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第1話:神様なんていないと思った
「俺、余命半年なんだって」
いつの間に起きたのか……顔をあげると、夏目が静かに微笑んでいた。
「え……」
本を閉じて、サイドテーブルに置く。夏目の言葉が頭の中で何度も繰り返された。
「き、急にそんな……」
とは呟いたものの、夏目の病名と状況を知ったその日から、少なからず覚悟はしていた。でも――
「治る病気だって、言ってたじゃないか」
「もちろん最後まで諦めないさ。ただ、急にいなくなる可能性もあるから……そうなったら小野を驚かせちゃうだろう? だから一応伝えただけ、深く考えなくていいから」
吐きたい弱音はいっぱいあるだろうに。夏目は笑った。
「それにしても、中学校には10日しか通ってないのに、もう3年か。たまたま隣の席だったせいで、小野にはたくさん迷惑かけたね、ごめん」
1年の時にクラスメイトだった夏目は、入学してすぐに入院してしまった。病院がたまたま近所だったこともあり、最初は担任から言われて来ていたのだが、今では大切な友達だった。
「迷惑なんてかけられた覚えはないよ」
「ありがとう……」
夏目は手元のボタンを押して、ベッドの背を起こした。伸びすぎた髪を、白い指先がそっと耳にかける。僕は水色のパジャマからのぞく手や首を見て、また少し痩せたんじゃないかと不安になった。
「小野がいなければ、俺はとっくに生きることを諦めていたよ」
「相変わらず大げさだな」
僕はそんな不安を隠すように、棚からナイフを取り出し、サイドテーブルの籠からリンゴを1つ手にとった。
「それ、黄色と赤のグラデーションが綺麗なリンゴだね。そういう色をした屋根の家、小野に似合いそうだ」
「あ、確かに好きかも。木造で、外壁にフウセンカズラとかどうかな?」
「それもいいけど、俺は竹を推すね」
「洋な外観に、和のアクセントか……いいね」
リンゴの皮をむきながら答えた。
夏目は病院生活が長いせいか、家というものへの興味が強かった。どうやら建築士になるのが夢らしい。なら僕はインテリアコーディネーターになろうかなって、漠然とそう考えるようになっていた。
「ほら、食べよう」
「ありがとう」
リンゴをフォークに刺して渡す。夏目が一口食べるのを見守ってから、僕も食べた。
「こうやってリンゴをむいてくれるのが恋人だったらなぁ~」
「僕で悪かったね」
「小野は悪くないよ、ただ、心残りだなと思っただけさ」
夏目の声は明るかった。でも、僕は心残りという言葉を受けて、喉の奥が苦しくなった。
「学級委員の桜井さん、優しいし巨乳だし……うまく言って、お見舞いに来るよう仕向けようか?」
「誰でも良いわけじゃないから」
夏目はフォークを置くと、急に真面目な顔をして僕を見つめた。
「なぁ、今と何も変わらなくていい。ただ肩書きだけ、友達を恋人に変えてもらえないか?」
突然の話に、僕は混乱した。
「ち、血迷ったのか?」
「本気だよ。俺は小野のことが好きなんだ」
困ったように笑う夏目。その命が長くないとしたら、叶えてやるべきなのかもしれない。でも、身近な僕に、脳が勘違いを起こしているとしか思えなかった。だって、僕たちは男同士だ。
「そういう目で見た事なかったから……」
「気持ち悪い?」
「いや、そうじゃない。ただ、元気になって退院したら、夏目の方が後悔するんじゃないかと……黒歴史扱いされるのだけは嫌だ」
「もし退院できたら、それは愛の力だ。俺は一生、小野に感謝するよ」
きっと、脳の勘違いだ。でも夏目が望むなら、そして僕にできることなら、何でもしてやりたいと思った。それに、今と何も変わらないというなら、断る理由もない。
「……わかった。今まで通りでいいなら……夏目の気がすむなら、付き合うよ」
夏目は安堵の笑みを浮かべると、恋人になった記念だと、京都の記念メダルをくれた。500円玉サイズのそれを握りしめて、僕も微笑んだ。
「小野は断れないと思ったよ」
「あぁ、夏目は狡いヤツだ」
早く元気になって、一緒に給食を食べたり、部活をしたり、休日に遊んだりしたいと思った。そういう日を楽しみにしていた。でも、中学3年の秋に、夏目は死んだ。
神さまなんていないんだなと思った。
***
目が覚めると、僕は涙を流していた。しばらく天井を見つめてぼーっとする。モヤモヤと胸が苦しかったけれど、スマホのアラームを止めながら起き上がった。
僕が仕事で担当した佐藤邸は、和風モダンの木造平屋で、庭の竹がアクセントになっている。昔、夏目と一緒に考えた家に似ていた。今日、久しぶりに中学時代の夢を見たのは、そんな佐藤邸を訪問する予定のせいかもしれなかった。
***
駅前の喫茶店で、広報課の石川さんを待っていた。
石川さんとは、電話やメールでやりとりをしたことはあるが、顔を合わせるのは初めてで、少しだけ緊張していた。でも、仕事ができる人だと現場での評価も高く、会えるのが楽しみだった。
待ち合わせまでまだ30分もある。僕は焦げかけのトーストにかじりついた。あんバターの絶妙な旨さについニヤけていると、急に目の前の椅子に鞄が置かれた。その持ち主を何気なく見上げた時――僕の心臓は、過去最大級に跳ねた。
「これから先輩と仕事の打ち合わせだっつーのに、呑気にモーニングセットか?」
「夏目……」
声も、顔も、夏目にそっくりな人物が、そこに立っていた。トーストのあんバターが、どろりと手を伝うのを気にする余裕もなく、僕は目の前の人物を、ただただ凝視していた。
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