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終章【選択・弐】露國の雄③
「ハハハーハハッ! ドス君の負け!」
軽快な高笑いと共に扉が開かれ、其処に立っていたのは明るい髪色をした若い青年。太宰は其の青年の事を知っていた。名はニコライ・ゴーゴリ、ドストエフスキーと同じ天人の五衰に属するテロリスト。
乾燥が完了した太宰の着衣を手に外套をひらめかせて室内へ踏み込むと、猫の首根を掴む様にドストエフスキーの襟を背後から掴み、太宰から引き剥がす。
「此れは君の忘れ物!」
再び外套を翻すと外套の中の黒い異空間から濡れ鼠状態の中也が現れ太宰の上に落ちる。
「痛でっ!」
「中也……!?」
「君を救助艇に乗せた後、自力で船迄泳ぎ着くなんて本当にタフネス!」
ドストエフスキーは嘘は云っていなかった。ただ中也の到着を告げていなかっただけだった。
しっとりと海水で濡れた中也の頭を手許の毛布で拭き乍ら、太宰は己の手が震えている事に気付いた。ぐしゃぐしゃになった毛布を更に引くと下半身が露わになりかけ、中也は太宰の手を掴んで其れを止める。
「俺は善いから、服着ろ太宰」
「……」
ゴーゴリが中也と共に落とした着衣の塊から襯衣を取って太宰に手渡す。太宰は手にした襯衣から再び下肢へと視線を落とすと自ら毛布を上げていき包帯の巻かれた両脚を露出していく。すかさず中也は太宰の頭を叩く。
「着ろっての」
「……」
毛布の裾を持って下腹部が見えないよう隠す中也。太宰は中也の反らした顔を覗き込むようにしてそっと唇を触れ合わせる。
「……ン、」
一度の接唇で満足したのか、太宰は直ぐに襯衣の袖に腕を通し始める。甲斐甲斐しく世話を焼くように襯衣の鈕を嵌めていき、顔が近付くと次は中也から太宰へと接唇する。先程よりも長く、唇の僅かな隙間から覗く舌先を悪戯に触れ合わせては直ぐに離れる。
「俺としか接唇して無ェっての、本当か?」
「……訊いてたの?」
「もう一回試させろよ」
「佳いよ、一回と云わず何度でも……」
「ストーップ! そろそろ鬱陶しい!」
二人だけの空間をゴーゴリの一言が打ち破る。我に返った太宰と中也が互いの手を取り合った儘声のする方向を見ると、首根を掴まれた儘のドストエフスキーと二人を静観するゴーゴリの姿が在った。
「……用は済みましたのでお二人共もう帰って頂けませんかね」
「用?」
ドストエフスキーがちらりとゴーゴリを見上げると、ゴーゴリはドストエフスキーから手を離し代わりに外套を翻し其の内側に広がる異空間を指し示す。
「準備が出来たのならば、御帰りは此方から!」
中也の無事が解った今、此の場所に長居する必要は無く、ドストエフスキーも興が削がれた様子で引き留める素振りを見せない。太宰は長椅子から立ち上がり下穿きと脚衣を着込むと革帯を留め身支度を整える。
「其の内に大きな見返りを要求されそうだね」
「太宰君の唇で佳いのですよ」
「ドス君そういう事云わない!」
「では貴方が接唇をして下さい」
「望む処!」
「「え?」」
ゴーゴリが放った言葉の真意を確認する暇も無く、翻した外套の内側が迫ってきたかと思えば次の瞬間、太宰と中也は崖の上の墓地に居た。
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