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第22話 約束の地
雪弥はずっと戸惑い続けている。
隆文が突然、目の前に現れて、雪弥の全てを受け入れようとする展開が訪れたのだ。
雪弥にとって隆文は元々、憧れていた存在であり、その時の感情が少しずつ蘇ってくると、喜ばしいような状況に思えた。しかし、色々あった事を踏まえると、素直になるのもどうかと思い、相手の出方を見るしかない状況になっていた。
――今ひとつ、恋愛感情が伴っているのかも分からないし…。
気持ちを誤解して、傷付くなんて真っ平だと思う雪弥だった。
――このまま、遣り過ごすって手もある…。
微妙な距離間を維持しつつ、時折、佐藤家の人々も交えながら、雪弥は隆文へ普通に接するように心掛けた。普通――よりは少し、冷たいあしらい方になっていたかも知れないのだが、その所為か、二人の間には何の進展もまいままに、隆文が帰ってしまうタイムリミットが差し迫って来ていた。
隆文が寝泊まりする最終日、夕食は佐藤家で一緒に食べ、入浴は別々に佐藤家が管理する温泉で済ませた。
後は寝るまで雪弥の部屋に二人きりだ。初日の夜以来、触れていなかった恋人になる件を、それとなく持ち出してみたくなった雪弥だったが、躊躇いの方が大きく、自分から言うのはやめようと思い直した。
「お茶でも淹れようか?」
大き目のスポーツバッグに荷物を仕舞い込んでいる隆文に、雪弥は声を掛けた。
「うん。有難う…。」
返事を聞くと、雪弥はポットのお湯から、二人分の緑茶をマグカップに淹れた。小さなトレイにそれを二つ並べて、畳に直に置く。
「明日は何時に出るんだっけ?」
隆文とは少し距離を置いて座った雪弥は、明日の予定を気に掛けた。
「朝、九時には出ようと思ってるよ。」
隆文はトレイのマグカップに手を伸ばし、雪弥の近くに座り直した。
お茶を一口啜った隆文は、急に思い詰めたような顔になった。それからカップをトレイの上に戻すと、雪弥を正面から見つめてきた。
「あのさ、ここ来た最初の夜に話した、こ…恋人になる件なんだけど…。」
ドキリとさせられた雪弥は、思わず目を逸らしてしまった。
「あ、うやむやにしちゃうとこだったね。…その方が後悔しないと思うけど?」
雪弥は隆文に対して、逃げ道を作ってやった。ただの気の迷いかも知れないのだ。
「いや、うやむやには出来ないし、後悔もしない!」
隆文は脇目も振らず、直進してくるような答えを返してきた。
それならば、試してやらなければならない、と雪弥は挑戦的な態度に出る。
「…じゃあ、僕とキス、出来る?」
出来なければ、そこでこの話は終わりだ。
「…してみても、いい?」
隆文の手が雪弥の肩に触れる。
「いいよ。」
駄目だとは言えず、雪弥が了承すると、隆文の、思いの外、柔らかな唇に優しく口を塞がれた。
舐めるように唇と歯列を割り、隆文の舌が侵入してくる。戸惑う雪弥の舌を、導くように絡め取るそれに、雪弥は抗えなくなってしまった。
思わず声を洩らしてしまった処で、雪弥は慌てたようにして隆文を突き飛ばした。
「これ、童貞のキスじゃないだろ!?」
心に思った事を、そのまま口に出すと、隆文が困ったような顔をした。
「え!?いや、…まあ、ほぼ童貞みたいなもんだけど、キスは嫌がられた事、なかったからさ…。」
隆文に数人の女性の影が見え隠れした気がして、雪弥は不快な顔をした。
「あ、そう…。それじゃあさ、その先の事も考えてる?」
合格点のキスをした隆文に対し、雪弥はハードルを上げてみる事にした。相手がいると不能になるという、隆文の現状を踏まえているので、少し意地悪な問いでもある。
「え…?先?…うん。あの、…雪弥が許してくれるなら、頑張るよ。」
顔を紅潮させた隆文は、意欲的な態度を見せてきた。それには、雪弥の方が怖気づいてしまう。
「…今日はしないけどね。」
「ああ、うん。…急だもんな。…ゴムも無いし。あ、いや、メンタル的な話だよな!」
「そういう事にしておく…。」
体が女性で、何の準備も必要がなければ、このまま許していただろうか、と雪弥は秘かに考えてみる。考えただけで答えは出さず、雪弥は隆文との可能性に意識を移した。
――鹿倉に抱かれるなんて、二度とないって思ってたのにな…。
少しの間が空き、雪弥が言葉を探していると、隆文の方が口を開いた。
「ちゃんと…言ってなかったから言うけど…。俺、雪弥の事、好きだから。その…恋愛的な意味で…。」
「…え?」
雪弥は思わず訊き返してしまった。
