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【61】眠る振り

独特の匂いを発しながら、雨上がりの空気はじっとりと重く肌に絡みつく。 霧はだいぶ晴れてはいるが湿度が高く清々しさの欠片もない。 車の後部座席に荷物を乗せて、来た道を引き返した。 途中、男が別荘に持ち込んだ私物を送るために配送業者へと立ち寄る。 移動中に男が何時もの調子で何かと錦に話しかけてくるが、眼を閉じて眠る振りをした。 そういえば、ここに来るとき男と話すのが面倒で寝ていた気がする。 貝殻の入る箱を持つ手に自然と力が入る。 錦に話しかけていた男も、やがて何も話さなくなった。 3時間は過ぎただろうか。 浅い眠りと目覚めを繰り返して、朦朧としていた頭で海岸線を見ていると、男と歩いた砂浜を思い出して何だか悲しくなった。 時間をかけて景色が次々に変わるのを上の空で見ていたが、太陽の位置が少し変わり景色が見知ったものになり急に閉塞感を感じる。 四角に刈り込まれた垣根。似た様なデザインの家が4件並ぶ。 ――男と出会った場所を通りがかる。 あの時と同じように児童遊園の入口に並んだ自転車。 数人の少年が走り回り一つのボールを追いかけている。 男が声を掛けてきた自動販売機前を通り過ぎるとき、あの時の自分がまさかこんな風に男を慕うなどと夢にも思わなかった。 そして見慣れた住宅街へと窓の外の風景が変わる。 並ぶ高塀、白壁や黒塀の建築物と石畳の舗道は重要伝統的建造物群保存地区に選定されてもおかしくはないと思える様な風情だ。 さらに進めば少しずつ道が狭くなりやがて民家はなくなり、道の両脇に竹藪が続く。 そして住宅街最奥に、高塀に囲まれた重厚な造りの日本家屋がみえた。 ――朝比奈家の屋敷だ。

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