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1.神野家パニック

まさかそんな事が―― 言葉を無くす徹に、鎌首を上げた白蛇は、真っ赤な舌をチロチロと出し入れし、あからさまにため息を吐いた。 『まったく、来るなと言ったのに……』 「蛇が……世流の声で、しゃべってる……?」 思考が追い付かない徹に、蛇はまたため息を吐く。 『信じられないだろうけど、なぜか今、俺は蛇の姿になっている。――俺が俺の声で話すのは、当たり前だろ?』 蛇の言う事が正しいなら、確かに世流が世流の声で話していても、まったくおかしくは無い。 ちょいちょいと毒が混ざる口調も、世流その者だ。 「じゃあ……志郎は?」 『俺はこっちだよ。イテテテ、テェ……』 扉の側でブルルッと体を振るわす犬が、ゆっくりと剣治に歩み寄る。 いや、その尖った耳と鋭い目、精悍(セイカン)な顔付きは狼のものだ。 「しっ、志郎!」 声を上げた剣治が、慌てて狼に駆け寄る。 「ごめん、大丈夫だったかい?」 『ん、どっかの馬鹿力のせいで、背中が痛(イテ)ェ』 膝をつく剣治の太股に、狼が顎を乗せ、剣治は優しく背中を撫でてやった。 徹よりも、順応が早いらしい。 『……徹、腕を出せ』 「は? 何で?」 『良いから出せ!』 少し尻込みする徹に、蛇の世流がシャーッと威嚇(イカク)する。 「わ、わあったよ……」 徹が渋々世流の前に腕を出すと、世流は蛇の俊敏さを発揮して、素早く徹の腕に巻き付いた。 「うぎゃっ!」 『変な声を出すな、この馬鹿!』 悲鳴を上げる徹に、世流が嘆かわしいと言わんばかりに、シャーッと唸る。 「し、仕方ねぇだろ……? 前世のお前は、もっとデカかったし……そうそう腕に蛇が巻き付く事なんか、ねぇんだからよ」 しどろもどろに弁解する徹に、世流はフンと鼻で息を吐き、徹の腕に三角の頭を擦り付けた。 剣治と志郎が羨ましかったのか、なんだかんだ憎まれ口を叩きながら、実は徹に甘えたかったらしい。 徹はおそるおそる手を伸ばし、細かい鱗に覆われた世流の小さい頭を、指先で優しく撫でた。 世流が満足そうに目を細め、赤い舌をチロチロと出し入れする。 そうしていると、外見は蛇だが、意外に可愛い。 徹はくすぐったそうに笑った。 今日一日、世流が心配で仕方なかったが、蛇に変身しているだけで、特に問題は無いらしい。 いや、姿が蛇になってしまっている事が、充分に問題だが―― 取り敢えずは元気そうで、徹はやっと安心した。 そして何気無く剣治の方を見て――開いた口が塞がらない。 「剣治さんって……すんげぇ大物……」 『ムッ、何が――!?』 感嘆の声を漏らす徹に、ビクリと反応した世流が、腹立たしげに牙を剥く。 「うわっ! そう怒るなって……」 何かに嫉妬する世流を「どうどう……」と宥め、徹は苦笑した。 「だってよぉ……アレ、見ろよ」 徹に促され、世流が剣治達の方を向く。 そこでは、いつの間にか仰向けになった志郎(狼)が、剣治に腹を撫でられて、気持ち良さそうにハフハフしている。 嬉しそうにパタパタと尻尾を振っている様子は、まるで…… 「あの志郎が、まるで犬みてぇなんだぜ?」 『………確かに』 反論できなかったらしく、かなりの間を開けて、世流も肯定する。 それにハッとした志郎は、お座りの状態に座り直して、バツが悪そうにフンッと鼻を鳴らす。 一人だけ状況が分からず、キョトンとして首を傾げる剣治に、徹はあえて苦笑にとどめた。 ところで、誰か忘れているような…… 「そう言えば、優人はどうしたんだ?」 何気なく言った徹に、世流と志郎がビクリと反応し、顔を見合せる。 「世流……?」 『……ある意味、父さんが一番大変な事になっているな……』 世流が悩ましげに唸り、志郎もコクコクと頷く。 その時、風呂場の方でパシャンと水音がした。 「は? 