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六、六月十一日

 その日の朝、いつも通りに起きて、診療室に向かい、長谷川のお爺ちゃんの診察の準備をしていると、机の側の小窓からトントンという音がした。はて、また猫がイタズラでもしているのか、と外を見てみると、一人の男が窓の下で蹲っていた。  上から見ても一瞬誰か判らなかったが、立派な体格や、茶色く染めた短髪を見てなんとなく察した。「伸幸(のぶゆき)さん……?」と名を呼ぶと、彼は顔を上げて、「しーっ」と小声で黙るように促してきた。  彼の名前は長谷川伸幸(はせがわのぶゆき)。顔立ちは優しげなんだが、今は蒼白だ。確か今年で三二、つまり俺と同い年。長谷川、という名の通り、長谷川のお爺ちゃんの孫に当たる。んだが、彼は少し変わった趣味を持っている。とにかく野草を食べまくるのだ。 「何が、しーっ、ですか。まだ変な物を食べたんじゃないでしょうね」  野草を食べる事自体に問題があるとは言わないが、彼は生まれつき少し胃腸が弱いらしく、食べられる野草を正しく判定しているにも関わらず、しょっちゅう腹が痛いと診療所に飛び込んでくる。何故そんなに野草にこだわるのか、前に聞いてみたが、これで村興しと思って、と言っていた。村興ししようとしている当人が食べてこれでは仕方がない。 「うん、いや、生で食べるのがいけないんだろうと、思って、はは、天ぷらにしてみたんだけど……だ、ダメだったみたいで、は、腹が……先生、どうにかしてほしいんだけど……」 「どうにかって……とにかく、中に入って下さいよ。診察しない事には、お薬だって出せないんですから」 「いや、俺はここで十分だよ先生、頼むよ」 「何言ってるんですか。いいから、入口からちゃんと入って……」 「あんなおっかない所、いけねえよ、先生……っ」 「おっかないって……」  理由を考えると、まあ思い当たる節はある。いつも通り、診療所の前には長谷川のお爺ちゃんが居るはずだ。もしかしたら、伸幸さんはお爺ちゃんが怖いのかもしれない。 「伸幸さん、お爺ちゃんが怖いんですか?」 「怖いなんてもんじゃない、先生は最近ここに来たから、知らないかもしれないけど、爺さんはこの村一番の宮大工の棟梁で、毎日怒るのが仕事かってぐらいの頑固爺……ぐああああ、せ、先生、頼むよ、何でもいいから薬を……っ」 「だ、だから言ってるでしょう、医者としては診察しないと薬は出せないって」 「あぁーっ、じゃあ、先生個人としてで……! とにかく、整腸剤を……っ! じ、爺さんが帰ったら、また改めて来るからっ」  頼むこの通り、と頭を下げられる。ここで押し問答をしても仕方無いし、大体伸幸さんが担ぎ込まれた時は全部ただの腹痛だった。それでも、万が一も有り得る。「必ず、後で来て下さいよ」と念を押して、医薬品ではない整腸剤をそっと渡してやった。 「あ、ありがとう、先生、俺、先生が好きだぜ」 「ああ、はい、そうですか、とにかく必ず……」 「判った判った、俺、帰る……っうううぅう」  伸幸さんは小さく呻きながら窓を離れて行った。しばらくして、「伸幸じゃないかね、何をして」「うわああああっ」みたいな声が聞こえたから、結局お爺ちゃんには見つかったようだった。  お爺ちゃんを診察室に入れると、「いや孫が失礼しましたな」とお爺ちゃんは笑って言った。それにしても、怖い頑固なお爺ちゃんだとは初耳だ。 「いえいえ。お爺ちゃん、宮大工だったんですって?」 「ええ、ええ、若い頃はですがな。この村の龍神様をお祭りしている神社もワシらが建て替えましたじゃ」 「へえ、すごいですね!」 「いやいや、この村は龍神様に守られているようなもんじゃから、それに精一杯答えようと、人が作った小さな家ですわ。ああそうじゃ。先生、今度龍神様のお祭りが有りますでな。是非見に行くといいですぞ」  俺個人としては、龍神様に対して、とんでもねえルール作りやがって、という気持ちしかないのだが、やはりこの村では特別な神様のようだ。判りました、行ってみますね、と笑顔で答えて、血圧計を取り出した。  待てど暮らせど、伸幸さんは帰って来なかった。  