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みつ´
「幸甫?」
没頭して読んでいると、百晴に名前を呼ばれた。
「怒らないのか」
見上げてくる少し不安そうな目。
俺はノートを閉じて百晴に返した。
「……こんなことにまで文句言ってたら、きりがないだろ」
百晴が書いていたのは恋の歌だった。叙事的だからこそ、ファンタジーを思わせる歌詞だったが、完成度はかなりのものだ。世界観もいい。美しくて、はかない。
まるで彼そのもののようにさえ感じる歌だった。
「こうやって曲作りたいなら、電子オルガン買ってこようか」
「本当に怒らないのか」
心底驚いた、というように百晴が目を丸くする。
「俺をなんだと……。別にあんたが恋愛小説読もうがドラマ見ようが映画見ようが、口出ししなかっただろ。それと同じだよ」
趣味にまで口を出すつもりはない。それが外に出るようなものでないならなおさら。
この病気を進行させないよう、趣向や知能の発達も制限する治療が存在する。そうすることで、恋愛によって爆発的に増えるホルモンを抑えることができるようになるらしい。だが、そんなことは当然、どこかにゆがみが出る。
昔、教会に引き取られたあの子は、そういう種類の最先端治療を受けていたが、うまくいかず、情緒も不安定になり、最終的には親身になってくれた叔父に恋をして亡くなってしまった。
小学生低学年から中学年ほどで維持されるはずだった成長率で、十三歳だった彼女が急に二十歳ほどに成長してしまったのも、無理に成長を抑制した副作用的なものらしい。似た事例が最近の研究論文に書いてあった。
神父は、人格の形成などに必要な面においては、完全に百晴の自由にさせていた。だから、俺も何をしてでも長生きしてほしいと思いながら、そういうことに関しては口を出さないようにしていた。
実際にそうやって口を出さずにいて、今も百晴はここにいるのだから、今更、これ以上の何かを制限する必要なないと確信している。
「電子オルガンを買うなら、伴奏するから歌ってほしい」
ぽそっと百晴がつぶやく。
「え?」
「せっかく作った歌なわけだからさ、誰かにちゃんと歌ってほしいと思うのは普通じゃない? いや、頼れる幸甫が不幸にも音痴だとわかっている分、残念ではあるけどね……。幸甫が音痴でさえなければ本当に願ったり叶ったりなのにね……」
「なあ、オルガン買うの俺なんだけど? 百晴さん、喧嘩売ってます?」
腕を組んで問いかけると、百晴は何となくうれしそうに声を出して笑っていた。
元気でいいね、と。初めて教会で歌を披露した時、神父にはそうほめられ、まんざらでもなかった俺だが、隣で讃美歌を歌った百晴は容赦なく「音痴、直した方がいいよ」といつになく厳しい言葉を見舞ってきた。
あんなこと、百晴以外に言われていたら殴りかかっていただろうが、あの優しくて大好きな百晴に音痴と謗られたことがショックで、しばらくは神父にわがままを言って歌を習っていた。どれだけ歌っても下手くそで、それが悲しくて悔しくて、懺悔室近くの物陰でよく泣いたものだ。
あれだけ練習してうまくならなかったのは、逆に天賦の才と言えるだろう。俺もまあまあ諦めがついている。後は、俺のわがままと癇癪、無茶ぶりに根気強くつき合って稽古をつけてくれた神父が、それを心残りにしてその辺をさまよっていないことを祈るばかりだ。
俺はその日のうちにインターネットで電子オルガンを探し、少し値の張るいいものを購入した。
翌週にはうちにオルガンが来た。
シングルベッド。シンプルなタンス。魚がちゃんと生きている窓辺の水槽。部屋の片隅には首を振る扇風機。
ヘッドホンをつけた百晴は、そんなものが少ない自分の部屋の真ん中でオルガンを弾いている。傍らにはノートとペンが置かれていた。
俺が仕事から帰ってきたことにも気づかずにそうしている姿をしばらく眺めていた。
オルガンの到着から、すでに二カ月もの歳月が経っていた。
外は秋めき、夜は冷房をつけなくても過ごしやすくなってきている。
百晴は電子オルガンをいたく気に入って、日がな一日こうして曲を作っているようだった。
楽しそうにしている百晴を見るのは、俺にとっても幸せだった。
そうやってまた月日が過ぎて、俺に歌ってほしいと曲を持ってきたのはクリスマスのことだった。
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