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第20話

「お前やるなぁ」 「はい?」  コンサートのリハーサルをしていると、唯がそう言って笑っていた。唯がバンドを務めるバンド、BLACK STRAWBERRY、通称ブラストも同じコンサートに出演するのだ。  希望は唯の言っていることが分からなくて、首を傾げた。それを見て、唯はまだスタッフがいるだけの客席に視線を向けた。  希望もちらり、と同じところに視線を向ける。  客席の奥の方、特に暗い場所から、じっとライが希望を見ていた。ライはホテルから希望を送り届けて、今はつまらなそうな顔でそこにいる。 「リハに男連れてくるって、どちらのスキャンダラスセレブ歌姫?」 「言い方が酷い……」  希望は自覚があったので言い返せなかった。  自分が望んだわけではないが、マネージャーの優が気を遣ってライを中に入れてしまったので、こういう気まずいことになっている。  ライだって別に、本意ではないだろう。先ほどから、スタッフがちらちらと控えめに視線を向けては『あれが噂の……』『希望くんがお付き合いしている一般男性のライさん……』『……一般男性?』『あれ、一般って何だっけ……』『ていうかあの人SPじゃなかったんだ……』というような顔をしている。  その人SPじゃないんです。一般人です。ん? ライさんって一般人なの? あれ? 一般人って何だっけ? 「もしかして、コンサート前のパーティーも一緒に来んの?」 「……いっしょにいきますけど」 「うわ、やばーい」  唯がケラケラと笑う。  お人形のように整った顔立ちに、女子も羨ましがるようなたっぷりの睫毛に美しい緑色の瞳、そして艶やかな黒髪。そんな美貌を持つ唯が、こんな風に他人を小馬鹿にするような笑い方をすることを希望はまだ信じたくない。 「この人歌ってるだけならカッコいいのに……黙っててほしい……」 「全部聞こえてるぞー? ナメてんのー?」  あーん? と顔を覗き込まれて希望は逃げる。唯がたいして怒っていないことはわかっているが、その代わりに、ライの視線が痛い。特に唯が絡み始めてからは肌をじりじりと焼くような視線を感じる。唯もそれをわかっていて、面白がっている。だから、わざと絡んできていたのだろう。自分の番はまだなのに、わざわざここまで出てきたのだ。  舞台の裏に引っ込むと希望から離れて、ケラケラと可笑しそうに笑う。 「お前もそうだけど、あいつも隠さないよな。あんな顔して大人しく座ってるくらいなら、お前に首輪でもつけて外に出さなきゃいいのに」 「……」  俺、もうすでに監禁経験済みですけどね。とはあまり言いたくなくて、希望は黙った。      ***      リハーサルを終えて、コンサート前のパーティーに参加するためにライと合流した。  駆け寄った途端、強く腕を掴まれて、ライに引きずられていく。人気のない廊下を連れて行かれて、死角になるような奥への方で壁に押しつけられた。 「っ……!?」  叩きつけられた衝撃と、背中の痛みに顔を顰める。恐る恐る顔を上げると、じっと希望を睨むライと目が合った。深い緑色の瞳は暗く底知れず、怒っているのかどうなのかも読み取れない。 「あのっ、ライさっ……んっ、ぅんっ……!」  壁に押しつけられたまま、上を向かされて唇を塞がれた。  いつ、誰に見られるかわからない状況で、慌てて押し返そうと力を込める。けれど、更に強い力で押さえ込まれて希望は抵抗をやめた。ライの怒りが早く収まるように、大人しく受け入れる。 「んんっ、ふっ……ぅんっ、……んぅ……!?」  希望の身体がびくり、と震えた。ライの手が希望のスーツとワイシャツのボタンを外し、肌に触れたからだ。腰から上へ、胸まで、這うように撫でて上がってくる。その親指が、希望の胸の突起を擦り上げた。 「んぁっ……!! やっ! ら、らいっさ……ふ、んぅ……っ!」  突然の刺激に声を上げてしまい、唇が離れる。けれど、抗議の声は、再び唇に塞がれてしまって、それ以上続けられなかった。  希望が再び、ライの腕を掴んで止めようとする。しかし、ライの指先は、先ほどと同じように希望の胸の突起を擦り上げたり、爪で軽くひっかいたり、中心を避けて周りをそっと円を描くようになぞったりと、様々な刺激で弄ぶ。