く声。 「月雲にも……、ただ無邪気でいられた頃があったのです。その歳の頃にまであの子の精神は逆行してしまいました」  後悔を滲ませたその声は震えているのか、掠れていた。  ――月雲。  そうだ、自分は。 「こうなるかもしれないと、わかっていたんです。でも、こうでもしないとあの子は一生伽藍の末弟を手放しはしなかったでしょう。あの子は、伽藍の末弟に番ができたことさえ許していないようでしたから……。もし、この先、伽藍の末弟が誰か伴侶を得ようものなら、あの子は相手を殺していたでしょう」 「――なぜ、斑鳩の当主は彩入さんにそこまで執着しているのですか」 「…………わからないんです」 「わからない?」 「ええ。……私も一度、訊いたことがあるのです。そのときの答えは「あいりだからだよ」……でした」 「――――」  蘇るのは、月雲がよく口にしていた、「わたしのかわいいあいり」という言葉。  可愛がってくれていた、それはわかっていた。あんな彩入を無視した行為をしてはいたが、それでも月雲は彩入を可愛がってくれていた。  彩入がメスではなくオスだとわかったときも「あいりはあいりだもの。わたしはあいりが可愛いよ」と言ってにこにこと笑っていた。  彩入にもわからなかった。どうしてそこまで月雲が彩入を可愛がり、彩入に執着したのか。その執着が恐ろしいものではあったが、その手を拒みきれなかった。彩入の意志で、拒むことはなかった。  月雲はどこか幼かった。彩入よりも遥かに歳が上だったが、幼子のようだった。  幼子のように「あいり、あいり」と真っ直ぐに彩入を呼ぶ声と、ほにゃりと笑う顔が、彩入には愛しかった。  自分よりも遥かに歳が上であったが、月雲を守り慈しんでやりたいと、思ったことがあった。 「……つくも……」  その思いに、偽りはなかったはずだった。    

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