心配になって電話もかけてみたけれど、出ない。もしや万が一が有ったのではないか……と不安になって、昼過ぎに原付を走らせて、伸幸さんの家に向かった。  伸幸さんの家は長谷川のお爺ちゃんの家とは少し離れた所にある。山を挟んで向かいだ。昔はかなりの親族親戚の数だったらしく、長谷川家の分家がいくつかあって、その一つを管理しながら一人暮らしをしているのだ。万が一何か有った場合、家族にも気付かれない。  急ごうと思っていたのだけれど、伸幸さんの家に向かう狭い小道を原付で走っていたところ、何かとても青い物が目に入って、思わず原付を止めた。見ると、田圃の畔道に、青い衣を被ったお面の人間が立っている。魔法使いだ。  見ていると、彼もこちらに気付いたらしい。歩み寄って来た。キツネ君やタヌキに比べると、体格が大きい。少し威圧感がある魔法使いだった。 『なんだ、アンタ、確か医者か』 「あ、はい、橘です……」 『何か用か?』 「あ、いや、その、……不思議な格好をした人が見えたので、つい、止まってしまいました、はは……」  あまり親しみやすい魔法使いではないようだ。彼はしばらく黙ってから、『名乗り遅れた』と呟いた。 『俺はウシ。青のウシだ』 「ウシさん……ですか。ここで何をしてらしたんですか……?」  少し周りを見ても、田圃しか見えない。稲の様子でも見ていらしたんですか、と尋ねると、『そうだ』と彼は頷いた。 『ウシはこの村では農耕の守護者だからな。この村の豊作も不作も俺の責任だ。だからこそ田畑の見回りをしている。必要な助言を必要な人間に与えるためにな』 「へえ……大変ですね。魔法使いにはそれぞれお仕事が有るんですか」 『そうだ。例えばシカ様は龍神様との取次をしたり、神事を主催したり。最近はお隠れになっているが、テング様は風を操ってこの村を台風から守ったりな』 「そうなんですか……あ、……ちなみに、キツネ様は、どんな仕事を?」  そう尋ねてみると、ウシさんはまたしばらく黙った。 『……お前、急にキツネの事を聞いてどういうつもりだ?』 「え、あ、いや……ほら、キツネとかタヌキって、お伽話でも、人を化かす悪い役が多いじゃないですか。そんな彼らがどんな役割を持っているのかな、……と……」  ウシさんがこうして日中に仕事をしているなら、キツネ君もしているんだろうか、という好奇心から聞いてしまったが、これではキツネ君に特別な関心を寄せているように聞こえるじゃないか。俺は後悔していたが、咄嗟にタヌキの名も出す事で、上手く誤魔化せたろうか。様子を窺っていると、ウシさんは『そうだな』と小さく頷いた。 『タヌキもキツネも同じだよ、奴らは化ける。タヌキはこの村の長を補佐する。あらゆる姿、あらゆる形でた。時には添い遂げる。そういう定めだ。キツネは……キツネは化ける。ただそれだけだ』 「え、それだけって……お仕事は?」 『キツネに仕事は無い。唯一与えられたのは、御子を知る権利と、それを御子に教える義務だけだ。キツネはこの村では最も弱く、また最も不必要な存在だ。出来る事と言えば変化する事、それに誰にも気付かれない事、それぐらいのか弱い奴だよ。……だから、他の魔法使いが守ってやらなければいけない』  今は俺がそれをしている。ウシさんはそう言った。じゃあ、貴方とキツネ様は協力関係なんですね、と言うと、彼はまたまたしばらく黙って、『そうだ』と頷いた。どうも喋る前に考える人のようだ。 『何故そんな事に興味を持つ? 他所から来た街医者には関係無いだろう』 「いや、その……ここに来て一年ですけど、魔法使いが実際に働いてるところを見るのは、村長さんに着いて来たタヌキさんと、貴方だけなので……ちょっと興味が」  ははは、と笑うと、ウシさんは『そうか』と頷いて、『ならばもう用は無いな、何処へなりと行け』と背を向けてしまった。あまり親しみやすい人ではないようだ。失礼します、とお辞儀して、原付をまた走らせた。角を曲がる時にちらりとウシさんを見てみると、彼はこちらを見ていた。何か勘ぐられたかな……と思いつつ、伸幸さんの家に向かった。  夜。俺は少し機嫌が悪かった。キツネ君は部屋の隅に座って、いつものように黙ってテレビを見ている。  