ライの腕を掴む手にもはや止める力はなく、ただ縋るようにしがみつく。弄ばれる度に、身体はびくびくっと小さく震えた。  甘い刺激と激しいキスで、膝が震えて力が抜けていく。けれど、ライの膝が希望の足の間にぐい、と入り込んできて倒れることもできなくなった。 「んっ、やっ……はっ、ぁ……!」  自身の雄の部分も胸のぷっくりと主張する突起も緩く刺激され続けて、希望の身体は小さくびくびく、と震えた。その間にも、口内を蹂躙されて、頭が痺れていく。  このまま蕩けてしまいたい、と希望が思った瞬間、遠くで人の気配と音がした。 「んんっ……!? やッ……!」  身体がびくっと大きく震え、頭は冷水を浴びたように急に覚める。  誰かに見られるかもしれない状況を思い出して、希望は慌ててライの胸をどんどん、と強く叩いた。けれど、両腕を掴まれて壁に押しつけられる。 「ラ、ライさんっ、ひとが……! あっ……」  ライは両腕を離すと、希望を力強く抱き寄せた。逃れようとすると、首筋をかぶり、と噛みつかれて、希望は動けなくなる。 「少し黙ってろ」  耳元で低い声が響いて、希望は唇をぎゅうっと結んだ。  近づいてきた人の気配は、途中でどこかへと遠ざかっていく。  ほっとして胸を撫で下ろした希望は、次の瞬間「ひゃんっ!?」と声を上げてしまった。  ライの両手が、希望の形良い尻を掴んだ。ほどよく弾力のある丸い形が、むちり、と歪められる。 「ライさん……! あっ、んっ……!」  ライは希望の首筋に顔を埋めて、耳元や首筋に唇を這わせたり、吸い上げたり、甘噛みしたりと、じっくり味わっている。希望が逃れようとすると、胸をいじめたり、膝で希望のものを擦り上げたりして、邪魔をする。  そのまま流されて楽になりたい、と希望が願う度に人の気配を感じて、正気に戻されてしまった。 「も、もう、だめ、やっ……やめっ……んっ、んぅっ!」  緩やかで甘い刺激と羞恥心の狭間で逃げることもできない。  希望はただ、ライが満足するまで、小さく震えているしかなかった。      ***     「希望くん、大丈夫?」 「え?」  ぱっと顔を上げた希望は驚いた。女神かと思った。  しかしそれは、女神のように美しく、優しい、希望の大好きなアキだった。 「顔が赤いみたい……大丈夫? 体調悪い?」  アキの女性に見紛うほど繊細な美貌が、心配そうに覗き込む。大好きなアキに心配をかけたくない、と希望は慌てて笑顔を見せた。 「元気ですよ! 元気すぎてちょっと運動しちゃったからかな?!」 「? そう、だったらいいけど……?」  そう言って、アキも微笑んでくれる。希望はほっとした。  アキは唯のバンドのギターとサブボーカルを担当していて、先ほどパーティー会場で合流したところだった。  コンサート前に行われるパーティーには、他にも多くの音楽と芸能関係者が集まっていた。 「運動ってなに? あいつと?」 「えっ!?」  希望はアキの隣にいた唯が視線で示す先を見た。  華やかで煌びやかな芸能関係者の中でも、やっぱりライは目立っていた。  唯はによによと笑っている。希望の反応に、何か気づいたようだった。 「えろーい」 「セクハラで訴えるぞ」 「唯」  希望が睨むと、アキも唯を睨んでくれた。  アキさん優しい。大好き。と希望は思わずにこにこしてしまう。  そうだ。ライさんにえっちなことはされたけど、エッチはしていない。    希望はようやくライから解放されて、先ほどパーティー会場に逃げ込んだのだ。コンサートの準備で移動しなければならないから、いろんな人への挨拶を急いで済ませたところだった。  ライは、何も言わずに付いてきた。時々「え、SP?」という声が聞こえた気がする。「え、なにか……黒い繋がりが……?」というのも聞こえていた。    違います。こんな格好して逞しくて目つきも鋭いけれど、SPでもなければイタリアンマフィアでもありません。一般人なんです。  いや、だから、ライさんが一般人ってなんかおかしい。こんな足長くてかっこよくて、触れたら火傷しそうな危険な雰囲気の一般人いるわけがない。  でもなんて説明すればいいんだろう?  恋人です、って言うとか? それでもいいかな。    みなさん、俺の恋人かっこよすぎてすいません。性格は悪いんで許してください。