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運命かもしれない人 8

研修は、絶え間なく響く雨音の中で行われた。 大量の知識を詰め込まれ、最終日には試験もあるとのことだったので、窓の外など気にする余裕も無かった。宿泊先は相部屋で、初対面の真面目な先輩社員と一緒だったので、夜は共に予習復習に励んだ。スマホを見るのは憚られ、郁に連絡することもなかった。 最終日を前にして、さすがに疲れが出て来た。外は相変わらずの雨模様で、閉塞感を感じてしまいそうな環境も憂鬱になる要因だった。 明日の試験に備えるようにと締めくくり、早めに講義が終了する。部屋飲みの誘いを断って、秋人は外を歩いてみることにした。 コンビニで安い傘を買い、適当にブラつく。雨の匂いに混じって知らない街の匂いを感じ、少し気分が晴れてきた。どうせなら何か収穫が欲しいと思い始め、辺りを見回しながら歩く。 最近、秋人はスマホに景色を撮り溜めていた。見せたときの郁の反応が気になるものや、一緒に見たいと思った綺麗なものの数々が、素直になれなかった分だけ納められている。 人通りの少ないオフィス街に、めぼしいものは見当たらない。どこまで行っても殺風景なビルが立ち並び、諦めて帰ろうかと迷い始める。それでもあと少しだけ、と一歩を踏み出したところで横から光が差した。 ちょうど高いビルの影から出たところで、世界の境界線を越えたみたいに雨が上がっていく。そうして、秋人は目の前の光景に目を奪われた。 ビルとビルを繋いでいるかのように、虹がかかっているのが見える。 今にも消えてしまいそうな儚い一瞬を逃すまいと、慌ててスマホを取り出そうとする。下を向いた瞬間に、差したままだった傘に、コツンと何かが当たる感触があった。慌てて後ろにずらして、今日一番の衝撃を受ける。 「あれ?秋人?」 「!?」 傘を閉じながら名前を呼んでくるのは、見間違えるはずもない郁だ。スーツに見慣れたボサボサ髪という出で立ちで、いつも通り美形に生まれた幸運を無駄にしている。 「もしかして、研修ってこの近くでやってるの?」 「そうだけど……郁はなんでここに?」 衝撃からなかなか立ち直れずに、震える声で尋ねる。 「おれは教授の代理。突然講演して来いって言われちゃって、あっちの会館でやってきたとこ。今はコンビニ探して迷子になってるとこ」 「そっか……すごい偶然だな」 「偶然じゃなくて、運命かもしれないね」 いたずらっぽく口にした郁の言葉が、秋人の最後のストッパーを外してくれる。 「……郁、あの……」 「ん?」 視界の晴れない知らない土地で偶然ぶつかるなんて、奇跡的な確率だ。それは、DNAレベルで惹かれ合う運命の番が出会う確率と比べ、どちらが高いんだろう。拠り所として縋れるものに、なり得るだろうか。 運命を持たないβでも、それに勝る何かがあれば、背中を押してくれる気がしていた。そこまでしないと踏み出せなくなってしまったのは情けなくもあるけれど、郁は穏やかに待っていてくれた。 そうして今、やっと見つけた。 ――俺の、運命かもしれない人。 「俺、郁が好きだよ」 ああ、思いっきり好きになってもいいんだと思った。狭い場所から解放されたような気分で、溢れ出す気持ちに素直に従う。 ぽかんと口を開けて固まる郁が、みるみるうちに顔を赤くしていく。可愛くて誰にも見せたくなくて、思わずぐしゃぐしゃと髪を乱してやった。雰囲気をぶち壊すのは得意かもしれない。 「あ、秋人……!」 今にも飛びかかってきそうな郁を、笑って抑える。 「続きは家に帰ってからな」 「えっ、おれ明日もあって、今日はまだ帰れないっ!」 「俺もだよ。じゃあ明日一緒に帰るか」 「うん!うん!」 ぶんぶんと首を振って頷く郁の後ろに、晴れた空が見える。虹なんてとっくに消えてしまっていたけれど、まあいいかと思った。これから先、きっといつでも一緒に見る機会があるだろうから。 「秋人、好き」 「ん、俺も……好き」 言葉にすればするほど自身の心に染み込んで、より気持ちは強くなっていく。 今度こそ、この男を支え自分が幸せにしてやるんだと、そう思えることに幸せを感じた。

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