結局伸幸さんは家に居なかった。どうしたものか考えていると、近所のおばあちゃんが、のぶちゃんなら、普通に仕事に行ったよと教えてくれた。なので折角だから仕事場の工事現場まで行ってみると、伸幸さんは元気そうに、もうなんともないよと笑っていた。  ちゃんと後で来いって言ったでしょう、来ないなら連絡ぐらいよこして下さい、心配したんですよと言っても、判った判った先生は心配性だな、もうしばらく草は食べないよとヘラヘラするものだから、流石に面白くなかった。  人の身体は精密機械だ。考え抜かれた設計はしてあるが、それ故に故障が重なればそれだけで命取りになる。万が一、を考え、低い可能性を必ず見据える。それが医者の仕事でもある。心配性なんじゃない、あらゆる可能性はいつだってあるのが、事実なんだ。  はぁ、と溜息が出た。それでキツネ君も俺の方を見る。『何かございましたか』と尋ねるので、「いや」と首を振った。彼に愚痴っても仕方ない。 「そういえば、昼間にウシさんと会ったよ。君と協力関係なんだってね」 『ああ……そうですね。ウシ様にはよくして頂いております』  どうよくしてもらってるのか、について聞いてみると、キツネ君は魔法使いの中でも最弱なので、他の魔法使いの前に直接姿を見せるのが危険らしく、だからウシさんに間を持ってもらったり、誰かと会う時は護衛として同行してもらったりしているそうだ。じゃあ逆に、何故ウシさんとそんな協力関係になったのか、と尋ねると、少ししてから、判りませんと返事が有った。  当人に判らないとはどういう事なのか。聞いてみても、彼には彼なりの利が有るのでしょう、とそれだけ答える。ふうん、と頷いて、それで会話は一度途切れた。  少し気まずい時間が流れたので、何か話題は無いかなと考えて、キツネ君は変化が出来るというのを思い出した。 「君って、変化の術が使えるんだっけ。どんな姿にでもなれるの?」 『まあ……変化するものを知っていれば……』 「じゃあ、あの子になれたりする?」  ちょうどTVに映っていた、最近話題のアイドルの女の子を指差してみると、『お安いご用です』と言って、キツネ君はポフンと煙を出した。白い煙が晴れると、そこには話題のアイドルが座っていた。 「わあ、すごいね!」 「一応声も知っていればそこそこは……」 「ホントだ、声まで変わってる! すごいなあ、ちゃんと女の子の声じゃない」 「まあ……服の下までは、どうにもならなので、想像ですが……」 「……女の子の服の下を想像、とか、あんまり言わないほうがいいよキツネ君……」  そうですかね? とキツネ君はあまり気にしていない様子だ。それにしても、ぱっと見は完全に女の子だ。いつものキツネ君の体格とも明らかに違う。 「もしかして、本物のキツネにもなれたりするの?」 「それはもちろん」  キツネ君はそう頷いて、また煙を出した。今度は、キツネが床に座っている。よくテレビで見るあのキツネそのもので、俺はなんだか嬉しくなった。 「うわあ、本当にキツネだね! ちょっと触っていいかな」  キツネ状態では喋れないらしく、キツネ君は困ったように目をパチパチしていたが、我慢出来ずに触った。テレビで見たモフモフ具合がなかなか撫でても気持ち良い。野生のキツネは触ってはいけないというが、元が人間のキツネならたぶん大丈夫だろう。尻尾もモフモフだし、毛並みもなかなか触り心地がいい。ひとしきり撫でまわしていたら、最終的にキツネ君が腕の中から逃げ出した。 「あ、ご、ごめん、流石に嫌だったかな」  そう言うと、キツネ君はチラとこっちの顔を見て、それから目を反らしてまた煙を出した。元のお面の姿に戻ったようだ。 『も、もう、帰ります』 「あ、ほ、本当にごめんね、やたら触っちゃって……」 『いや、その、気にしてませんから、それでは……っ』  キツネ君はそう言い捨てて、家から出て行ってしまった。ああ、機嫌を損ねたかな、と頭をかいていると、床に何かが落ちているのに気付いた。  ああ、全くどういう事だろう。床には俺が楓君にあげた、クローバーのしおりが落ちていた。

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