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「海問題 長女の言い分は愚かであるか否か2」

  「支配的で傲慢な人かと思ったら温和で人好きそうな保育士さんみたいな雰囲気。底抜け善人なお人好しか今世紀最大の悪党かどちらかでしか許されない行動をする人だと思ったけれど……あなた、両方?」    ジッと見つめた弘子ちゃんが、俺が数年間どうすればいいのか棚上げし続けたものに切り込んだ。 「私、学校ですごいイジメの現場を見たの。学年が違っていたからどうすればいいのか分からずにいたんだけれど、イライラしたから机と椅子を犠牲にすることにしました」   「どういうことかな?」   「ここで相槌を打つあなたは性根が腐っていても悪人と言えないから性質が悪い人。……登場人物としては五人。三人がいじめっこ、二人がいじめられっこ。さて、一番悪いのは?」 「いじめている三人?」 「いいえ。二人もいるのにいじめられたままいるほう、というよりも、いじめられたままでいようと思っている一人。一人を守るためにもう一人もいじめられることを選んだ。二人一緒にいじめられることで仲間意識を芽生えさせていたのです。だって私、聞いちゃったのですよ」    すこし間を取って弘子ちゃんは言う。   「いじめっこの三人にお礼を言っていたの。言わされたんじゃない。心からお礼を口にしてた。いじめてくれてありがとうって。友達との絆を深めるための礎になってくれてありがとうって」    とんでもなく薄気味の悪いものを見てしまった弘子ちゃんには同情する。いまどきの小学生は怖い。だが、それで言えば俺の兄を名乗る人間は確かに同じ部類であるのかもしれない。   「いじめられて同じようにつらいはずの相方がいじめられて喜んでるって、つらいのは一人だけじゃない!! 孤立無援すぎてやってらんないっ。いじめられてるだけでやってらんないって言うのに身内とすらつらさを分かち合えない。最低で最悪すぎるでしょう」    その場で足を踏み鳴らすようにする弘子ちゃんに俺は後ろを振り向いた。  康介くんが瑠璃川が用意した椅子に座っているところだった。ヒロはとくにこちらに手出しをすることもなく傍観を決め込んでいる。    弘子ちゃんの苛立ちはイジメの現場そのものだけではなく、康介くんとヒロなんかを取り巻く環境へも向けられている。   「当事者のくせに他人事の顔をするのも、同じ状況を味わっていて相手のつらさを知っているのに無視するのも、自分のつらさを言葉として吐き出せないのも……誰が悪い、何が悪いではなくて、その状況も何もかも全部が、この私、下鴨弘子は気に入らない!!」    弘子ちゃんがイジメをぶち壊した詳細が気になるけれど、本筋として彼女が口にしたいのはそこじゃない。   「あなた、腰抜けでしょう。だからずっと笑ってる。自分は何もしませんって顔で誰かを突き落とそうとする」 「そんな風に見える?」 「そんな風に見えても構わないって思ってるように見える」 「なんだか嫌われちゃってる?」 「嫌われないとでも思った? 私は私のことが大好きだから、私のことを好きな人は好きだけど、あなたみたいな……このガキ面倒くせえなっていうのが透けている愛想笑いの人は大嫌い」 「そこまでは思ってないけど、うーん? 一旦、帰るべきなのかな? 仲良くしたいんだけどなあ」    ヒロなら「帰りたいなら帰っていいが、お前は居たいんだろ」と優しい言葉をかけるが弘子ちゃんは過激派だ。   「あなたがただ帰るだけで石のように黙っているならいいけれど、下鴨弘子に嫌われて帰らされたと吹聴しだすのなら海に沈んでくださらない?」    行動パターンがお見通しらしかった。  思い出すと同じようなことを昔にしていた。康介くんへのネガティブキャンペーンだ。本人はなぜか康介くんを庇うような論調で「こういうことをされたけど責めないで」とまるでフォローするように話していたが、全然そうは聞こえない。   「私は気にしないけれど、うちのヒロくんは世間の評判を気にするタイプだから困るの。……困らせるための言動でヒロくんからの慰め待ちの茶番かもしれないけれど、知らないところで、あるいは目の前で堂々と、ダシにされると思うと私の苛立ちは募るばかりよっ」    高校で転校してきたアレがしたことは言ってしまえばそういうことだ。ヒロが入院までしたアレを哀れんで気をつかってやった。原因が自分というより康介くん由来だからこそヒロはわがままを聞いておいてやろうという気持ちになったはずだ。  康介くんからのリアクションを期待できないから、代わりに自分が適当に付き合ってやるというヒロらしい場のおさめ方。    当時のことを何一つ説明なんかしていないのに弘子ちゃんはよくわかっている。  鋭いというよりも決めつけて話しているのが的を射ぬいているのか。   「それで一体、僕はどうしたらいいのかなあ。何をしても気に入らないって聞こえるんだけど」 「選択肢は一つでしょうね」    弘子ちゃんはそう言って後ろを振り返る。視線の先にいるのは立ち上がった康介くんだ。

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