1 / 7

プロローグ

10月30日の金曜日。 世流が学校を休んだ。 「先ほど神野先生から連絡があって、今日、世流君は風邪でお休みです」 担任の告げる連絡事項に、徹は納得できなかった。 世流が風邪? そんな事はあり得ない。 世流と徹には、人とは違う特別な秘密がある。 それは前世の記憶を持っている事。 二人の前世は、北欧神話に登場する神である。 徹が雷神トール。 世流は大蛇ヨルムンガルドだ。 前世が神だった徹と世流には、特別な能力がある。 そして世流の能力は、体の内外で毒や薬を操る事。 新種のウイルスだろうと、世流には敵わない。 絶対に。 「最後に、一時間目の社会は、神野先生も急病のため自習になります」 優人もだって? 社会科教師の優人は、世流の父親であり、やはり前世で北欧神話の神だった。 これはいよいよ怪しい。 何か徹の知らない所で、二人に問題が起こっているような気がする。 徹は居ても立ってもいられなくなり、すぐに教室を飛び出した。 向かった場所は保健室である。 保健医の光も、北欧神話の神バルドルを前世に持つ仲間だ。 その上、優人の恋人でもあり、一つ屋根の下に同棲している。 性別は男だが、世流と志郎の母親代わりに、家事もこなしている美青年だ。 「光先生、いる~?」 急に保健室の扉を開けた徹に、驚いた光はビクッと肩を震わせ、恐る恐ると振り返った。 「あ……徹、君……おはようございます」 ぎこちなく笑う光を、徹はじっとりと見詰める。 「……光先生。世流と優人――先生が、学校を休んでるんだけど、何か知りませんか?」 「それは……風邪だと、言われませんでしたか?」 徹は一つ頷くが、納得はしないと言うように、光をジッと睨み付けた。 「ヨルムンガルドの神力を持つ世流が、風邪なんかひくハズ無い。――世流に、何があったんですか?」 一歩も譲らない徹に、少しためらった光は、やがて静かにため息をつく。 「……隠していても、仕方ありませんね」 「じゃあ!」 パッと顔を明るくする徹に、光はポケットの中から小さな鍵を取り出す。 「……優人の家の鍵です。私から説明するよりも、実際に会った方が良いでしょう?」 「ありがとう、光先生」 「その代わり、行くのは学校が終わってからですよ? 剣道部の部長さんに、ちゃんと世流君の欠席を伝えてください」 大きく頷いた徹は、渡された鍵をしっかり握った。 光がほっと息をつく。 「正直、助かりました。実は、放課後に急な会議が入ってしまって……」 そう言った光は、メモ紙にさらさらと何かを書き付ける。 「ついでと言っては難ですが、買い物を頼まれてくれませんか?」 「良いですよ。何買うんですか?」 安請け合いする徹に、光が今書いたメモを渡す。 「少し重いですけど、よろしくお願いしますね?」 「おう。任しといてください。えっと……」 徹は渡されたメモに目を通した。 卵が四パックと、鶏肉三キロ……キロ!? 「何だよこの量。猛獣でも飼い初めたんですか?」 「えぇ、まぁ……」 困ったように返事を濁す光に、徹は首を傾げつつ、メモに視線を戻す。 桜エビ五百グラム。 ……業務用スーパーに行かないといけないな。 後はペット用品らしい。 犬用ブラシと――池? 「光先生……『池』って、何?」 「ホームセンターの金魚コーナーで、見た事ありませんか? プラスチックでできた、大きな水槽」 「あぁ、あれ?」 普通の水槽よりも大きく、雲のようにデコボコとした形の物や、緩やかな弓形の物がある。 「できるだけ凹凸の少ない物で、深めの物をお願いします」 「ん、了解。でもこれ、光先生だけじゃ、大変だったんじゃないですか?」 光は苦笑した。 「そのために今日は、車だったんですよ。徹君は力持ちだから、助かります」 前世がトールのためか、その神力を持つからか、徹は体のわりに力持ちだ。 やった事は無いが、神力を解放すれば、一トントラックも持ち運べるらしい。   ☆  ★  ☆ そして放課後。 ホームルームを終えた徹は、剣道部の部長に世流の欠席を伝え、一目散に学校を飛び出した。 本当なら、すぐにでも世流の家に行きたい所だが、まずはスーパーに。 卵の安売りがあるのだ。 買い物には十分過ぎる金額を光から預かっているが、安いに越した事は無い。 いつもは一パック百五十円もするのが、タイムセールでなんと七十八円! 一人二パックしか買えないが、それでも十分安上がりになる。 「よし!」 「あれ? 荒神君?」 気合いを入れた徹が振り返ると、そこには見知った顔があった。 「あっ、剣治さん。こんちは」 「こんにちは。今日は部活しないのかい?」 「ん。