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出逢い編その6

 輝が再び目を覚ましたときは、もう部屋は明るくなっていた。午前6時半を過ぎたところだ。 「おはようございます」  当然のようにエイトはベッド脇から輝の顔を覗き込んでいる。何を言ってもエイトが聞く耳を持たないのを分かっている輝は、害虫を見るような視線を向けた。それに動じる事なく、エイトは輝に問い掛ける。 「朝食はどうしましょうか?」 「何も無いのか?」 「厨房らしき部屋に大量の食材がありましたよ」 「ならお前が作れ」  輝が命令すると、エイトは自分が作るなど夢にも思わなかった、とでも言いたげな顔をした。 「良いんですか?」 「良いも何も、お前が使用人まで殺したせいでコックがいないんだろうが! 洗濯と掃除をするメイドも、僕を学校に送り迎えする運転手も、朝起こしてくれる執事も、誰もいない。どうやってこの広い家で生活していくんだ?」 「1人では何もできない、典型的な金持ちの子供ですね」  エイトはフンと鼻で笑う。輝は沸き上がるエイトへの怒りを押し殺し、顔を背けて「させてもらえなかったんだ」と言った。 「どういう事ですか?」 「周藤家の人間は働かずして贅沢な生活ができる選ばれた人間だ、家事は貧乏人にやらせるものだ、だからお前は何もしなくていい、ってな」 「貴方はその教えに従ったんですね」 「両親に従ったんじゃない。僕が頼んでコックに料理の1つでも習おうとすれば罰を受けるのはコックの方だ。だから何もしなかった」 「ふむ。親が怖くて逆らえなかったと」 「お前……っ」  エイトは顔色を変えず、飛んできた拳を顔の前で受け止めた。輝はすかさず脛に蹴りを入れる。エイトの顔が一瞬だけ歪んだのを見て、輝の気分は少しだけ晴れた。 「あんな両親からよく今の貴方が存在しているものだ。よく両親と同じ考えを持ちませんでしたね」 「生まれた頃からずっと使用人を見てきたから。それに、学校に行けば色んな人がいた。両親が異常だって気付いたのは早かった方だろう」 「なるほど。貴方は少々賢かったという事ですか」 「馬鹿にしてるな?」  エイトはニィ、と口角を上げただけだった。間違いなく輝を馬鹿にしている。しかし一々突っかかる気にはならなかった。どうせエイトに輝の気持ちは分からない。同じ言語で会話をしても話の通じない人間がいる事を、輝は嫌と言うほど知っている。 「とにかく、お前が来てから何も食べてなくてお腹が空いたんだ。早く作れ」 「承知しました」  エイトはわざとらしく執事を真似たお辞儀をして寝室を出ていった。輝は歩くにはまだ痛くて重い体を引き摺り、シャワーを浴びて着替える。先程エイトに殴り掛かった気力が何処からきたのか分からないくらい疲れていた。  無駄にだだっ広い家の中には誰もいない。カーテンを開けて起こしてくれた執事も、笑顔で「おはようございます」と挨拶をしてくれたメイド達もいない。焼きたてのパンの美味しそうな匂いはしないし、輝が学校に行く為の準備もできていない。本当にただ広くて明るいだけの、ひどく静かな空間だった。全部、エイトが奪ったのだ。  代わりに、夕食のメニューに我儘を通そうとする父も、朝から使用人に嫌味や小言を言う母もいない。聞き飽きた「お前の将来を思ってナントカをしてやったぞ」という決まり文句とともに掛けられる金と家の為の期待の言葉も、きついくらいの香水の臭いと作ったような甲高い声もない。全部、エイトが奪ってくれた。 「泣いているんですか?」  声と共にホットミルクに近い、良い匂いがした。振り返ると、深めの皿を2つ持ったエイトが立っている。 「ミルクリゾットが出来ましたよ。何処で食べますか?」  黙って食堂に向かい、定位置に座る。エイトは輝と向き合って座った。エイトは自分の分には手を付けず、輝が黙々と食べるのを見ている。 「何?」 「毒が入っているのを疑わないんですか?」 「痺れ薬くらいなら入っていそうだけど、毒は盛らないだろ」  輝は手を止めずに答え、そのまま食べ続ける。 「何故? その根拠は何処にある?」 「毒殺なんて地味な殺し方は趣味じゃないだろうから」 「ご明察」  エイトは嬉しそうに笑った。何故そんな顔をしているのか輝には分からないが、人殺しの思考など興味は無い。  輝が半分程食べたところで、やっとエイトはスプーンを握った。

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