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終章【選択・弐】露國の雄②

 選択肢は三つ有った。  ・二人が生き延びる路  ・片方が生き残る路  ・二人が共に死ぬ路  中原中也が太宰を生かし、自らが死を迎える結末等存在する筈が無かった。  太宰が死んだ後、独りで生きて居られないと告げた中也だ、逆も然り唯一人遺された太宰がどれ程の想いを抱くか推し量れない様な浅薄な男では無かった。 「救出料は私の躰かい?」  不思議と涙は流れなかった。  其れが当然というかの様に耳の裏から首筋へと唇を滑らせるドストエフスキーを諫める気力すらも無い程、心身共に疲弊していた。其の場凌ぎで胸元を押し返す手は容易に絡め取られ長椅子へと縫い付けられる。  拒まなかった、何一つ。元来自分は交接の類が好きなのだろう。だから国木田独歩との性欲処理にも抵抗は無かった。中島敦も、芥川龍之介も拒絶せず受け入れて仕舞った事から、結果的に中也を大きく傷付けた。 「貴方は雄を惹き付ける雌なのですから」  拒まぬ自分が悪いのか、抑々自ら求めた訳では無かった。ドストエフスキーはそんな太宰の資質を肯定し乍ら太宰の腿を持ち上げ手を滑らせる。  生きているだけで雄を惹き付ける花の蜜の様な存在、人は其れを魔性と呼ぶ。特定の相手を望む事が文不相応といえるものだった。拒絶の出来ない其の気性は必ず、大切に想う誰かを傷付けて仕舞うものなのだから。  両腿の裏を掴まれ左右に大きく開かされる。脚の間に在るドストエフスキーの躰。今此処でドストエフスキーを受け入れたとしても、傷付く者はもう居ない。  今迄と何も変わらない。其れでも―― 「……厭だ」  両腕を突き出し、顔を背ける。太宰からの明確な拒絶の意志表示だった。 「……チッ」  露骨な舌打ちが聞こえ、横目で見遣るとドストエフスキーは身を起こし爪を噛んでいた。  一度は諦めた様に見せた仕草も只の計略。決して速くはない動きに誤魔化される事は無く、伸ばされたドストエフスキーの諸手を太宰は互いの指を組ませる形で防ぐ。  両手こそ封じられたものの其れは太宰も同じ条件で、腕を張った儘顔だけを近付けて行くと、心から怪訝な表情を太宰は浮かべる。 「何故、僕は受け入れて貰えないのでしょうか?」  ――今迄は誰彼構わず抱かれて来た癖に。と云われているかの様で胸が抉られた。  其れ程広い訳でも無い船の一室、視線を巡らせれば唯一の出入り口である部屋の扉が見える。先程から扉の向こう側に感じる不穏な気配に気付かない訳では無かった。 「接唇だけでも……如何、でしょうか……?」 「御断りだよっ……!」  じりじりと両腕に体重を乗せて太宰へと迫るドストエフスキー。太宰も応戦するが上から覆い被られている分、利はドストエフスキーに有った。 「……交接に比べれば、接唇の方が気楽でしょう……?」  【気楽】と云ったドストエフスキーの一言に太宰は口角を吊り上げる。肌の何処に触れられようが構わない。所詮は排泄器官同士の粘膜接触に依る性欲処理。唯の行為には何一つ意味が無い。其の為だけに求められる躰ならば幾らでも呉れて遣る。  ――アイシテル。  唇は簡単に嘘を紡げる。其れでも唯一の肉体以外に――大切だ――と真実を告げる事の出来る場所だから。  接唇をするのは、言葉を遣う必要が無いから。安心させる為だけの言葉なんて必要が無い。 「御生憎様ッ……私は中也としか接唇をした事が無いのだよ」 「此れ迄も、此れからもね――」

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