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「海問題 長女の言い分は愚かであるか否か1」

久道視点。  酒を受け取ったヒロが康介くんとヒソヒソと話すというかイチャイチャし始めるが、弘子ちゃんはご立腹だ。俺の兄ということを前面に出して押しつけてきているのだから、俺が跳ね除けなければならないのだが、対応したくない。心の底から関わり合いになりたくない。    ヒロは「面倒だから深読みはしない」とアレが自己申告する内容以外は考えないでいる。痕跡らしい痕跡が見えにくいのだ。やりたいことをやってみればいいと背中を押すのは良いことのように思える。たとえ、犯罪行為が延長線上にある行動でも「それで君が幸せになるなら行動してみればいい」と無責任に言える人間だ。  責任などそもそもないという感覚だからこそ、他人の中にある悪意を肯定できるのだ。    悩んでいる人間の心を軽くするという一点だけを話題にするなら、たしかに良い奴なのかもしれない。ヒロは「俺からすると、良いも悪いもリモコン次第みたいな奴なんだけどな」と苦笑していた。悪い方向に堕ちていく人間ばかりじゃなかったと、ヒロは評価しているが、大多数が悪い方に転がっているので良い奴とは思えない。  ヒロの優しさや心の広さは頷きがたい事が多い。    たとえば、いろんな物語でたびたび登場する楽園の問題。  蛇にそそのかされた人間は知恵の実を食べて神の怒りに触れて楽園を追放される。  この蛇がアレだと俺は思っていた。  人間の中に芽生えた負の感情を刺激する魔王がアレだと感じていたが、ヒロはアレを知恵の実そのものだという。  いいや、神への信仰心がないヒロからしたら甘言を囁く蛇も知恵の実も同じものなのかもしれない。ヒロは必要なら蛇でも気にせずに食べるし戯れる。    アレとヒナを同じ会社で働かせている時点でどうかしている。抑止力なのかもしれないし、実際に効力はきちんと発揮されているがヒロは普通じゃない。    そして、ヒロの娘もまた普通であるはずがなかった。     「聞いていた限りの印象と実際に目にするものとでは全然違う印象ですね。わたくしは下鴨弘子と申します。あなたは寝取り野郎だとお聞きしましたが事実ですか? 事実無根でしたら早々の釈明を要求いたします」    ストレートな言い分すぎて十回は聞き直したくなる。  弘子ちゃん曰く、味噌汁事件についてヒナは間接的な形であの場にいた人間たちの背中を別々に押していた人間は状況証拠からみて一人。ある意味、前科があるので裏で糸を引いたのではなく以前のように「ゆるやかな後押し」をしたのは想像にたやすい。    心の中にある願望を現実にすればいいと囁きに耳を貸す方も貸す方というのがヒロの言い分なのはわかるが、抗いがたいタイミングでの優しく聞こえる魔法の言葉を意図的に吐き出す人間はおそろしい。  人はそれほど強くはない。

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