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七月二十一日、金曜日。午後九時四十分。
俺と翔宇は東京駅のホームにいた。
目の前には、荷物を持ってニコニコと笑っている零。
「お騒がせしました」
まず始めにそう言われ、俺と翔宇で思いきり零の頭を撫で回した。
それから電車が来るまで俺達はベンチに座って色々な話をした。出会った日のことや今後のこと、まだ見えない将来のこと。
零の瞳は最後に見た時と同じように輝いていた。これから歩む自分の道が楽しみで仕方ない、幸せになることを少しも疑っていない瞳だった。
「翔宇くんと響希くん、電撃引退だってね。超びっくりした」
「ああ……」
意味ありげに笑う零が俺の脇腹を肘でつつく。俺も負けじと笑みを浮かべ、零の左隣に座っている翔宇をちらりと見て言った。
「引退プラス電撃結婚だ」
「うわ、はっきり言われると妬けるなぁ。どうしよう俺、結婚祝い持ってきてないよ」
「お前のその笑顔が何よりの贈り物だよ」
「翔宇、気持ち悪い」
「なんだと」
零が売店で買ったチョコレートを頬張りながら笑う。
「でも、二人が引退したらみんな寂しがるだろうね」
「それは零もだろ」
「俺の場合は、理由が理由だったからね。陰性だったこと知らせた時は、全員から物凄い勢いで引き留められたけど」
「それだけ愛されてる証拠だ」
俺はつい先日開かれた自分達の送別会を思い出して頬を緩ませた。
奥田さんが一番泣いていたっけ。飲み会でよく利用していた居酒屋で、花束を抱いた俺と翔宇をボーイ仲間と店長やスタッフが囲み、全員で写真を撮ってもらった。それは今、結城さんから貰った腕時計の箱の隣に飾ってある。
その結城さんに引退を告げた時も、ちゃんと笑顔でさよならが言えた。最後に俺の頭を撫でてくれた結城さんの目は少しだけ涙に濡れていたけど、俺がこれから歩む新しい道を真剣に応援してくれた。しばらくの間会うことはないけど、十四年後の腕時計の約束は、俺と彼の中でこれからも生き続ける。
長いようで短かった。
流星と詩音の四年間の道は終わり、これからはずっと八坂響希と立川翔宇として生きてゆく。そう考えると少しだけ寂しいものがあるけど、俺は流星だった時の思い出を一生忘れないだろう。
俺と翔宇が人生で最も輝いていた時間だったかもしれない。嫌なこともたくさんあったし、決して人前で堂々と言えるような仕事じゃなかったけど、それ以上にたくさんの人との出会いを通して、俺も翔宇も自分たちなりに成長できたと思う。そして何より、零と出会えたのもこの仕事のお陰なのだ。
だから俺はこの四年間を大事に抱えて前を向く。
無駄な過去なんて一つもないんだ。
やがてホームに滑り込むようにして電車が入ってきた。
「あ。来た、来た。そろそろ行かないとだ」
入り口まで荷物を持ってやりながら、俺と翔宇は零の小さな背中を見つめる。
「ありがとうね。翔宇くん、響希くん」
「零、 元気でな」
「うん!」
ふと、零が照れた様子でポケットから何かを取り出した。
「これ、あげるよ」
受け取ったそれは、四つに折られた便箋だった。
「じゃあね、二人とも」
翔宇は鼻の頭を赤くして、今にも泣きそうになっている。
「帰った時は絶対二人に会いに行くよ。だから翔宇くん、また焼き肉奢ってね」
「任せろ!」
「響希くんは、これからも素直にね」
「わ、分かった!」
「バイバイ……」
ドアが閉まるその瞬間、零が目元を拭うのが見えた。だけどすぐに笑顔になり、走り出した電車の中で「またね」の形に口を動かす。
俺達は電車が見えなくなるまで、ずっと手を振っていた。
「ああ、俺達の天使が行っちまう……」
「翔宇走って追いかけろよ。ドラマみたいに」
「そういうことは電車が行く前に言ってくれ」
俺はベンチに戻って腰を下ろし、たった今零に貰った便箋を開いた。
「翔宇、お前も」
「手紙?」
『しょうくん、ひびきくんへ』
初めて見る零の字は、漢字こそ少ないものの整った綺麗な字をしていた。
しょうくん、ひびきくんへ
今まで仲良くしてくれてありがとう。
俺はこの街で、短い間だったけどたくさんの経験をして友達もいっぱいできました。でも、何よりも二人と出会ったことが一番心に残っています。
ひびきくん。
あの時、俺のこと怒ってくれてありがとう。
しょうくん。
俺を許してくれてありがとう。
二人に出会わなければたぶん俺はいじけて、ずっとひとりぼっちでいたと思うんだ。だから二人は、俺にとって大事な大事なひと。命の恩人といえるくらい。
二人に抱きしめてもらったこと、絶対に忘れないよ。
俺たち三人とも、みんな幸せになれると信じてます。
しょうくん、ひびきくん、大好き。
俺の、一番の友達。
「………」
「翔宇、泣いてる」
「歳取ったんかな。涙もろくて駄目だ、俺」
前のめりになって両手で顔を覆った翔宇の頭を、そっと撫でる。俺の視界もぼやけていた。
人通りの多い東京駅のホーム。
夏休みにはしゃぐ子ども達。仕事を終えた帰宅途中の人達。これから遊びに行く若者達。旅行に来た外国人のグループ。腕を組む男女。赤ん坊を抱いた女性。杖をついて歩く老夫婦。
俺と翔宇は身を寄せ合い、しばらくの間そんな光景を眺めていた。
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