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 それから約十分後、目的のホテルの前で車が停まった。 「じゃ、何かあったら連絡してね」 「行ってきます」  ホテルに入ってエレベーターで六階へ行き、六〇三号室の呼び鈴を鳴らす。すぐにドアが開いて、中から男が顔を覗かせた。想像していたよりもずっと若い男だった。 「Gラッシュから来ました流星です、よろしくお願いします」  丁寧に頭を下げると、男は笑って料金と一緒にジュースを持たせてくれた。 「ありがとうございます」  思わず苦笑しながら、手渡された缶ジュースに口を付ける――ふりをする。何が入っているか分からないものを飲む訳にはいかない。 「かっこいいなぁ、流星くん。サイトの画像通りでびっくりしたよ。背も高いし、スタイルもいいね」 「ありがとうございます。なんてお呼びしましょうか?」  営業スマイルを向けると、男の顔がポッと赤くなった。 「何でもいいの?」 「はい」 「じゃあ、ご主人様」 「いいですよご主人様」 「やったー」  無邪気に笑う男の顔があまりにも可愛らしくて、俺も釣られて笑ってしまった。俺と同い年か、少し年上だろうか。どことなく雰囲気が翔宇に似ている。 「じゃ、お風呂で体洗いましょうか、ご主人様」  店から支給された薬用のボディソープとうがい薬を取り出し、俺とご主人様は仲良く手を繋いで浴室に入った。 「脱がしますよ。万歳してください」 「はい」  体は、翔宇の方が引き締まってるな。股間のそれも、翔宇の方が……って、くだらないことを考えてる場合じゃない。集中しろ、馬鹿。 「洗ってもらうの好きですか? 気持ちいい?」 「いいね。流星くんの手、最高に気持ちいいよ」  泡に濡れた俺の手の中で、ご主人様が反応し始める。シャワーで流した後、浴室の床にしゃがみ込んで優しく咥えてやった。 「流星くん、ベッドでしよう」  頭を引き離され、俺はそれに同意して立ち上がった。 ご主人様の体をタオルで拭く、自分の体を拭く、バッグからローションとゴムを取り出す、ベッドにご主人様を寝かせる。いつも通りの手順だ。 「一緒に口でしていい?」 「いいですよ。俺が上に乗りましょうか」  ご主人様の顔を跨いで体を逆にさせ、こちらを向いて屹立しているそれを口に含む。それと同時に、彼も俺のモノを握って愛撫しだした。 「流星くん、何歳?」 「ん。二十一です……」 「俺と同じだ」  ということは、翔宇とも同じか。ほんの少しだけ、やる気が出てきた。 「んっ、ん……」 「ああ、すげえ。流星くん上手いね」  息を荒くさせながら、同い年のご主人様が俺のそれに舌を這わせる。だんだんと気持ちが高ぶってきて、俺は頬を赤くさせながら握り締めたそれを丁寧にしゃぶった。 たまに、ものすごく客が愛おしくなる時がある。本当の恋人みたいに思えてくる時がある。愛情なんて一切ないはずなのに、相手を悦ばせたくて仕方がなくなるのだ。見た目や年齢関係なく、ごくたまにそんな男が現れる。今日の彼もその類の客だった。 「……気持ちいい?」 「いいよ、流星……」 「………」  名前を呼ばれて我に返った。今の俺は流星で、響希じゃない。だからこの気持ちも、俺じゃなくて流星の気持ちなんだと強引に理解する。  流星を「演じて」いるはずなのに、流星の気持ちが「存在して」いる。おかしな話だ。 「なぁ、流星。挿れてもいい?」 「え……」  俺は思わず顔を上げて後ろを振り返った。 「駄目ですよ。俺はバックウケNGです」 「そうなの? 知らなかった」 「プロフに書いてあったと思いますけど……」  たまにこういうことを言ってくる客がいるから、そこまで狼狽もしないし怒ったりもしない。厄介なのは、「本当に知らなかった」と嘯く客だ。