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終章【選択・弐】露國の雄①

【選択・弐】  昏くて冷たい海の中、唯握り合った両手だけが互いの存在を知らしめた。 「ッ、中也!!」  太宰治は飛び起き、其処が海の中では無く酸素の存在する空間である事に気付く。途端に動悸は激しくなり汗が額に滲む。  華美過ぎぬ迄も高級感の漂う調度品が揃えられた部屋。其の場所に覚えは一切無かった。場所の特定が出来ない事から次は意識を自身へと向ける。包帯以外一糸纏わぬ姿に掛けられた毛布。誰かの手に拠って救助された事だけは容易に判断が出来た。 「気が付かれましたか?」  カチャリ、と陶器の重なる音に視線を向ければ気配を消した上で始めから死角を選んでいたフョードル・ドストエフスキーの姿が在った。 「魔人、」 「海に浮かぶ貴方を僕の所有する船で救助しました」  太宰が問いを口に出す間も無く、ドストエフスキーは回答を述べ、洋盃の中の紅茶を口に含む。  見返りも無くドストエフスキーが此の様な事をするとは考え難い。船という表現から恐らく今も未だ海の上に在り、着衣を奪われた状況では安易に逃げ出す事も儘ならない。 「……有り難う、とでも云っておけば佳いのかな」 「感謝の言葉はご自由に」  盃を受皿に重ね洋卓の上に置く。椅子から腰を上げるドストエフスキーの動きに視線を合わせ乍ら、毛布で躰を覆い隠し出来得る限り距離を取る。  太宰には一つ確認しなければならない事が有った。然し此の状況下で太宰が其れを問う事はドストエフスキーにも察しが付いており、距離を詰め乍ら薄く笑みを浮かべる。真っ先に其の事を訊きたくも、矜持が其れを赦さない。自分と同様、人前では取り乱した姿等決して見せまいとする太宰の頑固さには好感すら抱く事が出来る。  太宰を寝かせていた長椅子に手を着けば、明確に向けられる警戒心と嫌悪。其の感情がとても心地良く、堪え切れる限界迄顔を近付ける。 「僕の出した救助艇は一人乗りです」  ドストエフスキーの一言に太宰の瞳孔が収縮する。 「貴方の恋人は、貴方を救助艇に乗せる事を【選択】したのですよ」  ――コンナ、ハズデハ

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