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一〇、六月二九日

 しかしまあ、俺はとてもツイていたんだと思う。どうも怪しまれているのは最近村にやって来た外の人間だったらしい。そりゃそうだ。いつもと違ってキツネ君が公表しないなら、いつもと違う事が起こってるんだろう。つまり、今まで通り村の人間が選ばれたわけじゃない、と推測出来る。でもそれは、逆に困った事も引き起こすわけだ。  あれからタヌキだのイヌだの、魔法使いは何人かやって来たが、上手くボロを出さずにあしらえた。指輪を持っているか、身体に御子の証が無ければ、御子だという確証は持てない。裸を見せろと言えるような理由も無いし、変な事をしたら通報される危険が有る。そうすればこの村も終わりだ。変質者だらけの村だと思われるだろう。そんな事は避けなければならない。  とすると、彼らはあらかじめ御子に、この事を外部に漏らさないよう約束を取り付けてから犯す必要とか、そういうのが有る。言わなくたって、この村の事が嫌になって出て行く可能性も有る。そうなったら困るのは村の方だ。特に俺は、この村にやっと来た医者だから、怪しいぐらいでは手出しが出来ないんだろう。  だから今回の御子は見送って、村の人間が御子として選ばれるのを待った方がいいという話になった。ありがたい話だ。そのほうが俺も嬉しい。確かに今は俺もこの村の住人とはいえ、やっぱり好きでも無い男に抱かれるのは嫌だし、村の風習だからって簡単に諦められない所が有る。  そんなこんなで、皆が今回の御子を諦め始めている雰囲気がしていたから、キツネ君も少し安心した様子だった。彼は夕方から一時間ぐらい、俺の所に来ては、少しだけ話して帰って行った。俺も来るのが判っていたから、なんとなくいなり寿司なんかを冷蔵庫に忍ばせておいて、おやつにどうぞと出してみる。  するとキツネ君は、『ありがたいですし、とても食べたいですが、面が有っては』と困ったように言うのだ。外しちゃいなよ、と言うと、『そういうわけには』と慌てるので、「冗談だよ、お土産に持ってお帰りよ」と笑った。キツネ君は大層恥ずかしそうに、でもしっかりと、いなり寿司を持って帰った。  一緒に秘密を共有していると、なんとなく親近感も湧く物だ。キツネ君の事は相変わらずよく判らないが、少々可愛いとは思っている。色々とヌケている所が。後は、何事も無く残りの時間が過ぎてくれれば、本当に万々歳だった。  そんなこんなで日々は無事に過ぎて行ったのに、残り二日になった時、事件は起こった。  +  その日は、朝見た時には空に雲も無くて、俺は患者の予約が無い時間を狙って、原付で買い物に出かけた。梅雨とあって雨の日が続くから、多めに物を買って帰る。それが良くなかったかもしれない。店を出た時には、なんだか空が暗くなっていて、こりゃまずい、と急いで帰ろうとしたものの、間に合わず盛大に降られた。そりゃあもう、スコールか集中豪雨かゲリラ豪雨か。とてつもない土砂降りだった。  思わず、うわああああとか叫びながら診療所に戻る。室内に荷物を放りこんで、濡れてまずい物の無事を確認した。ビニール袋のおかげで買い物の荷物は無事そうだ。問題はカッパを着るヒマも無かった服の方で、すぐに服を脱ぎ、バスタオルを取り出す。酷いびしょ濡れだ。  すぐにシャワーを、と思っていると、診療所の入り口のドアが、ガリガリ音を立てる。何かと思って開けた途端、中に猫が二匹飛び込んできた。いつもの三毛と白猫がずぶ濡れである。 「あああ、君達まで、ほら、今拭くから……!」  慌ててバスタオルで拭いてやったが、完全に乾かす事は出来ない。これはドライヤーも当てたほうがいいか、と考える。そこで自分の身体も寒くなって来たのに気付いた。医者の不養生というか何と言うか、猫の事も心配だが、医者の俺が風邪を引くわけにもいかない。  猫には新しく綺麗なバスタオルをかぶせて、とりあえずシャワーを、と思って服のポケットを確認していると、ずぶ濡れのお守りが出て来た。  これは大変だ、楓君のお守りなのに、とすぐに中身を取り出す。中の紙も少し濡れていた。指輪も取り出して、机の上にタオルを敷き、脱水していると、診療所に人が飛びこんできた。慌てて指輪を手に握りこんで隠す。 「いやあー! すっごい雨だねえ、先生ー!」  入って来たのは濡れネズミになった伸幸さんだった。 「急に降って来たもんだからもうずぶ濡れだよー、先生、悪いんだけどちっと雨宿りさせてくれねえか」 「え、えぇ、大丈夫ですよ。今バスタオルを……」  バスタオルを持って来るついでに、軽く何かを羽織って、指輪を何処かに隠さないと……。そう思いつつ、奥に向かおうとしていると。 「あれ? 先生、その背中……」  と、伸幸さん。思わず「えっ?」と振り返った時には、すぐ側に彼が居て。  それで、伸幸さんが俺の背中に触れた瞬間。 「ぎょえぇええええ!!!」  叫び声を上げて、彼が吹っ飛んで行った。