最悪の場合はプレイ途中でのチェンジや返金を要求してくる奴もいる。 「書いてあったかなぁ。写真で決めちゃったからな。本当にできないの?」 「ごめんね。次はウケできる子を予約してください」 「ちょっとだけ、試してみるのはどう? これで流星が良かったら、仕事の幅が広がって給料も増えると思うよ。そのために俺が手伝ってやるからさ」 「駄目ですよ。決まりは決まりなんですから」 「ふぅん、客にそういう態度とるんだ」  面倒な話になってきたぞ。心の中で溜息をつく。 「……俺に不満があるなら、他の子と代わってもらえるように店に頼みますけど」  すると、男の口調があからさまに変化した。 「俺はお前にやってもらいたいんだよ。金払っただろ、まだ一時間も経ってないのにどうすんだよ、俺のコレ」  どうやら流星の「想い」は、今回は外れだったらしい。こんな男に恋人感覚でサービスしていたなんて、情けなさすぎる。 「少しだけでいいからさ」  さっきまでご主人様だった男の指が俺の入り口に突き立てられ、背筋に鳥肌が立った。 「やめっ……」  間一髪でそれを回避し、そのまま男の体から降りる。俺の目はホテルの内線電話に向けられていた。 「怖がらなくていいよ。初めての子の相手するの慣れてるから、優しくしてやる」 「そういう問題じゃなくて……」  男の目を見て、直感的にやばいと思った。このままこの男と一緒にいたら無理矢理にやられてしまいそうな気がする。そうなったらなったで男には店から相応の報復がいくはずだが、やられてしまった俺の体は二度と元に戻らない。 「一回試しにやってみようよ」 「本当ごめんなさい。店に電話していいですか」 「……あーあ、つまんねえな。じゃあ払った金返してよ」  俺は内線電話の受話器を取り、フロントに店の人を呼んでもらうよう頼んだ。そうしながら鞄から金を取り出し、乱暴な手で男につき返す。自分の身を守れるならばこの際金なんてどうでも良かった。 「流星、最悪。ネットで書き込みしてやるからな」  服を着る俺の隣で男が悪態をついている。面倒臭い。消えて無くなればいいのに。 「どうしました?」  程なくしてやってきた奥田さんに事情を説明し、俺はやっとの思いで部屋を出ることができた。 安堵感が半端じゃない。ふらふらの足で廊下を歩き、エレベーターに乗り、外に出て待機していた車に乗り込んだ瞬間、思わず大きな溜息が出た。 「流星くん、気にするなよ。ああいう人たまにいるからさ」  ホテルから出てきた奥田さんが、運転席に乗り込みながら俺に向かって笑う。彼が言うには、四年も売り専の仕事をしていて今までこういったトラブルがなかったことの方が奇跡なのだそうだ。 「一応代わりの子行かせるけど、サービス途中だったし料金はちゃんと貰ってきたからね。キャンセル料だけで済ませろってごねられたけど、ウチの看板息子の体触っといて何言ってんだ、って感じだよ。流星くん本当に何もされてない?」 「大丈夫です」 「今日はこれからどうしようか? 店で待機する?」 「帰っていいですか。なんか色々、疲れちゃって」 「おっけ、分かった」  発進した車の中で携帯を開いた。翔宇のアドレスを選択し、これから帰る旨を伝える。 「いいことばっかりじゃないんだよね」  運転席で呟いた奥田さんの言葉が、俺の心臓に緩く突き刺さった。 本当にその通りだ。いいことばかりが続くなんてあり得ない。仕事もそうだし、もちろんプライベートも。全てにおいて、嫌なことは必ず起こる。  車がアパートの前で停まり、奥田さんに礼を言ってから降りた。 「じゃ、詩音くんにもよろしくね。本当に気にしちゃ駄目だよ。ポジティブ、ポジティブ」 「はい」  なんだか仕事とは別のことも励ましてもらっているような気分だった。

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