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出逢い編その7

 食事を済ませてから輝は自室にエイトを招いた。そして1枚のA4サイズの紙と手帳、そして分厚いファイルを渡す。 「これは?」 「雇用契約書と執事長の手帳、使用人のマニュアルだ。大体の事はこの手帳とファイルに書いてある」 「これを全部読めと?」  エイトは心底面倒臭そうな顔をした。輝は嫌なら出て行けと言ったが、エイトにはいはいと躱される。一方的に輝が「この屋敷に住まわせる代わりに使用人として働け」と言ったが、それ自体に対する反発は今のところない。 「貴方、本気で私を使用人として雇うおつもりですか? 正気ですか?」 「何もせず今すぐこの屋敷を去って金輪際顔を見せず今後一生僕にとって無害であればそれが1番良いけど?」  輝は一息でそう返した。何が可笑しいのか、エイトは声を出して笑う。何を言ってもこの男はノーダメージだ。エイトに声を荒げるのも議論に発展させるのも体力の無駄である。10数年生きていてここまで「面倒臭い」と思うのは初めてだった。 「良いですよ。使用人でも何でもやりましょう。私無しでは生きられない貴方にできますからね」 「常にお前が僕に跪き続けろと言っているんだがな」 「ええ。それでも貴方の生命も身体も生活も、貴方の全ては私のものであり、如何するかは私の自由だ。殺されたくなければ適度に機嫌を取ることをお勧めしますよ」 「嫌だね」  強気にフンとそっぽを向く輝を見てエイトがクックッと笑う。声を殺そうとして漏れているのがまた輝の苛立ちを募らせた。そんな心境の輝と違って、エイトは随分人生楽しそうだ。 「この紙を書くだけでいいんですか?」 「ちゃんと本名フルネームで署名しろよ」 「本名……フルネーム……」 「どうした? まさか文字が書けないのか?」  記名欄を見てエイトは手を止める。輝はここぞとばかりに馬鹿にするようにエイトを煽った。 「馬鹿にしないでください。日本語は当然習得済みだ」 「じゃあ何? まさか自分の名前忘れたとか?」 「忘れたんじゃない。コードネーム以外の名前を知らないんですよ。最初からあったかどうかも分かりません」 「は?」  エイトは記名欄を飛ばして他の欄を書き込んでいく。生年月日は分かっているらしい。だが住所も無かった。1箇所に定住してるわけではないのだろう。だが名前が無いとはどういう事だろうか。コードネームの存在は裏社会の組織が出てくるような小説で知っていたが、まさか本当に現実で聞くとは思わなかった。 「お前のコードネームとやらは何だ? それを名前に使えるなら使えばいい」 「エイト。字で書くと英語の8の綴りですよ」 「ふうん」  流石にそれはそのまま使えないだろう。だが漢字を当ててしまえば良いと思い、輝は通学鞄から適当な紙を取り出して余白に「瑛人」と書いた。真っ先に思い付いた漢字だ。他にもいくつか書いてみるが、どれもしっくりこない。嫌がらせも込めた字を使ってやりたい気もするが、きっとこの先も使うだろうし、他所で名乗った時に輝のセンスが悪いとも言われたくない。5分程悩んだが、初めに書いた「瑛人」の字に丸を付ける。そしてA4の白いコピー用紙に筆ペンで再び大きく「瑛人」と書いてエイトに見せた。 「これが周藤家執事であるお前の名前だ。異論はないね?」 「私の……?」  エイトは大きく目を見開いて紙を見る。輝は何も言わないエイトを急かすように聞いた。 「何か文句でも?」 「いえ、ありません」  エイトが静かに輝の前に跪く。 「誠心誠意お仕え致します。輝様」 「その言葉が嘘じゃない事を願うよ」  その時から、豪邸に住む少年と、少年以外の豪邸に住む者達を惨殺した殺し屋のまともとは言い難い主従関係が始まった。 ――出逢い編 終――

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