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プロローグ
10月30日の金曜日。
世流が学校を休んだ。
「先ほど神野先生から連絡があって、今日、世流君は風邪でお休みです」
担任の告げる連絡事項に、徹は納得できなかった。
世流が風邪?
そんな事はあり得ない。
世流と徹には、人とは違う特別な秘密がある。
それは前世の記憶を持っている事。
二人の前世は、北欧神話に登場する神である。
徹が雷神トール。
世流は大蛇ヨルムンガルドだ。
前世が神だった徹と世流には、特別な能力がある。
そして世流の能力は、体の内外で毒や薬を操る事。
新種のウイルスだろうと、世流には敵わない。
絶対に。
「最後に、一時間目の社会は、神野先生も急病のため自習になります」
優人もだって?
社会科教師の優人は、世流の父親であり、やはり前世で北欧神話の神だった。
これはいよいよ怪しい。
何か徹の知らない所で、二人に問題が起こっているような気がする。
徹は居ても立ってもいられなくなり、すぐに教室を飛び出した。
向かった場所は保健室である。
保健医の光も、北欧神話の神バルドルを前世に持つ仲間だ。
その上、優人の恋人でもあり、一つ屋根の下に同棲している。
性別は男だが、世流と志郎の母親代わりに、家事もこなしている美青年だ。
「光先生、いる~?」
急に保健室の扉を開けた徹に、驚いた光はビクッと肩を震わせ、恐る恐ると振り返った。
「あ……徹、君……おはようございます」
ぎこちなく笑う光を、徹はじっとりと見詰める。
「……光先生。世流と優人――先生が、学校を休んでるんだけど、何か知りませんか?」
「それは……風邪だと、言われませんでしたか?」
徹は一つ頷くが、納得はしないと言うように、光をジッと睨み付けた。
「ヨルムンガルドの神力を持つ世流が、風邪なんかひくハズ無い。――世流に、何があったんですか?」
一歩も譲らない徹に、少しためらった光は、やがて静かにため息をつく。
「……隠していても、仕方ありませんね」
「じゃあ!」
パッと顔を明るくする徹に、光はポケットの中から小さな鍵を取り出す。
「……優人の家の鍵です。私から説明するよりも、実際に会った方が良いでしょう?」
「ありがとう、光先生」
「その代わり、行くのは学校が終わってからですよ? 剣道部の部長さんに、ちゃんと世流君の欠席を伝えてください」
大きく頷いた徹は、渡された鍵をしっかり握った。
光がほっと息をつく。
「正直、助かりました。実は、放課後に急な会議が入ってしまって……」
そう言った光は、メモ紙にさらさらと何かを書き付ける。
「ついでと言っては難ですが、買い物を頼まれてくれませんか?」
「良いですよ。何買うんですか?」
安請け合いする徹に、光が今書いたメモを渡す。
「少し重いですけど、よろしくお願いしますね?」
「おう。任しといてください。えっと……」
徹は渡されたメモに目を通した。
卵が四パックと、鶏肉三キロ……キロ!?
「何だよこの量。猛獣でも飼い初めたんですか?」
「えぇ、まぁ……」
困ったように返事を濁す光に、徹は首を傾げつつ、メモに視線を戻す。
桜エビ五百グラム。
……業務用スーパーに行かないといけないな。
後はペット用品らしい。
犬用ブラシと――池?
「光先生……『池』って、何?」
「ホームセンターの金魚コーナーで、見た事ありませんか? プラスチックでできた、大きな水槽」
「あぁ、あれ?」
普通の水槽よりも大きく、雲のようにデコボコとした形の物や、緩やかな弓形の物がある。
「できるだけ凹凸の少ない物で、深めの物をお願いします」
「ん、了解。でもこれ、光先生だけじゃ、大変だったんじゃないですか?」
光は苦笑した。
「そのために今日は、車だったんですよ。徹君は力持ちだから、助かります」
前世がトールのためか、その神力を持つからか、徹は体のわりに力持ちだ。
やった事は無いが、神力を解放すれば、一トントラックも持ち運べるらしい。
☆ ★ ☆
そして放課後。
ホームルームを終えた徹は、剣道部の部長に世流の欠席を伝え、一目散に学校を飛び出した。
本当なら、すぐにでも世流の家に行きたい所だが、まずはスーパーに。
卵の安売りがあるのだ。
買い物には十分過ぎる金額を光から預かっているが、安いに越した事は無い。
いつもは一パック百五十円もするのが、タイムセールでなんと七十八円!