大変な事になってるとか言って、風呂に入ってんのか?」 『風呂に入ってる、っツぅよりも……出られねぇんだよな』 呆れた声を出す徹に、志郎が困ったように後ろ足で、首の後ろをカッカッカッと掻く。 その仕草は――まるで犬と同じだ。 「出られない……?」 『まぁ、見れば分かるだろ……徹、桜エビを持って、風呂場に行くぞ』 「行くぞって……お前、俺の腕に巻き付いて、連れてってもらうんだろ?」 徹は苦笑する。 『ムッ……噛むぞ?』 「うわっ、待て待て! やめろよ! お前、猛毒だろうが!」 ワアワア騒ぎながら、徹は腕に蛇の世流を巻き付けたまま、桜エビを風呂場に持って行く。 その二人の様子に、剣治はクスクスと笑った。 『俺らも行くか?』 「そうだね、志郎」 剣治が指先で志郎の耳の後ろを掻き、一緒に風呂場へ向かう。 問題の風呂場では―― 『やぁ、徹。剣治君も、良く来たね』 浴槽に張られた冷たい水の中から、体調五十センチの鮭が顔を出し、息継ぎする金魚のように口をパクパクさせた。 もしかしなくても、この鮭が優人で―― 「ギャッハハハハ!!」 徹は腹を抱えて盛大に笑った。 「なんだよ、優人。その格好……アッハハハハ!」 笑い過ぎて涙まで出てきた徹に、優人がムッとしない訳が無い。 器用に体をくねらせた優人は、パシャンと尻尾で水を跳ね飛ばし、徹の顔に命中させる。 「ギャッ! 冷て!」 『父さん! 俺にもかかったじゃないですか!』 『ウルサイよ!』 騒ぐ徹と怒鳴る世流に負けず、優人が苛立たしげに水面を波打たせ、大声で叫んだ。 『僕だって、好きでこんな姿になった訳じゃない! それでもまだ笑うなら、後で覚えておくんだね!』 顔は魚だから、表情は分からないものの、どうやら相当怒っているらしい。 「悪い、悪い。それはそうと、少し懐かしいなぁ」 『何が?』 優人が怪訝のにじむ声で問い返し、苦笑した徹は鮭の尻尾に軽く触れた。 「俺が最後にお前と……ロキと話した時も、お前は鮭の姿だったな」 『そう言えば、そうだねぇ……』 その当時の事を思い出したのか、優人も感慨深げに頷く(ただし、顔は魚)。 『君があんまり強く握るもんだから、鮭の尻尾が細くなってしまった』 「はぁ? なんだよ、それ……?」 「北欧神話に実際にある話ですよ」 急に光が隣から顔を出し、驚いた徹はその場で飛び上がった。 「お、おどかさないでくれよ、光先生……!」 『お帰り、光。遅かったんだね?』 「ただいま、優人。急な会議が入ってしまって、ごめんなさい」 にっこりと微笑んだ光が、優人の(魚)頭に優しく触れる。 誰も驚いていない所を見ると、光が入って来た事に気付いていなかったのは、徹だけだったらしい。 「それで? 光先生。それってなんの話?」 「私が――バルドルが死んだ後の話です。神々がロキを捕まえようとした際、鮭に変身して逃げようとしたロキの尻尾を、トール神が捕まえました。その時、トール神が強く握ったため、鮭の尻尾は細く括れたそうですよ」 風呂に入った鮭が、水の中でウンウンと頷く。 『まったく君ときたら馬鹿力で、力の加減を知らなくて……』 「うっ――!」 逃げなければいけなかった理由も、今なら分かるが、当時としては仕方がないはずだ。 「あれは、ロキが逃げるからだろ!」 バツが悪くて喚く徹を、光も優人も、世流までもみんなで笑う。 ロキとバルドルの秘密の関係を知ったみんなが、今では過去の事と笑える。 幸せな事だ。 ちなみに―― 「私と優人の前世の秘密は別作『憎らしいほどに、愛惜しい……』を読んでくださいね」 「光先生まで……みんな、どさくさに紛れて番宣するなよなっ!」 まだ一度も番宣できていない徹が、悔しげに地団駄を踏む。 風呂場には、さらに笑いが溢れた。 『――盛り上がってる所悪いんだけど、ねぇ。誰か、早く僕に桜エビをくれないかい?』 