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五、六月十日
今日は朝から大雨だ。ザァザァうるさい音で目が覚めたぐらいだから、相当な。
起きてしばらくすると、長谷川のお爺ちゃんから、今日は流石に行かないでおくと電話が有った。テレビも面白いですしな、今日はなんと江戸に怪盗三日月頭巾が出るんですじゃ、と言っていた。頭巾に三日月とかついてるのかな……などと想像しながら、でも見るとゲンナリしそうだからTVはつけなかった。
こんな雨だから患者も来ない。来てくれ、という電話はかかってくるかもしれないが。そういえば猫はどうしたろう……と縁側に近寄ると、白猫と三毛猫が仲良く、縁側で雨宿りをしていた。けれど、雨足が強過ぎて、濡れているようだ。
少し考えて、ここは自室だし……少しぐらい……と思った。窓を開けて、中に入れてやる。猫はしばらくおどおどしていたが、やがて部屋の中でくつろぎ始めた。暴れるわけでもないし、見た目によらず大人しくてよかった。ついでに、濡れていたのでタオルで体を拭いてやったが、嫌がりもせず、なすがままだ。
いやこの村の猫は頭がいいし、人慣れしてる。皆が優しいんだろうな、と考えると、なんだか嬉しくなって、猫を撫で回していたら、存外時間が経っていた。今日は往診に行く日だったのに、すっかり忘れていた。
流石に留守中に家の中に入れておくわけにもいかない。使ってなかった室外コンテナを横倒しに置き、雨宿り出来るスペースを縁側に用意し、猫には外に出てもらった。猫は少ししてコンテナの中に仲良く入って行く。夫婦なのかな、と思いながら、予定表を見る。楓君の所に行く予定が入っていた。
楓君、で思い出した。いそいそと自室の本棚を漁り、目当ての物を見つけると、それを持って診療所を出る。
雨はまだ降っていたが、予定はこなさなくてはいけない。今日は楓君の包帯を取る日だ。カッパを着て原付を走らせる。流石にこんな天気だと、外には人影も無い。視界が悪いから、そのほうがいいとも思った。事故でも起こしたら大変だ。
九条家に辿り着くと、文彦さんがビニール傘を持って出迎えてくれていた。とても親切な人だ。屋内に入ると、バスタオルも貸してくれた。カッパを着ていても結構濡れていたので、とてもありがたい。着替えますか、と言ってもらえたが、何か身体に御子の証でも有ったら困るので、遠慮しておいた。
一通り身体も拭いたところで、楓君の部屋に向かう。ノックをしてから入ると、彼は珍しく布団にはおらず、机に向かっていた。机の上にはパソコンと何か参考書のような物が置いてある。
「こんにちは、楓君。お勉強してたのかな?」
笑顔で挨拶してみると、楓君は「まあ」と小さく返事をして、布団に戻ってしまった。あまり詮索されたくないようなので、「邪魔してごめんね」と謝罪しつつ、左足を見せてもらう。
触っても動かしても、特に痛みも無いようだ。すっかり良くなっている。包帯を外して、「もう大丈夫だよ、今までよく頑張ったね」と言うと、楓君は少し考えてから、「お世話になりました」と小さな声で言って、頭を下げた。少し素直になったのか、どうなのか。
「これからも身体に気を付けてね。何か有ったら、遠慮無く呼んでもらえれば、来るから」
そう言うと、楓君はまた頭を下げる。それっきり会話が続かない。だが今日はここで終わるわけにはいかなかった。
「あ、そうそう。楓君、学校に通ってるんだよね」
「……まあ、通信ですけど……」
「勉強大変だよね、これ、俺が学生の頃に使ってたんだけど……」
そう言って、鞄から金属で出来たしおりを取り出した。四つ葉のクローバーをかたどった、真鍮(のような質感)のしおりだ。学生時代に兄からもらって、とても嬉しかった。勉強がここまで進んだ、としおりを挟んでは満足していたものだ。おかげで第一志望の大学にも入れたし、今はもう使っていないから、楓君にあげようと思ったのだ。
「しおり……ですか」
「うん、俺の勉強も捗ったし、目当ての大学にも入れたから、縁起はあると思うよ。もう俺は学生じゃなくなったし、楓君にあげるよ、……あ、迷惑じゃなければ、だけど……」
