4 / 14

四、六月八日

 あれから一週間が経った。わざわざ現村長自ら赴いて来るんだから、きっと魔法使いの話も、村長選びの話も事実なんだろう。そう覚悟を決めて過ごしていた。  けれど、俺のまわりで変わった事は、特に起こらなかった。キツネ君が毎晩様子を見に来るようになったのは、変化ではあるけれど。そういえば、最近、庭にえらく体格のいい白猫が転がるようになった。それぐらいだ。数日は様子を見ていたんだけど、なんとなく小魚を分けてみたら、喜んで食べて、翌日には隣に三毛猫も来るようになった。  これはこの診療所が猫屋敷になる危険が……と警戒していたけれど、幸いそれ以上は増えなかった。ので、そっとしている。これ以上猫が増えたら、どうにかしなくてはいけないけれど。  ここしばらく村長云々の話も聞かなくなったと思っていたけど、どうやら皆、すぐに決まると思っていたらしい。一週間が経過すると、また話題に上るようになった。  もし俺が誰とも何もせずに一カ月が経過したらどうなるのか、キツネ君に聞いてみたところ、一カ月後に新しい御子が選ばれて、次の村長が決まるまで継続するだけなんだそうだ。それに伴って、仕事を果たせなかった託宣の魔法使いは交代になる、それだけ。なら別に、俺が誰かと肉体関係を持つ必要は無い。俺は出来る限り逃げさせてもらおう。  とはいえ、この村から出て行くのも不自然だし、それで御子だとバレたなら、村に非協力的だと思われて、どっちみち居場所は無くなるだろう。だから、疑われないように、大人しく、一ヵ月が過ぎるのを待つ事にした。  今朝は朝から大雨だ。それでも長谷川のお爺ちゃんは、六時にはうちに来ている。 「おはようございますじゃ、た、田中……田中……かく……」 「おはようございます、それはたぶん私よりずっと偉い人で、私は橘です、橘翼」 「お、おお、そうじゃったそうじゃった」  相変わらず名前は覚えてもらえない、というか、どんどん遠くなってる気がする。ともかく診察所を開いて、いつも通り血圧を測って、次の患者さんが来るまで、と世間話をしていると、「しかし今年のキツネ様はどうなさったんじゃろうの」とお爺ちゃんが呟く。 「キツネ様?」 「あぁ、魔法使いの名前じゃよ。キツネ面をしておって、真っ赤な衣装を着ておるんじゃが。あの方は魔法使いの中でも一番弱いので、いつも託宣の魔法使いとして御子が決まったら、他の魔法使いに誰がそうなのかを知らせておるらしいんじゃ」 「……えっ? キツネ様が、他の魔法使いに? じゃあ、御子はすぐ見つかるはずじゃないですか」 「そうじゃよ、いつもはそうなんじゃ。なのに、今年は一向に村長が決まらん。と言う事は、キツネ様が誰にも教えてない、という事じゃ。どうしたんじゃろうのう?」  お爺ちゃんが帰ってから、朝食を食べて、窓から外を見る。梅雨らしい黒い雲に覆われた空は薄暗いが、まだ雨は降っていないようだ。ぼうっと見上げたまま、考える。  キツネ君の正体は、楓君だ。  声が違うから、確信は無い。でもキツネというからには、変化の術的な物も使えるんじゃないか、と思う。その上で、赤い布からチラッと見えたのは、捻挫の治療のために巻いた包帯だろうし、彼が渡して来たお守り袋には、少し遠くの神社の名前が入っていて、お守りの内容は学業成就。ついでにその周辺には、最寄りの通信制高校がある。いやぁ、グーグル先生は偉大だ。何でも教えてくれる。  もちろん、あくまで状況証拠による推測だし、確証は無い。ただ、とにかくこの村は狭い。魔法使いがこの村の人間から選ばれるなら、知っている人間の可能性が高いし、しかもちょっとした共通点が見つかったとあれば、かなり確率は高くなるんじゃないか。  で、仮にキツネ君が楓君だとすると、判らない事が増える。九条家は俺を嫌っているし、楓君もそうかもしれない。文彦さんはあんな風に言っていたけれど、お世辞の可能性もある。実際、楓君の態度はつれない。無論、本当に素直になれない年頃なだけかもしれないけれど。  まあ一週間も経つのに、現村長に俺を売り渡さない理由が判らない。キツネ君はあれから毎日やってきて、俺の事をボンヤリ見て、それだけで帰って行く。何を考えているんだろう、あの子は。あとお屋敷を出ても大丈夫なのか、勉強しなくていいのか……。  などと考えていたら。 「ねェ、センセ」  と声をかけられた。  わあっ! と振り返ると、診察の椅子に腰かけて、由良君がスマホを弄っていた。 「前ビックリさせたから、悪いと思ってねぇ? 