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終章【選択・弐】露國の雄④

「『躰は売っても、唇は恋人だけ』……なァんて昔の映画に有ったね」  二人が去った後の船室でゴーゴリはドストエフスキーの飲み掛けだった洋盃を指に掛ける。視線の先は太宰が眠って居た長椅子に腰を下ろすドストエフスキーへと向けられ、竟今しがた迄太宰が裸体を隠していた毛布を抱き締めていた。 「……其れ、地味に傷付く」  ドストエフスキーが太宰へ必要以上の興味を持っている事はゴーゴリも知っていた。  此処最近太宰の周辺で起こっていた悶着も、間謀からの報告で凡て把握していた。時を図ったかの様に船旅を提案し、其の割に横濱回遊に留まったのは初めから此れが狙いだったのかとゴーゴリは落胆せざるを得なかった。  太宰が絡むとドストエフスキーは其の方向しか見ない。其れがどれ程ゴーゴリの心を傷付ける行為であるのかすら理解しては居なかった。 「接唇して下さい」  毛布を両手に抱え込んだ儘、ドストエフスキーはゴーゴリへ視線を向ける。ドストエフスキーの唇の跡が残る洋盃の縁に唇を付け乍らゴーゴリは糸の様に目を細めて笑みを浮かべる。  ――接唇は気楽ダカラ?  胸の奥に黒い澱みがぐるぐると渦巻くのを感じる。ゴーゴリの理性を唯一留めているのは作られた笑顔。感情を露わにする人間等屹度彼は嫌いだろうと笑みの作る効果で自らを誤魔化す。 「何を怒っているのですか?」  両手に毛布を抱き締めた儘小首を傾げられれば、洋盃の取手を持つゴーゴリの手が震える。感情の儘に此の洋盃を床へと投げ付ければ少しは此の痛みも伝わるのだろうか。 「……貴方に嫉妬を抱かせる事で、貴方から愛されている事を実感出来ると云ったら怒りますか?」 「……ドス君?」  一瞬気を反らした其の直後だった。物音一つ立てずにドストエフスキーの顔がゴーゴリの目前に在った。畏れおののき身を引こうとした瞬間手を掴まれ、弾みで落とした洋盃が床で砕け散る。 「嫉妬の炎で蒼く燃ゆる貴方は普段以上に美しく愛おしいのですよ」  ゴーゴリは今、太宰が放った言葉の意味を理解した。  愛しているから、恥ずかしくて其の唇を塞いで仕舞いたくなる。  惚れた弱味に勘弁したゴーゴリは小さな溜息を吐いてから触れる程度にそっと唇を重ねる。  ――選択・弐【〆】

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