「……いいんですか」
「うんうん、このしおりだって、まだ使ってもらえる人の所に行く方が、幸せだろうしね」
楓君はしばらく考えて、「ありがとうございます」と小さな声で言って、しおりを受け取った。そこからまた会話が途切れたので、それじゃあまたね、と挨拶をして部屋を出ると、また文彦さんがお茶でもどうぞと呼び止める。まあしばらく来る事も無いだろうし、と了承する。
客間へ向かっている時に、廊下に人が立っている事に気付いた。
黒い髪の、痩せた青年だ。目は少し切れ長だったが、どこか楓君と雰囲気が似ている。顔立ちからして、たぶん年下ではあるが。黒いスーツに身を包んでいて、少し威圧感があった。文彦さんは彼に気付くと、慌てて頭を下げた。
「こ、これは櫟 坊っちゃん……!」
坊っちゃん、というからには、ここの子供なんだろう。つまり、楓君のお兄さんのどちらか、ではないか。名前も木に関連しているし。俺も「おじゃましています」と頭を下げた。櫟さんはややして、「久しぶりに来てみれば」と低い声を出した。
「文彦、どなただ?」
「あっ、は、はい、こちらは医者の橘様で……」
「ああ……余所者の医者が、何故ここに?」
「その、楓坊っちゃんが捻挫を……その治療で……」
「捻挫? 部屋から出もしないのに、器用な事だな。客人には早々に引き取って頂け。文彦、我が九条一族は余所者を歓迎しない。忘れたわけではないだろう」
不愉快そうに櫟さんがそう言う。ああ、本当に九条の人には嫌われているんだな、と改めて実感した。それにしても、弟が捻挫をしていたのに知らないだなんて、家族と疎遠というのは本当なのかもしれない。
「も、申し訳ございません、坊っちゃんが心配で……」
「アレは街の医者にでも診せればいい、余所者の世話になるなら外に行く方がマシだ。わざわざこんな山奥に来る医者なんぞ、信用なるものか。アレもアレだ。全く本当に役に立たない、一族の恥さらしめ」
あんまりな言い分だ。俺に対してもそうだが、楓君に対して。そう考えたのが顔に出たのか、櫟さんは「余所者」と低い声で言う。
「こういう狭くて小さな村ではな、血と恥を重んじるのは当然だ。そうやってこの村を守って来たのだから。アレに罪は無いかもしれないが、村の秩序を守るために、アレのようなものを許すわけにはいかない。そういうものだ。嫌だと思うなら村から出て行くんだな」
全く、こちとら御子も見つからずいらついているのに……。櫟さんはブツブツそんな事を言いながら、先に母屋を出て行った。
「……先生、すいません……」
「い、いえ、お気になさらず……」
「村長が決まってないとあって、まだチャンスが有ると九条一派も騒がしくて……少々ピリピリしていますから、悪い方ではないのですが、少し物言いが……」
「そういえば九条家は保守派……なんでしたっけ」
「ええ。少し前までは、九条家から村長は出てたんです。でも最近は、タヌキ様と組んだ佐久間家が独占していますから。このところの改革派の政治に苛立っている方は、それなりに居ましてね。この辺りで九条家が再び村長になって、実権を取り戻したいみたいで。それで坊っちゃんに対する風当たりもますます強くなって」
「……? どうして楓君に?」
首を傾げると、文彦さんは「そうか、先生はご存知有りませんでしたか」と困ったような顔をした。
「俺から聞いたって事はどうぞ内密にお願いします。実は坊っちゃんは、佐久間の血も引いていましてね……」
異母兄弟とか、隠し子とか、不倫とか。まあそんな噂も耳にはしていたが、事実と確認したのは初めてだった。楓君は佐久間家の女性と、九条家当主の間に出来てしまった子供、らしい。九条家が引き取る事になったが、そもそもこの二つの家は犬猿の仲。双方の家に愛される訳も無く、間に挟まれて居心地の悪い思いばかりして来たせいで、ついに家から出なくなってしまったらしい。
それでもなんとかなるのはこの家に金が有るからで。とはいえ将来の事を考えて、今は通信制の高校に通っている。捻挫をしたのはその通学途中に転んだとか。