「もし、受け入れてくれるなら、俺の一生を掛けて、大事にしたいって、思ってるから…。」
そう言って隆文は、雪弥を引き寄せ、再び接吻 て来た。今度は雪弥も積極的に、それを受ける。
もっと、ひとつになりたいと体が密着すると、相手の昂りをお互いに感じる事が出来た。
隆文の手が極自然に、するりと雪弥のパジャマの中に入ってきて、脇腹と胸の近くを撫でた。それが下へ移動しそうになるのに気付くと、雪弥はその手を掴んで阻止する。
「今日はしないって、言ったよね?」
優しく咎めると、隆文は直ぐに反省の色を浮かべた。
「ご免…。出来そうな気がしたら、つい…。」
一旦、離れた二人は、程よく冷めてしまったお茶を口にしてから、リスタートする。
「男同士で結婚って、どうしたらいいんだ?」
唐突な問いに、雪弥はお茶を吹き出しそうになった。無理に飲み込んで、軽くむせる。
「…ど、どうって。…日本だと、今の処、一部の地域でパートナーシップ制度があるから、それに申請すれば、結婚に近い形にはなると思うけど。…あとは同性婚認めてる国で、式を挙げるとかは可能なんじゃない?」
「そっか…。」
隆文は深く頷いているが、雪弥の方は先程の答えを自分達に当て嵌めるのは、時期尚早だと感じた。
「鹿倉さ、僕がまだ、返事してないって事、忘れてない?」
雪弥の言葉に、隆文は不意に釘を刺されたかのような、衝撃を受けた面持ちになった。
「さっきのキスが…答えだと思ってた。」
「それでいいの?」
隆文は頭を振る。
「いや、ちゃんと答えが欲しい。」
真剣な眼差しに、雪弥は再び戸惑い始める。
「返事は…明日、するよ。」
そう焦らしておきながら、雪弥は一組だけ布団を敷いた。
「今日は一緒に寝ようか。」
返事を保留にしながらも、誘っているような雪弥の姿勢に、隆文は困惑気味になった。
「…狭いから、抱き合って寝ることになるけど?」
「うん、後ろから抱き締めてよ…。」
隆文は雪弥の我儘を聞き入れた。
狭い布団の中で、横向きに寝た雪弥の体を、背後から包み込むように隆文は抱き締める。
灯りの消えた中、二人は相手の体温や匂い、体の形に意識を持っていかれた。
――悪くない…。寧ろ、いい…。鹿倉は僕に、ちゃんと反応してくれてるみたいだ…。
雪弥の臀部の辺りには、熱く質量の増したような塊りが感じられた。それを確認したくなった雪弥だったが、ぐっと堪える。手を出さないのが、今の暗黙のルールだ。
「…あ、当たってるよな?ご免!」
察したように、腰を少し引こうとする隆文に、雪弥はわざと腰を密着させる。
「いいよ。ソレ、感じながら眠りたい。…鹿倉が我慢してるの、楽しい。」
「…酷いな。」
そのままの姿勢で、二人は眠りに落ちた。
そして翌朝、向かい合って抱き合うような恰好で目を覚ました雪弥は、そのまま隆文が起きるのを待った。
しかし、隆文が目覚めると、告白の返事をして、それから彼を見送らなければならないのかと思うと、少し複雑な心境に陥った。
そうこう思い倦 ねていると、隆文のスマートフォンのアラームが鳴り、彼が目を覚ました。
アラームを止めた隆文は、雪弥を逃がさないように抱き締めてくる。
「おはよ…。ねぇ、…返事、聞かせてよ。」
「いきなり?」
「じゃあ、俺の方から、もう一度言うよ。」
そこで隆文は改まった顔になり、言葉を続けた。
「…雪弥、好きだ。一生、大事にする。だから俺と付き合って下さい。」
不意に雪弥は、涙が込み上げてくるのを感じた。嬉しさよりは、辛い現実を思う気持ちの方が強い。
「一生って、…そんなプロポーズみたいな言い方はやめてよ。男同士だし、君はゲイではないし、いつ気が変わったって、おかしくないんだ。…だって、世間に公表できる関係じゃないんだよ。」
「いや、これはプロポーズだよ。同性婚認めて貰える所に二人で引越して、二人の関係を公表して生きてくのも有りだと思ってる。俺は雪弥となら、出来るよ。」
淀みない隆文の言葉には、強固な意志が窺えた。
――信じてもいいの…?
暫くの逡巡の跡、雪弥は不安な気持ちを、かなぐり捨てる事にした。
「…わかったよ。…僕も君の事、大事にしてあげるよ。」
雪弥の少し上からの返事に、隆文は感極まったように、更に強く抱き締めてきた。
「じゃあ、約束して。…俺が迎えに来るまで、ずっとここに居るって。」
「…うん、約束する…から、力、緩めて…。」
隆文が全てを捨てて、雪弥を迎えに来るのは、そう遠くない話。――
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