今日はちょっと用があって、休みました」 剣治は有名な紳士淑女の学舎、聖ヴァルキュリア学院――通称『聖ヴァル』の剣道部顧問をしている。 本来ならライバル校でもあり、顔を合わせる事も少ない所だが―― 実は剣治も、北欧神話の神チュールの転生なのだ。 つい最近その前世の記憶が戻り、いろいろ事件もあったが、今は家族同然の付き合いをしている。 「詳しくは、シリーズ本編第2話『裏切られた願い〈北欧神話転生異文2〉』を読んでくれよな!」 「徹君……誰に言ってるんだい?」 「読者のみんな!」 物語の外にニッと笑い、徹は剣治に向き直った。 「剣治さんは部活しなくて良いんですか?」 「今日は柔道部の練習試合があるんだ。三校合同で道場を使うから、剣道部は休みにしたんだよ」 スポーツに力を入れている聖ヴァルには、剣道部と柔道部が一緒に練習できるほど、大きな道場があるらしい。 柔道部の部員数などは分からないが、三校が一緒に試合できるのだから、確かに大きいのだろう。 ちなみに徹の北王陣学園、通称『ホクオウ』の剣道部は、体育館で練習をしている。 「羨ましくなんか無いからな!」 一人で息巻く徹に、剣治はクスクスと苦笑した。 「にしても、最初から部活休みなら、志郎とデートでもすれば良いじゃないんですか?」 志郎は世流の兄で、剣治の恋人である。 当然、志郎の前世も北欧神話の登場人物で、魔狼のフェンリルだ。 「その積もりだったんだけど、急に風邪を引いたとかで……」 「えっ! 志郎も?」 世流と優人だけでなく、志郎まで風邪? 奇妙な符合に徹が驚いていると、急にカランカランカラーンと鐘の音が鳴り響いた。 「間も無く、卵のタイムセールを終わります。まだお買いでないお客様は、お早くどうぞ」 徹は血相を変える。 「ヤッベェ! 剣治さん、一緒に来て!」 とっさに剣治の手を取った徹が、夢中で卵売り場に走った。 「えっ! あっ、ちょっ、徹君!?」 剣治も一緒に引き摺られて行く。   ☆  ★  ☆ 数分後。 全ての買い物を終えた徹は、剣治も連れて世流の家に向かった。 「荷物まで持ってくれて、ありがとう。剣治さん」 「別に良いよ。でも、本当に大丈夫かい?」 剣治が肉や卵などの食材を持ち、徹はプラスチックの池と水槽に入れる空気ポンプなど、ペット用品を持っている。 自分の鞄も持っている徹は、剣治よりも重そうに見えるのだが…… 「あ、平気平気。俺トールの転生だから、けっこう力持ちなんですよ」 そうこう話している間に、二人は神野家に着いた。 世流達は絶対に出られないらしいから、一応インターホンを押したら、鍵を開けて入って良いと言われている。 「お邪魔しま~す。見舞いに来たぞ、世流~?」 「お邪魔します」 徹と剣治が声をかけると、リビングの方で急にドタバタと騒がしい音がした。 『と、徹!?』 『剣治! どうしてここに来たんだ!?』 声を上げた世流と志郎は、やはり元気そうだ。 「なんだよ、やっぱり仮病じゃねぇか」 「何かあったのかい? 志郎」 徹と剣治が玄関に上がり、廊下の奥にあるリビングまで歩きだす。 すると世流と志郎は、いよいよ慌てだした。 『うわ、待て、徹! こっちに来るな!』 『今取り込み中だ! 早く帰れ!』 取り込み中と言われた徹と剣治は、顔を見合せて、逆に慌ててしまう。 学校を休んで、それでも解決してないなんて、よっぽど大変な問題が起こっているに違いない。 「大丈夫かっ、世流!」 「志郎!」 廊下を駆け出した徹と剣治は、先を争うように扉を開けようとする。 『うわっ、待て! 開けるな!』 一瞬、犬のような影が扉に映るが、徹の馬鹿力の前では無いに等しい。 立ち塞がる犬の影ごと、徹は扉を開けた。 『ウゲッ!』 「志郎!?」 悲鳴を上げる志郎に、慌てた剣治は徹を押し退け、リビングに駆け込む。 けれど、部屋の中には人の姿が無い。 さっきまで声がしたのだから、世流と志郎がいるはずなのに―― 「世流! どこにいんだよ、世流!」 『大声を出すな、徹。近所迷惑になるだろ』 世流にたしなめられ、徹はリビングの中を見回すが、やっぱり姿は見えない。 「世流? どこいるんだ? 隠れてないで、出て来いよ!」 『だから騒ぐなと言っているだろ。まったく学習能力の無い……』 世流がため息を吐く。 けれど、どうしても姿は見えない。 徹と剣治は、キョロキョロと室内を見回した。 「世流……?」 『どこを探しているんだ、徹。下だ、下』 「下ぁ……?」 怪訝な顔をした徹と剣治が、ゆっくりと視線を下げて行く。 そして鮮やかな赤いカーペットの上に、白く細い、ホースのようなものが落ちていて―― そのホースの先を辿って行くと、赤い小さな目と目が合った。 「へっ、蛇……?」   ☆   ★   ☆

ともだちにシェアしよう!