そういう田舎の居心地の悪い感じを、俺は一切持って来なかった。俺は楓君の事は何も知らずに接した、それが楓君と文彦さんにとっては、とてもありがたかったらしい。
田舎ってのもなかなか難しいところだ。知らないで来た訳でもないが、やはり少々不条理だなと思わなくもない。こんな小さな村の確執で、子供が苦しむんだから。今は平成だ。人は一人一人自由で、平等だ。少なくともそう教わっている。たぶん楓君だって、この村から出れば、違う生き方も出来るんだろうが。事はそう簡単でも無い。まだ一六歳だし、家の後押し無しで社会に出るのは少し厳しいだろう。
楓君がキツネ君だとしたら、うちに来るのも判らなくはなかった。窮屈で居心地の悪い家から、息抜きに出ているのかもしれない。もう少し優しくしてあげようかな、と思う。
さて楓君は少々かわいそうだと判ったが、俺の現状も判った。どうやら佐久間家と九条家、どちらからも狙われているらしい。となれば、文彦さんも敵の可能性が有る。なるほど、寄る辺が無い。あんな親切な人まで信じられないとは、困ったものだ。今まではキツネ君だけは味方だと思っていたけれど、もし保守派に俺を売るつもりで、取引をしている真っ最中なら……、と考えると、全面的に信じる事も出来ない。
いやはや、人を信じられないというのも、なかなか嫌なものだ。早い所一か月が経って、この良い村の人々と今まで通り付き合いたい。
まあ、いかにといえども、男の医者をいきなり押し倒して犯したりする奴も、そうは居ないだろう。俺が余所者とあれば、風習を理解しないで警察に通報したりする可能性も有るんだから。
そういえば。調べようと思っていた事が有ったんだった。俺はその事を忘れないようにしながら、九条家を後にした。帰る頃には雨はすっかり上がっていたけれど、まだ空は雲に覆われている。家に戻ると、玄関にネズミの死体が転がっていた。
うわ、と思わず固まって、それからふいに庭に白猫が居るのを見つけた。こちらを見ている。雨宿りの御礼、っていう事だろうか。猫の恩返しなんて、お伽話じゃあるまいし……と思いつつ、この村の事だからなあ……と考えて、「あ、ありがとうね、でも俺はこれ、食べれないから……」と、猫に向かって言う。白猫は大きなあくびをして、庭から出て行った。
仕方なくネズミを片付けて、スマホを取り出す。そうそう、例のマポッターの動きを見なくては。
一二人の魔法使いが、お面の画像で登録されているSNSで、ポツポツ何かを呟いている。由良君が言っている通り、現れているのは五、六人で、しかもうるさいのは管理人のシカぐらいで、他の魔法使い達は静かなものだ。ついでにシカは魔法使いらしい事なんて何も言わずに、ずっと普通のSNSみたいな日常の呟きばかりを繰り返している。みたらし団子マジ旨い、とか。
御子の話題が上がらないか、とりあえず見ている。由良君がアプリを教えてくれた日に、動きが有ったからだ。
タヌキが『で、キツネはまだダンマリ決め込んでるんですか? いつもここでは饒舌なクセに』と呟いていたのだ。それに対してキツネ君の返事は無い。どうも、御子が決まった日からSNSにも顔を出していないようなのだ。キツネ君の呟きは、六月一日の『御子抽選なう』で終わっている。それ以前のログを見ると、そりゃあもうシカと同じぐらい、特に中身の無い呟きか、もしくは謎のポエムを連投していた。
『御子さん早く見つかってくれないかなー、毎日がめんどくさいー』とか呟いてるイヌとか、『非協力的な御子なのはもう判ってるから、大体誰か想像つく。さっさと手当たり次第に抱けばいいんじゃないか、佐久間は。それでお縄になって消えればいい』と無責任な事を言ってるネコとか。意外に賑わってはいるけれど、新しい情報は無さそうだ。
この調子なら、一か月なんとかなりそうだ。安心していると、窓辺で何か音がした。見ると、窓の外側に、煮干しが一匹置かれていた。
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