あと、俺の恋人なんで、そんなに熱い眼差しで見ないでほしい。    ――なんてね。    希望が挨拶に回っている間、会場中の視線がライに向けられたような気がした。    ――ああ、もういっそのこと、俺の恋人ですって、言っちゃいたいなぁ。    そうやって、希望が複雑な気持ちを抱いていたら、ライは途中で希望から少し離れた。  今は、時折綺麗な女性に話しかけられている。挨拶回りを終えた希望は、少し離れたところから見ていた。    希望には、とても不思議だった。    希望が他人と話すのが好きなのは、相手に興味を持っているからだ。  希望が他人に優しくするのは、自分が優しくされたいからだ。  希望が他人と関わりたいのは、他人が必要だからだ。    だから希望はとても不思議だ。  ライが今こうして、誰かと上手に話をしていることが。相手の女性を、楽しませていることが。  不思議だし、すごいなぁ、と感心する。  いったいどこで学ぶんだろう、その社交性。    目の前のヒトに、心底興味無さそうな目をしながら、どうやって。どうして。      ***      コンサートの時間が近づき、希望はライを関係者席に案内した。  コンサート会場は、舞台の前に広がる通常の一階の客席の他に、関係者用の席も用意されている。  今回の関係者席は、二階に用意されていた。四席ずつくらいで、それぞれ独立したテラスのような作りになっている。舞台を一望できるが、客席からは見られない。  ライは他の人と関わりたくないだろうから、一つのテラスを貸し切っておいた。    席に案内しても、ライは何も言わなかった。      ***      自分の出番を待つ間、希望は考える。    ――ライさん、怒ってるのかな。    リハーサル後、ライに迫られた時に拒んでしまった。誰かに見られたらと思うと恥ずかしかった。  ライとの関係を知られるのは構わない。でも、乱れる自分を見られるのは嫌だ。そんな姿を見せるのはライの前だけ。甘い刺激と低い声に酔い、蕩けてしまう自分はライだけのものでありたい。  ライ以外の前では『みんなの希望』として、たくさんの人の愛に応えるため歌うけど。    どっちも自分だ。それは変えられない。    ――ライさんは、俺がみんなの前で歌うの嫌いだ。  俺が誰かにでも笑いかけたり、優しくしたりするのも、嫌い。俺が誰かに優しくされたり、甘やかされたり、大事にされていたりするのも嫌だって言ってた。  俺が、その〝愛〟に応えるのが許せない、って。  俺にはそれがどういうことなのかよくわからない。  だけど、ライさんが俺が歌うのを止めたこともない。今日みたいに、何も言わない。止めたりしないで、コンサートにも来てくれた。  ずっと、そうやって見ていてくれる。  今日も、見ていてくれる。ほら。    舞台に出て、希望はライのいるテラスを見上げた。  じっと希望を、睨んでいるような、見つめているような、強い眼差しを受け取って、希望は歌う。    ――ライさんの目は暗くて、深くて、怖い。    何考えてるのか、どういう感情を抱いているのか、俺をどうしたいのか。それが何もわからなくて怖い。  けれど、こういう時はいつも以上によく分からない。その眼差しは、いつもと少し違う気がする。何が違うのかはまだわからないから、本当はもっとよく見てみたい。  けれど、ここからじゃ遠いし、目が合っても逸らされる。だから見逃してしまう。  今も、ライさんは目を逸らしてしまった。  もっとよく見たいのに。ライさんのこと、わかりたいのに。  ライさんばかり、俺のぜんぶお見通しなのは悔しい。    ライさんはいつも、俺のことを逃がさない、って捕まえてくれる。  誰にも渡さない、って強く抱きしめてくれる。  それが怖くて、強くて、ちょっとだけ心地よくて、時々そのまま受け入れてしまいそうになる。  ライさんとずっと一緒にいられるなら、それでもいいかなぁって    あの暗くて深くて怖い目に、ぜんぶ委ねてしまえたら。  他のこと何も考えられないくらいにぐちゃぐちゃにされてしまったら。    ――それはそれで、しあわせなのかもしれない。      ***      歌が終わると、静寂に包まれる。観客は心の奥底を揺さぶられ、余韻に浸っている。  