そのままガツンと机にぶつかって、尚も床でのたうちまわっている姿を見ながら、俺は青褪めていた。  俺は指輪を握っていた。触った伸幸さんが吹っ飛んだ。つまり、伸幸さんは魔法使いだ。俺はこんなガタイのいい魔法使いを見た事が無い。いやそもそも本物の魔法使いなんて見た事無いんだが。とにかく、問題は彼が”誰”なのか、だ。もしかしたら今まさに、絶体絶命のピンチなのかもしれない。 「……っててて、こ、こりゃ、効くわ……っ」  伸幸さんがヨロヨロと起き上がる。そんな彼に、恐る恐る尋ねた。 「の、伸幸さん、貴方、魔法使い……なんですか……? い、一体……魔法使いの、誰、なんです……?」  すると伸幸さんは俺の顔をじっと見つめた後で、ニカッと笑った。 「俺はシカだよ。白いシカさん」 「シカ……さん……」  キツネ君の言っていた事を思い出す。確かシカというと、村長選びにあまり興味が無いと言っていた。その事にほっと胸を撫で下ろす。少なくとも、伸幸さんは危険人物では無さそう、だ。たぶんだが。シカと言えば、マポッターの管理人でもあるはずだ。あのネーミングセンスは伸幸さんのものだったのか。 「いやーバレちまったかー。まぁ俺は魔力が強いし、バレてもあんまり問題は無いんだけどよ。にしても……背中に龍の模様が有ると思ったら、先生が御子だったなんてなあ。災難だったねえ」  ああ、やっぱり背中に印みたいなのが有るんだ。それも龍の模様と言ったら、ヤの字のつく人の刺青みたいじゃないか。不自然極まりない。今まで人前で脱ぐ事が無くて良かったなあ、と改めて思う。 「……はは……本当に、困ってしまいましたよ」 「今まで冷や冷やしてたろう、先生。この村のルールもよく判らないだろうしさ。でもあと二日、厳密に言えば一日ちょっとしたら先生は御子じゃなくなる。良かったなあ!」 「え、えぇ。キツネ君が全面的に協力してくれたので……」 「……ん? 先生、あのキツネが、協力したってのか?」 「え、ええ……何か、変なんですか?」 「……先生、こう言っちゃなんだが、キツネの事は信用しないほうが良いぜ?」 「え……どうしてです?」  首を傾げると、伸幸さんは今まで見た事が無いような、真剣な表情で言う。 「先生、俺は先生が好きだからさ、誰かに無理矢理犯されたりするのは嫌だ。だからあえて言わせてもらうが、魔法使いの面は、ある程度その人間の本質を表してるんだ。キツネは化かして悪さをするもんだ。神楽でも奴はトリックスターで、村の人間をからかって遊んでる。人を騙して翻弄するのが性分なんだよ。それに、アイツはいつもタヌキに御子を引き渡して、それで身の安全を守ってたんだ。協力するから攻撃しないでくれ、ってな。弱い奴なんだ、自分を守る為ならどんな事だってするハズさ。だから今回、御子である先生に協力して、まだ誰にも言ってない、ってのも、何か裏が有るんだと俺は見てる」 「……そんな、キツネ君は悪い子では……」 「先生、俺だってキツネを悪く言いたいわけじゃない、魔法使いの仲間だからな。でも、アイツは今までそういう事をして来たんだ。万が一って事を考えると、心配でよ。俺は先生に世話になってるから、出来るだけ協力したいんだ。もし何か困った事が有ったら、ほら、神社の側に小屋が有るんだが、アレは俺の領域だから安全だ。俺の許可無しに誰も入れない。だから、もし怪しい事が有ったら、逃げ込んで時間が過ぎるのを待てばいい。残りはたった一日なんだ。何をしたって逃げ切れば先生の勝ちだ。そうだろ?」  伸幸さんにはバスタオルを貸し、なんだかんだと話して、雨がやんだら彼は帰って行った。その夜は、伸幸さんが誰かを手引きするんじゃないかと警戒していたが、何事も起こらなかった。シカは村長選びに興味が無い。伸幸さんは俺に協力すると言っていた。だから、信じていいのかもしれない。  だとすると気になるのは、キツネ君の本心だ。彼は一体何を考えて、何をしているんだろう。  俺だって好きでも無い男に抱かれるのは嫌だ。佐久間さんがどんなに偉大なイケメン村長だろうと、また他の人達がどんなにいい人だろうと、そりゃ抱いてくれっていうならまだ受け入れられなくも……いやどうだろう。とにかく、こういう選び方はちょっとおかしいと思う。  今は平成だ。龍神様もルールの改正案の一つも出してくれたっていいと思う。時代が変わればルールが変わるのは当たり前だ。ネットが普及した今、ここは確かにド田舎では有るが、世界と繋がっているんだから、変な事はしないほうがいいに決まってる。  まあいい、とにかく明日には晴れて自由の身、今まで通りこの小さな村の医者として過ごせるのだ。とてもめでたい。だからこそ、どんな些細な引っ掛かりが有っても、身を守る為に逃げ出した方が良い。  そんな風に考え事ばかりしていから、かえって、二匹の猫がいつの間にか居なくなっていた事に、全く気付いていなかった。

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