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第2話:ねぇ、笑って
「ほぅ、先輩の名前を呼び捨てにするとは良い度胸だな」
「え、あ、えっと……」
「石川だ。おまえは小野だろ? 社内報で顔を見たから間違いないつもりだが」
「は、はい、小野です。すみません、今日はよろしくお願いします」
夏目じゃないことは分かっている。でも、もし夏目が生きていて、大人になっていたら絶対にこんな感じだろうなと、思わずにいられなかった。
……って、待て待て。呼び捨て? 僕が夏目と呼んだ時、確かにそう言った。
「あの……石川さんって、夏目さんなんですか?」
おしぼりで手を拭きながら、恐る恐る尋ねた。
「石川棗だが、それがどうかしたか?」
ポケットから社員証をチラリと出して見せてくれた。
棗……字が違うのか。これだけ似ているんだから、兄弟かなとも思ったけれど、夏目の兄弟なら夏目棗になってしまう。そもそも石川さんだし、やっぱり他人の空似なんだろう。が、同じナツメという名前に、僕の胸は騒がずにいられなかった。
今朝の夢は、この出会いを暗示していたのかもしれない。
***
「桔梗さぁん!」
佐藤夫妻が手を振っている。僕も手を振って応えた。
「下の名前で呼ばれているのか?」
「はい、僕は下の名前で呼ばれることが多いんです。小野桔梗です、桔梗の花言葉は誠実! 名前に恥じぬ仕事をさせていただきます! みたいな自己紹介をしてるんで、多分そのせいですね」
石川さんは苦笑いを浮かべた。
僕は営業スマイルで佐藤夫妻に駆け寄ると、簡単に挨拶を済ませてから石川さんを2人に紹介した。
佐藤夫妻は新築のこの家を、完成見学会に使わせてくれることになっている。今日はその告知に使う写真撮影と、インタビューのために来ていた。
「玄関に続く竹がオシャレですね」
早速、石川さんが竹を褒めた。
この家は、ガーデニングが趣味なご夫婦ということもあり、エクステリアに力を入れている。だから僕も佐藤夫妻も、ドヤ顔で反応した。
「そうなんですよ、シンボルツリーを竹にしたらどうかって、桔梗さんが提案してくださったんです」
「夜はアップライトで直線的なシルエットが浮かび上がって綺麗なんですよ。あ、もちろん地下茎で広範囲に増えてしまうことがないよう、抑制する対策もとってあります。外壁はウチの新商品で、陶器のような見た目で強度も高いTOUストーン!」
竹とTOUストーンのコントラストにウットリしつつ、石川さんに説明した。隣で佐藤夫妻もウンウンと頷いている。
ちなみにTOUストーンはめちゃくちゃ高い。が、お値段相応の高級感もあるし、汚れにくく耐火性もあるので隣家の火事をもらいにくいなどの機能面も素晴らしい。僕もいつか自分の家を建てる時が来たら、TOUストーンを採用したいと思っていた。
「TOUストーンにして良かったわぁ。陶器みたいで、本当に綺麗ね♪」
「佐藤さんのお庭が良いから映えるんですよ、相乗効果が予想以上で僕すっごく感動してます」
「全部を業者さんにお願いする予算がなかったから私と妻でやりましたけど、それで良かったなって思ってますよ」
「ですよね。色々アイデアをだして……で、そうだ! あっちのドウダンツツジを――」
石川さんに話しかけるように振り返ると、突然シャッター音が響いた。
「ちょっ、なんで僕を撮るんですか!?」
「広告にイケメンが載ってる方が奥さま方に印象が良いからな。担当営業って小さく紹介したい」
「載せるのは構いませんけど、イケメンって……」
「あら、いいじゃない! 桔梗さんは愛嬌があって親しみやすいし、お顔が載せてあったら好印象だと思うわ♪」
奥さまは正直だった。そう、僕は決してイケメンではない、愛嬌があるだけなのだ。普通すぎて安心するというか、会ってじわじわ好まれるタイプであって、広告でマダムの心を鷲掴むようなキャラじゃない。
「ここの白い壁をバックに撮るから立ってくれ」
「は、はい」
だが、広告に担当の顔を載せるのは、お客様が安心するからだという話を聞いたことがあった僕は、リップサービスに反応するのはやめて、大人しく壁の前に立った。
「笑って」
カメラを構える石川さんを見る。
『ねぇ、笑って』
ふと、夏目の声がした。いつだったか……病室で、お母さんがやっと持ってきてくれたというカメラで、夏目は僕を撮った。あの日の記憶と今の景色が、なぜか重なった。
「お、おい……」
「桔梗さん、大丈夫ですか?」
「え……あ……」
涙が出ていることに気が付き、慌てて手の甲で拭いた。
「すみません、佐藤さんと初めて会った日のこととか思い出しちゃって……僕……」
「いえいえ、親身になって対応してくださって、私も妻も、桔梗さんには心から感謝しているんです。本当に素敵な家を建ててくださってっ……」
ウルウルし始めた佐藤さんには申し訳ないと思いつつ、僕はしばらく感無量なフリを続けた。なんとか誤魔化せて良かったけれど……石川さんと一緒にいると、夏目のことを思い出してしまい仕事に集中できないことが分かった。なるべく離れた方がいい、一緒に仕事をするのは危険だと思った。
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