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第26話

『辻 藍樹君を出向社員として、我が社で預かりたい』 通達が来たのは、御木本と体を繋いだ翌日だった。 『我が社で学ぶ事は多いと思う。出向先はカナダだ』 ……お前が条件を飲めば、兄を解放する。 御木本の狙いは、俺が三上との縁を完全に断ち切る事。 海外に行けば、俺と三上の接点はなくなる。 『向こうで俺と暮らそう』 先に行っている。 待っていると言い残して、御木本はカナダに飛んだ。 『やり直そう。藍樹』 「藍樹君。今日、出発だろう。忙しい時にいいんだよ、挨拶なんて。上には話を通している」 「いいんです。課長。お世話になったホテル・モナルヒを最後に見たくて」 「最後って……出向なんだから。君は戻ってくるんだよ」 「はい」 曖昧に頷いた。 御木本の目的は俺なんだ。 きっと、もう…… カナダに行ったら、戻れない。 今日が俺のエグゼクティブ・バトラー最後の日だ。 「お世話になりました。ありがとうございます」 この部屋を出て……あぁ、そうだ。 連れてこられたんだった。 ここ。 角部屋のスイート……二人だけの思い出の場所。 (ここを次に使うのは誰なのだろう) 俺達の思い出の場所が上書きされる。 思い出が消えていく。 「君は?」 振り返った。 「どうしてッ」 なんでッ なぜッ 一体どうしてッ (あなたがここに) 「ここ、入っていいですか?」 レンズの向こうの瞳は緋色 この部屋に 俺達の思い出の部屋の前に あなたが戻ってきた。 「失礼。自己紹介がまだでしたね。社史編纂室室長の三上です」 あなたは…… 「この部屋、私の職場なんです」 眼鏡の向こうの赤い瞳が柔らかに微笑んだ。 あなたは『三上』じゃない。 三上の顔をしているけれど、あなたには…… 「MSS三上……」 「えっ」 「なんでもない」 そういう事なんだ。 あなたの中に俺はいない。 (記憶、喪っているんだね……) 意識を封じられているという事は、そういう事なんだ。 あなたの赤い瞳は俺を映している。 俺を見ているのに。 俺の知っているあなたは、 愛してくれたあなたはいない。 (良かった) あなたなんか愛さなくて…… 「好きだよ」 だから言えるんだ。 あなたなんか愛していないから。 この言葉は嘘になる。 嘘だから伝えられる。 「さようなら」 彼岸花が揺れている。

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