少しイラ立った優人の言葉に、志郎と世流、そして光がハッとする。 『光まで――』 悲しげに呟いた優人が、鮭の口であからさまに『はぁ……』と言う。 おそらくため息の積もりだろう。 『まったく……この姿のせいで、僕は朝から、ほとんど食べてないんだよ?』 確かに、ピラニアとかならまだしも、魚の口では普通の食事は食べられない。 徹は桜エビのパックを開けると、一掴み取って浴槽に入れた。 鮭の優人が水中を泳ぎ回り、パクパクと桜エビを飲み込んでいく。 「もっと食う?」 『もちろん』 その後、もう二掴み桜エビを取った徹が、浴槽にばらまく。 『あのね、徹……魚の餌やりじゃないんだから、そんなに広げる事はないよ。食べ難いじゃないか』 「あ、悪い……だって、今の優人、まるっきり魚だからさ」 また優人はムカッときたようだが、桜エビが吹っ飛んでしまうから、水をかける事はできなかった。 『元の姿に戻ったら、覚えているんだね……』 「……ごめんなさい」 優人が昼夜兼用の餌を食べている間。 徹と剣治はリビングに置いたプラスチックの池に、せっせと水を運んだ。 みんなで話しをする時、優人だけが風呂場にいるのも、いろいろな意味で話し難い。 当然、温かい風呂にも入れない。 一応リビングの床には、濡れても良いように、ビニールシートを敷いてある。 ついでに光が夕食を作り、志郎と世流はソファーの上に避難中である。 「志郎さん、お肉の焼き加減はミディアムとレアどっちにしますか?」 『レア~』 そして優人を池に移し、夕食を食べながら事件の始まりを聞く。 「もう、朝は驚きましたよ……優人が隣で騒いでいるので、なんだろうと思ったら――大きな鮭がベッドの上で、ビチビチと跳ねていたんですよ?」 『朝、気付いたらこの姿になっていて、苦しくて仕方なかったんだよ。魚はエラ呼吸だからね』 とっさに開いた口が塞がらなかった光に、優人は文字通り必死になって、水に入れてくれと頼んだ。 『その後、少しだけ怖かったよ……なんせ風呂の水は抜いてあるから、溜めている間、どこに置いて行かれたと思う? まな板の上だよ?!』 しかも、まな板のすぐ近くに包丁が置いてあって、優人は生きた心地がしなかったらしい。 光はしおらしくシュンとうつむいた。 「ごめんなさい、優人」 『もう良いよ、光。悪気が無かった事は、ちゃんと分かっているから』 反省の表れか、今日の夕食はホウレン草のおひたしとカボチャコロッケ、そしてご飯と豆腐の味噌汁だ。 肉は志郎が喰うから良いとして、刺身や焼き魚なんか出したら、優人に一生恨まれるだろう。 ちなみに世流は、椅子の上から鎌首を伸ばして、ゆで卵を丸飲みしている。 喉(?)に卵が入って行く時、頭との付け根が大きく膨らみ、ゆっくりと下に下がって行く。 体が細い分、身体の一部が卵の形にぽっこりと膨らんでいるのが、なんだか面白い。 「にしても、何で動物の姿になっちまったんだ?」 『うむ。それは僕も、ずっと考えていたんだけどね。おそらく、月の魔力が関係してるんだろう』 首を傾げる徹に、水面から顔を出した優人が、パクパクと鮭の口を動かす。 「月の魔力……?」 さらに首を傾げる徹に、優人がわざわざ『コホン』とインテリな咳をする。 これから鮭先生の講義が始まるらしい。 『まずは問題。明日は何の日か知っているかい?』 「明日?」 分からないと首を捻る徹の向かいで、剣治も同じように首を傾げる。 「明日って、10月31日だよなぁ? 何か行事とかあったっけ?」 「10月31日……もしかしてハロウィン?」 『剣治君、正解』 拍手の積もりか、優人は飛沫が飛ばないように軽く、尻尾で水をパシャパシャと叩いた。 『古代、ケルト人は冬の始まりである11月 1日から、新しい年が始まると考えていた。そのため、1年の終わりでる10月31日は、死者の霊が家族を訪ねてくると信じられてきたんだ』 「死者の霊? 