その直後、我に返った観客の歓声と拍手が会場中に響き渡った。  観客ひとりひとりの眼差しに、希望は笑顔を向けて、手を振って返した。  希望がライを見ると、ライも希望を見ていた。  希望は嬉しくて、それまで以上の笑顔を見せて、手を振った。じっと希望を見つめるライの眼差しに、愛しさや甘さは感じない。  それが、暗くて、深くて、怖くて、どうしようもなく惹かれる。    ――ここから、攫ってくれてもいいのに。    と、ちょっとだけ、思ってしまう。  ライさんはいつも最後には、俺を帰してくれる。  絶対逃がさない、誰にも渡さない、って言っていたし、実際に閉じ込められたこともあった。  けれど、いつだって最後には、暗くて深くて怖いところから、みんなのいる明るくて綺麗で暖かいところへと帰してくれる。  そして、光の舞台と拍手と歓声から離れて、奥の暗がりにひとり身を潜めて、じっと見ていてくれる。  今みたいに。  それがどういう感情なのか、俺にはまだよくわからない。    ――攫ってくれないなら、俺はどうしよう?    暗がりに潜むあの人は、今何を考えているのだろう。  考えてもわからないかもしれない。  一生かけても。  俺とあの人は違いすぎる。わかり合えない。  それでもいい。  最期までわかり合えなくたって、構わない。    ――でも、俺、どうしたらいい?    観客に手を振り、笑顔で応えながらも、希望はライを見つめていた。  その瞬間、希望の頭の中で、きらりと一番星が輝いた。   『みんなの希望』としての役目を終えた舞台で、唯にマイクを渡す。 「お?」 「唯さん」 「は?」 「あとよろしくおねがいします」 「……おい、マジかお前。あ、」      ***     「ライさん!」  テラス席に駆け込んだ希望の頬は高揚の色に染まり、階段を駆け上ってきたせいで息が荒い。そんな姿の希望を見て、ライは僅かに動きが止まったようだった。  希望は構わずに、ライに抱きついて、見上げた。  暗がりに飛び込んで来て、キラキラと輝く金色の瞳は、流れ星を彷彿とさせる。  希望はライの手をぎゅっと握った。 「逃げちゃいましょうか!」  その瞬間、BLACK STRAWBERRYの爆音と唯の声が響き渡った。  暴力的な音の嵐の中、我に返った関係者が気づいた時には二人はすでにいなかった。      ***     「……何してんのお前」 「逃げちゃおうと思って!」  にこにこと笑う希望をライは呆れているようだった。  会場の建物の上階には、中庭を鑑賞できる部屋がある。古風な出窓がテーブルのようになっている。二人は向かい合わせに座っていた。通常は人の出入りもある場所だが、今はコンサート中で誰もいない。 「で、どこへ?」 「どこがいいかなー」 「決めてねぇのかよ。……まあいいや」  ため息をついたライはネクタイを緩めて、整えられていた髪を乱暴にかき上げる。  ああ、いつものライさんだ。  フォーマルから日常へと切り替わった瞬間を見て、希望はドキドキした。  希望が見つめていると、それに気づいたライがにやりと笑う。 「そんなに攫ってほしかった?」  ライの言葉に希望の心臓が高く跳ねる。少し俯いて、上目遣いでじっとライを見つめて頷く。 「う、うん……」 「そんな顔してたもんな」  はっ、とライが笑う。何もかも見透かされていることが恥ずかしくて、嬉しくて、希望ははにかんだ。 「自分から逃げ出すくらいだもんな?」  ライが希望の頬に手を伸ばして、指先で撫でる。その指先でそっと顔を上げさせるように頬から顎をなぞった。 「ここまでするなら、攫ってやってもいいよ」  ああ、なんて悪い男だ、と希望は思う。  悪魔の囁きのように魅力的に笑う。こんな悪い男なのに、どうしようもなく好きだ。  胸が高鳴り、ときめいて、心が揺らぐ。    ――敵わないなぁ。    好きになった方が負けなら、俺は圧倒的に負けている。出会った時から、ずっと。  頭も身体も、狡さも色気も。いろいろ負けている。  性格と友達の多さはたぶん勝てると思う。そこは譲れない。負けられない戦いだ。ああ、でも、そもそもライさんの友達って、ユキさんと恭介さんしかいなさそう。あれ? 同期って言ってたけど、同期って友達なのかな。    