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七、六月一二日

 普段の買い物は、近所の小さな商店や通販で済ませているが、それでも時々は街に出て買い物の一つもしたくなる。息抜き、のようなものだ。一応、土日祝日は基本的には休みという事にしているし、その日は町営バスに乗って、近くの、この柳瀬村よりは少し都会の(スーパーやドラッグストアが有る、というぐらいだが)街へ出かけた。  バスは一日三本なものだから、そうゆっくり買い物もしていられないが、それでも店を回って商品を選ぶというのはなかなか楽しい。地元では売っていない食品や雑貨を見たり実際購入したりしていると、すっかり時間が過ぎてしまっていた。  慌ててバス停に走ったけれど、調子に乗って買い過ぎたビニール袋がなかなかに厄介で、結局スピードも出せず、俺の目の前でバスは出発してしまった。ゼエゼエ肩で息をしながら、とりあえずバス停のベンチに荷物を置いて、時刻表を見る。ああ、何度確認しても、次のバスは五時間後の出発だ。  俺は途方に暮れていた。これから五時間この街で時間を潰すのか、それとも高くつくがタクシーで帰るか、この荷物を抱えてここで待ち続けるか……と考えていると、目の前に黒い高級車が止まった。  こんな田舎に珍しい、と思って見ていたら、運転席の窓から、佐久間さんが顔を出した。 「ああ、やっぱり先生だ。何となく似ているから、そうじゃないかと思って」 「あ、ああ、佐久間さん、こんにちは。佐久間さんもお買い物ですか?」 「ええ、まあそんなところです。……おや、先生、お帰りですか? 確かもうバスは……」 「あはは、そうなんです、目の前で出ちゃって……」  もし村に戻るだけなら、ご一緒にどうですか、私もこれから帰る所ですので。佐久間さんがそう言う。次期村長を狙っている佐久間さんと一緒に、車で二人きり。考えるととても危険な状態だけど、ここで断るのも不自然だし、第一あと五時間……と思うと、ありがたく乗せてもらうしかなかった。  街を出ると、少しづつ信号や民家が減り、森が増えて行く。またしばらく車を走らせて行けば、ついに信号は無くなり、道の左右には川と森が続き、時折民家が現れる程度へと変わる。そして車で一時間走ると、柳瀬村に戻る事になる。  見える景色も基本的には森、川、山で、大した話題にもならない。助手席に大人しく座りながら、なんとか話題を探す。 「佐久間さんは、どうして村長になろうと思ったんですか?」  前から気になっていた事を率直に聞いてみた。佐久間さんとは三二歳で同い年だ。けれど、佐久間さんは今年で村長六年目だと聞いているから、二六歳の若さで村長になったという事だ。それはすごい事だと思う。元々この村で佐久間家は有力者だったらしいから、素地はあったのかもしれないけど、そういう決断をするには、まだ早いと思うのだ。 「先生は、柳瀬村の事はお好きですか?」  聞き返された。ええ、それはもちろん、と大きく頷く。 「皆さん優しい人ばかりですし、自然も豊かで、穏やかで、いい所だと思います」 「私もあの村が好きですよ、先生。子供の頃から住んでいますから、先生よりきっと、ずっとずっと好きです。春は土手に菜の花が咲いて、夏は川で泳ぎ、秋はどんぐりを探して山道を、冬は積もる雪に飛び込んで遊んだものです。……私はね、先生。自分の故郷と共に、友人達の故郷を守りたかったんです。先生も御存じでしょう、この村が限界集落である事は」  柳瀬村には若者と子供が少ない。居たとしても、それは何かしら(由良君のように家から出ない、だとか)理由を持っている事も多い。住民のほとんどが高齢者という、言い方は悪いが、かなり廃れてしまった村ではある。商店街、というべきか、国道沿いに小さな店が軒を連ねている場所は有るが、そこも半数はシャッターが降りたままだ。 「あの村は龍神様と、先祖代々守り愛して来た村です。人が居なくなれば、畑は森に帰って、見る間に山と同じになってしまうでしょう。何百年も、御先祖様達はそれを防いできた。我々の代で終わらせてはいけない、と思いましてね。やはり故郷は特別な物ですよ、守る為なら何でもしよう、と、思いましてね……」 「そうなんですか……その、同い年なのに、すごいなって思いまして」 「皆さんの応援と、優秀なタヌキという補佐のおかげでここまでこれました。人を招いたり、工事をしたり、村は変わってしまったと嘆く方も、お怒りの声も頂きますが、そうでもしなければ守れない現実も有りますからね。だから」  佐久間さんは、ニッと自慢のイケメン顔を歪ませて言った。 「村長になる為なら、好きでも無い男と関係を持つことなど、容易いのですよ」  やっぱりこの村長に抱かれるのは嫌だ。そりゃ恩も有るし、柳瀬村を守りたいという気持ちには賛同出来る。出来るけど、いくらイケメンでも、ちょっとお断りしたい。  このままバレないで暮らせたらいいなあ、と切に願った。それからは何を話していたのか判らないが、いつの間にか村に戻っていて、ついでに家まで送ってくれた。いい人だ。いい人なんだが、なんだが。  家の前には伸幸さんが居た。昨日怒らせたお詫びと言って、せんべいを差し入れてくれた。気にしていませんよ、と言いながら、この人野草以外の物も食べているんだなあなんて考える。少し立ち話をしていると、妙に佐久間さんと伸幸さんが仲がいいのが気にかかった。尋ねてみると、同級生だという。 「伸幸とは小学生の頃からの付き合いでしてね。彼もまたこの村の為を思って、残ってくれたんですよ。彼にも夢なりなんなりあったろうに……」 「嫌だなよせって。俺はこの村から出たくなかっただけだよ、都会なんておっかなくて――」  そう言って照れくさそうに笑う伸幸さんは、なんだか俺の知らない彼で、なんとなく、なんとなくだけど、可愛かった。  そしてこれは憶測でしかないが、たぶん、佐久間さんが故郷を守りたいと思ったきっかけの友人の一人が、伸幸さんなんだろうなと思った。 「そうだ先生、一五日は村のお祭りなんです。是非先生も楽しんで行って下さいね」  佐久間さんが眩い笑顔でそう言いながら、手を握って来る。いい人だ。いい人なんだけど、やっぱり、俺はこの人に抱かれたくない。もちろん、と返事をして、お礼を言うと、診療所に戻って、大きな溜息を吐き出した。

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