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「腹減った。零、何食いたい?」
「温かいのがいいですね」
「じゃあ焼き肉にしよ。昨日響希に奢るって約束したじゃん」
「お前、勝負と約束を一まとめにするつもりだろ」
マンションを出た俺達は大通りに出てタクシーを拾い、繁華街へ向かった。三人揃って髪が濡れていて、なんだか気まずい。
「タン塩、食いたい」
「俺は上カルビがいいです。あと野菜もいっぱい食べたいかな」
翔宇と零が焼き肉話で盛り上がるのを尻目に、俺はさっきまでのことを思い出していた。
翔宇の体。匂い。体液の熱さ。中二の頃からずっと目を背けていた禁断の領域に、とうとう足を踏み入れてしまったような気がした。しかも、あっけないほど簡単に。
どちらかが更に踏み込めば、この先本当に一線を越えることだってあり得るかもしれない。さっきのあれは、それほど際どい行為だったのだ。翔宇は、何を思いながら俺に咥えさせたんだろう。
「……響希?」
「あ……?」
「大丈夫か、なんかボーッとしてるけど」
零と翔宇がこちらを見ている。俺は咳払いをしてから慌てて手を振った。
「大丈夫。ちょっと疲れただけだ」
「お前、今日仕事だったからな」
それから十五分後、タクシーを降りた俺達はとある焼き肉チェーン店に入った。広々とした座敷に通され、早速翔宇がメニューを開く。
「生二つとオレンジジュース。特上カルビ、特上ロース、タン塩!」
「それからカルビクッパ、玉子スープ、豚トロ、野菜の盛り合わせも」
「ライス三つ。そのうち二つは大盛り」
たちまちテーブルの上が皿で埋め尽くされ、俺達は声高に笑いながら遅めの夕食にありついた。
「今日は本当に楽しかったですよ。また遊んでくださいね」
零が焼き肉を頬張りながら言う。
「あたりめえだ。なにしろ俺は全然満足してねえからな」
翔宇がビールを呷り、不満げな顔で俺を見た。
「おいしいところは全部響希に持ってかれた気分。ていうかマジ欲求不満」
「零、ウチの店に移って来ればいいのに」
翔宇を無視して俺が言うと、零は困ったように笑いながら首を振った。
「俺、今の店もうちょっとでナンバーワンになれるんです。お客さんも応援してくれてるから、それまで頑張ろうって」
「ナンバーとかあるのか。面倒だな」
「ウチはナンバー付け禁止だもんな」
翔宇と顔を見合わせていると、零が続けた。
「本当は俺も二人のお店みたいに自由なとこがいいんですけど、スタッフにも世話になってるから期待に応えないと」
「世話になってるって?」
何気なく俺が問うと、零の顔が少しだけ赤くなったような気がした。
「たまに新規でいいお客さんがいると、こっそり俺につけてくれるんです」
「風紀じゃん、それ。他の奴らにバレたら大変だぞ」
翔宇が同業者の顔で口を尖らせる。
「零、そのスタッフと寝たのか?」
「ん。ていうか、ぶっちゃけ俺の彼氏なんですよ」
はぁ。
開いた口が塞がらなかった。
「スタッフと付き合うの絶対禁止だよな、普通は」
「付き合ってるっていうか、彼氏がスタッフになったっていうか」
しどろもどろになりながらも、零は照れ臭そうに笑っている。
「……ていうか、彼氏いるのに俺らと遊んでていいわけ?」
思わずそう質問すると、零は更に焦り出した。
「俺達、……あんまりセックスはしない仲なんです。付き合ってから一回しかしてないし。だからあいつは俺がこの仕事してても何も言わないわけで、ただ俺がナンバーワンになれるのを応援してくれてるっていうか……。だから、遊びでのセックスも仕事に反映できるならオッケーだって……」
煙草の煙を吐き、俺は黙り込んだ。
〝それって、付き合ってるって言えるのか?〟
言いかけたが、言えなかった。零も少しだけ寂しそうな顔をしている。
「ま、どっちにしろ他の奴らにバレないようにしろよ。最悪の場合は二人ともクビだからな」
翔宇は零の曇った表情に気付いているのかいないのか、持ち前のお気楽精神でそれを笑い飛ばした。
「クビになったら俺らの店に移ればいいだけの話だ。彼氏もまとめて面倒見てやるよ」
だから俺も、わざと明るく言ってやった。
「ただし、ウチに来たら贔屓は無しだけどな」
「無くても指名ガンガン取れますよ、俺なら!」
零も笑った。
また、遊んでくださいね。
零の言葉が頭の中で渦を巻いている。
「いい子だったろ」
帰りのタクシーの中、翔宇がぼそりと呟いた。
「売り専やらしとくのは勿体ないよな」
窓に翔宇の横顔が映っている。俺は黙ってそれに頷いた。
「こんな仕事してるくせに、すげえ無邪気で純粋なんだ、あいつ」
「……翔宇、酔ってんのか」
俺が訊いたのと同時に、翔宇が体を倒して俺の膝に頭を乗せてきた。俺もまた酔っているらしい。タクシーの中だが、それを止めようとしなかった。
「なぁ響希。俺、本気出したら零を救えると思う?」
「ん……」
「風俗あがらせて、まともな職に就かせて、まともな人生歩ませてやれると思う……?」
その先は言わないでほしい。
だけど、俺の願いは空しく砕け散った。
「放っておけないんだ。俺、零のこと守ってやりてえ。あいつのこと……好きなんだよ……」
分かってた。
零を見つめる翔宇の目に、何か特別な感情が交じっていたこと。だから俺は、わざわざあんな勝負を持ちかけたんだ。翔宇が零を抱いてる場面を目にする勇気がなかったから。そんなものを見るくらいなら、例え気乗りしなくても俺が零とヤッた方がましだったから。
翔宇の黒髪を撫でながら、俺は窓に視線を向けた。涙を堪えようとして無様な顔になった俺が、真っ黒なガラスに映っている。
「なぁ、響希……」
「できるよ。翔宇なら、できる」
窓の外を流れて行く色とりどりのネオンの光が、俺には花火に見えて仕方がなかった。
中二の夏休み。人々の歓声。目を輝かせて空を見上げる、思春期の翔宇。
俺の宝物が、静かに遠のいて行く。
「ありがと、響希……」
翔宇が眠ってしまったのを確認してから、俺は鼻を啜った。
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