一人二パックしか買えないが、それでも十分安上がりになる。
「よし!」
「あれ? 荒神君?」
気合いを入れた徹が振り返ると、そこには見知った顔があった。
「あっ、剣治さん。こんちは」
「こんにちは。今日は部活しないのかい?」
「ん。今日はちょっと用があって、休みました」
剣治は有名な紳士淑女の学舎、聖ヴァルキュリア学院――通称『聖ヴァル』の剣道部顧問をしている。
本来ならライバル校でもあり、顔を合わせる事も少ない所だが――
実は剣治も、北欧神話の神チュールの転生なのだ。
つい最近その前世の記憶が戻り、いろいろ事件もあったが、今は家族同然の付き合いをしている。
「詳しくは、シリーズ本編第2話『裏切られた願い〈北欧神話転生異文2〉』を読んでくれよな!」
「徹君……誰に言ってるんだい?」
「読者のみんな!」
物語の外にニッと笑い、徹は剣治に向き直った。
「剣治さんは部活しなくて良いんですか?」
「今日は柔道部の練習試合があるんだ。三校合同で道場を使うから、剣道部は休みにしたんだよ」
スポーツに力を入れている聖ヴァルには、剣道部と柔道部が一緒に練習できるほど、大きな道場があるらしい。
柔道部の部員数などは分からないが、三校が一緒に試合できるのだから、確かに大きいのだろう。
ちなみに徹の北王陣学園、通称『ホクオウ』の剣道部は、体育館で練習をしている。
「羨ましくなんか無いからな!」
一人で息巻く徹に、剣治はクスクスと苦笑した。
「にしても、最初から部活休みなら、志郎とデートでもすれば良いじゃないんですか?」
志郎は世流の兄で、剣治の恋人である。
当然、志郎の前世も北欧神話の登場人物で、魔狼のフェンリルだ。
「その積もりだったんだけど、急に風邪を引いたとかで……」
「えっ! 志郎も?」
世流と優人だけでなく、志郎まで風邪?
奇妙な符合に徹が驚いていると、急にカランカランカラーンと鐘の音が鳴り響いた。
「間も無く、卵のタイムセールを終わります。まだお買いでないお客様は、お早くどうぞ」
徹は血相を変える。
「ヤッベェ! 剣治さん、一緒に来て!」
とっさに剣治の手を取った徹が、夢中で卵売り場に走った。
「えっ! あっ、ちょっ、徹君!?」
剣治も一緒に引き摺られて行く。
☆ ★ ☆
数分後。
全ての買い物を終えた徹は、剣治も連れて世流の家に向かった。
「荷物まで持ってくれて、ありがとう。剣治さん」
「別に良いよ。でも、本当に大丈夫かい?」
剣治が肉や卵などの食材を持ち、徹はプラスチックの池と水槽に入れる空気ポンプなど、ペット用品を持っている。
自分の鞄も持っている徹は、剣治よりも重そうに見えるのだが……
「あ、平気平気。俺トールの転生だから、けっこう力持ちなんですよ」
そうこう話している間に、二人は神野家に着いた。
世流達は絶対に出られないらしいから、一応インターホンを押したら、鍵を開けて入って良いと言われている。
「お邪魔しま~す。見舞いに来たぞ、世流~?」
「お邪魔します」
徹と剣治が声をかけると、リビングの方で急にドタバタと騒がしい音がした。
『と、徹!?』
『剣治! どうしてここに来たんだ!?』
声を上げた世流と志郎は、やはり元気そうだ。
「なんだよ、やっぱり仮病じゃねぇか」
「何かあったのかい? 志郎」
徹と剣治が玄関に上がり、廊下の奥にあるリビングまで歩きだす。
すると世流と志郎は、いよいよ慌てだした。
『うわ、待て、徹! こっちに来るな!』
『今取り込み中だ! 早く帰れ!』
取り込み中と言われた徹と剣治は、顔を見合せて、逆に慌ててしまう。
学校を休んで、それでも解決してないなんて、よっぽど大変な問題が起こっているに違いない。
「大丈夫かっ、世流!」
「志郎!」
廊下を駆け出した徹と剣治は、先を争うように扉を開けようとする。
『うわっ、待て! 開けるな!』
一瞬、犬のような影が扉に映るが、徹の馬鹿力の前では無いに等しい。
立ち塞がる犬の影ごと、徹は扉を開けた。
『ウゲッ!』
「志郎!?」
悲鳴を上げる志郎に、慌てた剣治は徹を押し退け、リビングに駆け込む。
けれど、部屋の中には人の姿が無い。
さっきまで声がしたのだから、世流と志郎がいるはずなのに――
「世流! どこにいんだよ、世流!」
『大声を出すな、徹。近所迷惑になるだろ』
世流にたしなめられ、徹はリビングの中を見回すが、やっぱり姿は見えない。
「世流? どこいるんだ? 隠れてないで、出て来いよ!」
『だから騒ぐなと言っているだろ。まったく学習能力の無い……』
世流がため息を吐く。
けれど、どうしても姿は見えない。
徹と剣治は、キョロキョロと室内を見回した。
「世流……?」
『どこを探しているんだ、徹。下だ、下』
「下ぁ……?」
怪訝な顔をした徹と剣治が、ゆっくりと視線を下げて行く。
そして鮮やかな赤いカーペットの上に、白く細い、ホースのようなものが落ちていて――
そのホースの先を辿って行くと、赤い小さな目と目が合った。
「へっ、蛇……?」
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