魔女とか、吸血鬼じゃねぇの?」 徹が首を傾げる。 『吸血鬼は小説の中だけの作り物だよ、徹。――この10月31日は、死者の霊と一緒に、邪悪な精霊や魔女が現れると思われていた。それらの邪悪なモノから身を守るため、仮面で顔を隠し、魔除けのかがり火を炊いた。これがハロウィン、もしくはハロウィーンと呼ばれる祭りの起源だよ』 教師らしくスラスラと解説する優人に、徹が「お~」と感嘆の声を上げる。 「さすが社会科教師」 上を向いた優人が、自慢気に『フフン』と(鼻が無いので)口で言う。 ところで――この科目設定を覚えている読者は、何人いるだろうか? 『コホン』 苛立ちを抑えた優人が、低く咳払いする。 『このハロウィンの日は、月の魔力が強まるとも言われている。恐らくその魔力が、僕達の神力に影響したんだろう』 「ちょっと良いですか、優人さん?」 剣治が軽く右手を上げ、発言を求めた。 『はい、剣治君』 「月の魔力が影響して――と言っていましたが、魔力と神力は違う物なのではないですか?」 『うん、良い質問だね。ちなみに剣治君は、魔力と神力、何が違うと思う?』 魔力と神力の違い? 「字面から言えば、魔力が悪魔の力で、神力は神様の力ですよね?」 『まぁ、その答えが一般的だね』 剣治の答えを肯定するように、優人が頷き、水がパシャパシャと揺れる。 『そもそも『力』とは、何らかに働きかけ、影響を与えるエネルギーの事なんだよ。それを悪魔が使うか、神が使うかによって、魔力と神力に分けられる』 『魔力も神力も、根元は同じと言う事ですか?』 世流が首を傾げるように、体を斜めに傾けた。 全身で首を傾げる蛇って、意外に可愛い…… なんとなく世流を眺めていた徹が、少しだけ頬を染める。 『その通り。さすが僕の息子だね、世流』 『……ありがとう、ございます』 優人から本当に誇らしそうに誉められ、世流が恥ずかしそうに、小さく体を震わせた。 細かい鱗に覆われた蛇の白い顔が、ほんのり赤くなっているような気もする。 世流が照れているなんて、珍しい…… 「ですが……どうして優人達だけ、変身してしまったんでしょう?」 小首を傾げる光に答えたのは、狼の志郎だった。 『そんなの、俺達が魔物だったからだろ。父上は変身が得意だったしな』 世流も鎌首を軽く下げ、肯定の意を示す。 『とにかく、元の姿に戻る方法が分かるまでは、このまま様子見だね』 優人は疲れたように、息を吐くマネをした。 水から顔を出して話さなければならないし、何より魚の口で人間の言葉を使うのは難しいのだろう。 そもそも、どうやってしゃべっているのか、一番の謎である。 『僕は、もう疲れたから休むよ……徹と剣治君はどうする? 今日も泊まって行くかい?』 「当たり前だろ! 世流が心配なんだから」 「僕も、できるだけ志郎の側にいたい……」 徹と剣治は頷く。 意気込む徹の腕に世流が巻き付き、剣治の足に志郎が頭を擦り付けた。 『そう言うと思ったよ』 「あぁ、良かった。徹君、後で優人の水槽を、寝室に運んでくださいね?」 「オッケー」 その後は特に何の問題も無く、和気あいあいとした時間を過ごし、いつも以上にベッタリと寄り添い合っていた。 ……優人以外は。 『どうせ、僕は魚だよ……水槽からも出られないよ……』 鮭が水槽の隅でいじけている―― 「人の姿に戻ったら、たくさん甘えさせてあげますから……それまでの辛抱ですよ、優人」 そう言い聞かせながら、光は優人に触らない。 あんまり触ったら、弱ってしまうからね。 それを見兼ねた徹は、寝室に水槽を運んだ時、できるだけベッドの枕側に寄せて水槽を置いた。 光が眠る間際まで、心置き無く話せるように。 そして、1日目の夜は過ぎて行く。   ☆   ★   ☆

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