今日は気付くまで待ってようって思ったんだけどさァ、全然気付かないんだもんねェ。センセ、最近注意力散漫だよォ」 「いや、ごめんごめん、ちょっと考え事をね……」 「んま、いいけどねェ。こっちも面白い事になってたし」  由良君がスマホの画面をスクロールしながら言う。それ、なんのアプリ? と試しに聞いてみると、由良君がニンマリ笑う。 「これねェ、魔法使い専用SNS、マポッター」 「……」 「魔法使い一二人がユーザー登録して日々の呟きをするんだけどねェ。あ、もちろん僕は、閲覧してるだけだよォ」 「……それ、もうちょっと名前どうにかならなかったの……、ていうか! 何、魔法使い専用SNSって! この村の魔法使い、最先端行ってるんだね! むしろ用途が局所的過ぎるんだけど大丈夫なの!」  思わず色々つっこんでみたが、由良君はやっぱりニヤニヤしてるだけだ。 「アプリなんて、使う人が便利ならそれでいいんだよォ。これだって、魔法使い『白のシカ』が管理者登録してるから、たぶん彼が作ったんだろうねェ。まァ、一二人のうち、半分ぐらいしか呟いてないけど」 「……で、何が面白いんです?」  そっとスマホを覗き込んだが、人のスマホ画面は見にくい。「後でアプリのアドレス教えてあげるよォ」と由良君は笑って、「ようするに」とまた画面をスクロールした。 「タヌキが怒ってんのさ。今年は御子が見つからないプンプン! ってねェ。いつもポエムばっかり投下してくるキツネもダンマリ決め込んでるしねェ」 「ポエム……」  あのキツネ君が……ポエム……。色々想像しそうになったが、あんまり考えてると知り合いだとバレかねない。後で見せて、とお願いして、由良君の定期診察をする。  診察が終わって、次の患者も来なさそうなので、試しに彼に、今年は何故御子が見つからないのか、について聞いてみた。 「そりゃあ、理由が有るとすれば、色々有るんだろうけど。一番判りやすいのはさァ、今の村長が気に入らない、とかじゃないのかねェ」 「気に入らない……かぁ」 「今までのやり方で公開したら、現村長に食べられちゃうからねェ。あの人若いし、それに佐久間家って言ったらこの村でも結構大きい家でね、しかも改革派なわけ。味方も多いけど、敵も多いんじゃないのかなァ。保守派の七瀬、九条、二宮あたりはいい顔しないわけよ。ほら、今の村長はさ、色々やってるでしょ。センセを連れて来たのも、その一つだし、こんなド田舎に光ケーブルなんて引いちゃってさ。いやおかげで僕は好きなだけネトゲ出来るんだけどねェ? 昨日も徹夜しちゃったのは、つまり村長のせいなんだよぉ――」  確かに、山奥なのに携帯は通じるし、ネットは早いし、ここに来たばかりの頃にとても驚いた記憶がある。あれは今の村長がやった事なのか。おかげで田舎暮らしでも困ったりはしないが、確かにそこまで急進派なら、例えば昔ながらの静かな農村を望むご老人方には反対もされるかもしれない。 「やっぱり有るでしょ、閉鎖的な農村を守って行きたい、みたいなの。うちのチームもさぁ、古参が今のままじゃいけないってマスターに反抗して、メンバーの一部連れて脱退したりでさァ。色々有るのね。だから魔法使いの世界にも、色々有るんじゃない? そういう、わだかまり、みたいなの。ホラ、マポッターでもさ、いっつもタヌキとウシはケンカばっかりしてるし、ヘビなんかエロ呟きしかしないし……」  ま、僕には何もかも関係無いんだけどねェ。由良君はそう言っていた。  キツネ君の本心はどうなんだろう。彼は聞いても、あまり答えてくれない。その割に、時々やって来て、大人しく側に座っていたりする。それで『橘様は、こちらにいらっしゃる前は何をなさっていたのですか』などと、気まぐれに俺の事を尋ねてくるものだから、俺ものんびりと色々答えた。  前は大きな病院で内科医をしていたけど、向こうでの仕事はあまり好きでは無くて、それに職場で色々有ったのも重なって。そう言うと、『色々、とは?』と聞かれるから、まあ人が多ければ色々有るでしょう? と答える。すると、『そういうものですか』と返事をして、それで終わりだ。興味が有るんだか、無いんだか。  またしばらくすると、『このような田舎でお暇ではありませんか』と尋ねてくる。「まあ娯楽は少ないけど、今はインターネットも有るし。それに皆来てくれるから、昼間はそう暇でも無いですよ」と答えれば、また『そうですか』で終わりだ。一体なんなんだろう。そしてふと気付くと、居なくなっている。  よく判らない。よく判らないが、どうしようも無かった。

ともだちにシェアしよう!