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【47】 『ほら、夏の思い出だ。』

花が咲く時期に、また共に海へ来ようなどと約束できる関係じゃないのだ。 俯いた錦を気にした風もなく男は砂浜を歩く。 そして途中で屈んで何かを拾い上げ錦に差し出す。 「ほら、夏の思い出だ。」 螺旋した桃色の貝殻を繋いだ錦の手に乗せる。 ぽかんとした錦の髪を撫でて「見てごらん」と砂浜を指さす。 小さな巻貝が砂に埋もれていた。 図鑑でしか見たことが無いそれが珍 しくて拾い上げたら、彼は「一つじゃ寂しいからもっと拾おう」と一緒に貝殻を探した。三つの大小の巻貝と白色の二枚貝をひとつ。男がくれた桃色の貝殻を大事に抱きかかえながら、淡いオレンジ色の巻貝を男に差し出した。 お前にやると渡せば、錦君とお揃いだねと破顔した。 男はポケットからハンカチを出して、拾い上げた貝殻を包み錦に渡してくれた。 大事そうに胸に抱えてると、何度か頭を撫でられた。 左手でハンカチの包みを胸に抱き、右手で男の手を握ると驚いたようにこちらを見下ろす。じっと見上げると笑いながら手を握り返された。 二人で手を繋ぎながら砂浜を歩く。 自然と笑みがこぼれる。 この瞬間が、続けば良い。 幸せだと、確かに思ったのだ。 「漂流物があると面白いんだけど、あまりないね。」 「漂流物?」 「石とかゴロゴロ転がっているような砂浜だと、ウニの殻とかヒトデとかジュースの瓶やシーグラスとか見つかるんだけどね。勿論中には危険物とかもあるから、何でも拾って良い訳じゃないけど、良いインテリアになるよ。あぁ、でも、折角君と来てるんだから綺麗な砂浜の方が良いか…」 「俺は別にどんな海でも良いぞ。滅多にこれないからな。」 「そういう時はね君。『お前と一緒ならどんな海でも良い』と言おうよ。」 波打ち際までくると海藻が波と共に足元に流れつき砂浜に残される。 「藤壺だ。」 小さな岩を拾い上げると小さなフジツボが沢山うごめいている。 気持ちが悪いと顔を顰めると男が笑い、海へ放り投げた。 オレンジに染まる海と空が綺麗で二人は無言になった。 「帰らないとね。」 「…もう少しだけ。」 「帰りたくない?」 「うん。」 「じゃぁ、もう少しだけ。」 夕焼けに染まる男の横顔を見ていたら、ふいに水族館で見せた瞳を思い出す。 何かを手繰り寄せる様な、遠くどこか別の世界を見ているような瞳。 男は海と空の境目を見ている。 何を考えているのだろうか。 あの時、何を見ていたのだろう。 男のあの遠くを見るような瞳は何だったのだろうか。 何かを思い出していたのだろうか。 錦は男のことなど何一つ知らない。 年齢も、名前も、何も知らない。 この夏休みが終われば男の手を離せば、名前の分からない男との思い出はどうなるのだろうか。

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