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第1話
帰宅ラッシュの波は去り、人がまばらになった駅は、まだ賑やかさが残っていた。
雲ひとつない夜空のはずなのに、星はひとつたりとも見えはしない。
改札口からまっすぐ延びる道の両側には、蛍光のネオン看板が奥に続くにつれ光を増した。
居酒屋や洋酒専門のバーが軒を連ねるこの通りは、夜中にかけて盛り上がりが増す。
仕事を終えたサラリーマンが、同僚たちと飲み歩くには最適な場所だった。
けれど一緒に飲む相手もいない俺なんかは、この雰囲気がひどく嫌いだ。
酔って千鳥足になった男は、ぶつかってきても知らぬ顔をしなければならない。
文句ひとつ言ってみれば、それはもう取り返しのつかない騒ぎになる。
疲れた体をこれ以上痛め付けるなんてことはしたくはないし、喧嘩をするほど勇気も根性も俺にはなかった。
繁華街の奥にあるアパートは破格の値段で貸し出されていて、安月給の会社員は泣いて喜ぶ物件だ。
運良く部屋を借りることのできた俺だったが、ようやくその値段の理由を知る。
アパートへたどり着くには、どうしてもこの賑やかな場所を通らなければならないのだ。
客引きを避けるのは毎日のことで、入れ替わる店員は俺の顔など覚えてはいないから、常に声をかけられる。
今日もすでに数人から営業スマイルを振る舞われて、看板メニューのチラシを無理やり手渡された。
その辺に捨てるわけにもいかず、折り畳んでジャケットのサイドポケットへ押し込む。
手を抜いた拍子に定期ケースが落ちて、それを拾い上げようと屈めば、ふいに腕を取られた。
「お兄さん、寄っていかない?」
ぎくりとした俺は顔をあげて、傍へ寄る相手を一瞥する。
にこりと笑いかける青年は黒一色の服装で、おれの腕を掴む手は白が際立って見えた。
定期ケースをサイドポケットに戻しながら、まだ手を放さない相手をまじまじと見つめる。
くせ毛のように見える少し長い髪は、服装と同じく真っ黒だ。
見つめる瞳でさえ濃く深い色で、全身が夜の闇に溶けてしまいそうだと感じた。
けれど彼には、おかしな部分がひとつだけある。
それは頭の上に、猫の耳を模したカチューシャをつけていることだ。
柔らかそうな髪を押さえつけたそれは、彼の一部とでもいうような、黒い色をした猫の可愛らしい耳だった。
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