でも、この人は俺と違って、優しさとか暖かさとか、愛というものを、本来必要としない人なのだろう。誰かの愛も神の加護も必要としない、自分ひとりで生きていける。その力がある。    だったら、愛したがりで愛されたがりの俺は、どうしたらいいんだろう。  どうやって、この人を愛したらいいのかな。  いつも俺ばっかりドキドキしてるの、やっぱりなんか悔しい。  愛し合っているのだから、フェアでありたい。    あ、でも、俺、攻め様になりたいわけじゃないんだ。  ライさんを抱くのはちょっと解釈違いで、ごめんなさい、って感じだし。  ライさんに勝ちたいとか、そういうんじゃない。    ――ただ、これくらいは許されたい。    希望が立ち上がって、ライの隣に座った。  首を傾げるライに、両手を伸ばして襟を掴む。精一杯の力を込めて引き寄せ、自らもぐっと近づいてキスをした。    ――俺は人を愛したい。    抱きしめてくれるのは嬉しいけど、同じくらい強く抱きしめたい。  ライさんが最期まで、それを望まなくてもいいんだ。  俺が愛したいから、愛するんだ。    ライさんはそれを、許してくれる。  俺が愛したいように愛してしまうと、大きくて重くてみんな逃げてしまうのに、ライさんは平気みたい。「だからなんだよ」って言ってくれる。  だから、安心して、全力で愛せるんだ。  それがどれほどしあわせなことか。  きっとライさんにはわかってもらえない。それでもいい。   「えへへ……」  唇が離れると、希望はじっとライを見つめて、愛おしげに微笑んだ。 「ハニー、愛してる」  自分からキスできたのが嬉しくて、ふにゃふにゃと笑う。  幸せで、こころから愛しいと、潤んだ瞳が告げている。 「……」 「?」  ライが冷たく見下ろすのを不思議に思って、首を傾げる。それでも希望はにこにこしている。  その愛らしく、小さい顔を、ライの大きな手ががっしりと掴んだ。 「ふぎゅっ」  下から上へ、顎をがっしりと掴まれて、頬をぶにゅりと潰されてしまう。 「……なに勝手なことしてんだてめぇ」  冷たい眼差しと、怒りを滲ませた低い声が希望に降り注ぐ。    何で怒るの!?    希望はびっくりした。信じられないことだった。  恋人にキスされて怒るなんて、何事だろうか。  あんたなんて、いつももっと酷いことを好き勝手にやってくるくせに!! と抗議しようと希望はライをキッと睨んだ。 「ライひゃ、ぅぎゅっ」 「あ?」    痛い!!  なんか言おうとした瞬間、もっと強くほっぺを潰してきやがった!!  酷い! 怖い! この人怖い!! 酷い!!    希望が降参の意を示して、「やめてよぉ」と、もにょもにょ声を上げる。うるうると瞳を潤ませて、ライを見つめる。腕を掴んで退けようとするが、太くて逞しい腕も、大きくて重そうな拳も、びくともしなかった。 「ライさぁん、離してよぉ……!」 「……」 「痛いよぉ……もぉ、やめてぇ……?」 「……」 「…………チッ……」 「おい、聞こえてんだよ。舌打ちしてんじゃねぇよ」  拗ねた希望が抗議するように、目を逸らす。  ライは目を合わせようと、希望の顎を掴んだままぐりぐりと動かして顔の角度を変えた。それでも、希望は目を合わさないように、逸らし続けた。  そんな希望を睨んでいたライが、ふっ、と笑った。 「……こっち見ろよ、ダーリン」  すげぇ不細工だぞ、とライが笑う。  希望の胸はまた高鳴った。    ああ。  時々見せる、その笑い方が好き。    いつもは冷たい声と眼差しが、珍しく甘い。  気のせいかもしれない。  でも、一緒に逃げよう、と言ったから、喜んでくれてると思っても良いのだろうか。  それとも、また「ちょろいヤツ」とでも思っているのだろうか。    ――……どっちでもいいや。    ほんの少し、優しく、愛を込めて呼ばれただけなのに、容易く胸を撃ち抜かれる。  理不尽な扱いで感じた怒りや不満、不安もぜんぶ、心の片隅に投げ捨ててしまう。    希望は根に持つタイプなので、忘れたりはしない。  けれど、とりあえず、すべて放り投げてしまう。    そして、今目の前にある愛に、全力で向き合うのだ。

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