21 / 22

第21話 街中

 翌朝、隆文が目を覚ますと、隣の布団に寝ていた筈の雪弥は居なくなっていた。布団は抜け出して、そのままの状態といった感じだ。  慌てて時刻をスマートフォンで確認すると、八時半を過ぎた処だった。雪弥はカフェに出勤してしまったのだろうと思う。  昨夜、というよりも、今日の明け方前、隆文は急に目を覚ました。そして、横で寝息を立てる雪弥に気付くと、不思議な気持ちになったのだった。 ――これ、現実だよな…?  隆文は雪弥に対して、最初はただ、再会して過去の過ちを謝罪したいだけだった。  それが、十年振りに実際に会ってみると、謝罪するだけでは済まなくなった。  雪弥の身に起こっている悲劇を知り、彼の涙を目の当たりにした時、連れ去りたい衝動に駆られてしまったのだ。  そして、また彼が、自分の前から去ってしまうと思った時、どうしても繋ぎ止めたくなってしまった。  それでも、彼に嫌われているという自覚のあった隆文は、彼を引き止める事は出来ず、行く宛てのなさそうな彼に、田舎で民宿を営む親戚の住所を手渡すのが精一杯だった。  彼が一瞬でも立ち寄ってくれたら、引き留めて貰い、直ぐにでも飛んで行くつもりだった。もう一度会えたら、もっとゆっくりと彼と話をしたい、そう願った。確実性の無い、一縷の望みだと思いながら。――  そして雪弥は今、隆文の直ぐ傍に居る。  隆文は感慨深げに嬉しさを噛み締めると、それから改めて、彼がゲイだとカミングアウトした件に思考を移した。  それは隆文が考えてもみなかった事だった。 ――雪弥はずっと抱かれてきたから、これからも抱かれる方しか出来ないってコト…だよな…。  そして男同士で恋仲になる事を、雪弥と自分で想像してみた。 ――多分、なれる。…って言うか、一回、シてるしな。…勢いとは言え、中三の俺、やっぱ、信じらんねぇ…。でも、雪弥、可愛かったし…。  大人になった今だが、他の男相手なら考えられない行為も、雪弥となら大丈夫な気がしてくる。  そう考えると、薄っすらと見える雪弥のシルエットに、隆文は急に触れてみたくなった。  しかし、短い葛藤の後、それを諦める。 ――俺が泣いて寝落ちなんかするから、話、進められなかったんじゃないか…!  昨夜は、やっと過去の罪を許して貰えた実感が湧き、涙が溢れて止まらなかった。  雪弥の優しい言葉が、隆文の中に頑なに居座り続ける罪の意識を、溶かし、解放してくれたのが効いたのだった。    その事を反芻し直すと、雪弥の方を向いたまま、再び隆文は眠りに落ちたのだった。  隆文がパジャマ代わりのスウェットから、セーターとジーンズに着替えた頃、静かに扉が開いた。 「まだ寝てるかと思った…。」  雪弥だった。ダウンジャケットの下はネルシャツとジーンズといった、カジュアルな恰好をしている。 「おはよう。…昨日はご免。」  取り敢えず隆文は謝った。 「うん。…今日、僕はカフェの仕事、休みになったから。その代わり、鹿倉と二人で買い出しに行って来てって。」 ――うん…って、それで終わり?  雪弥の何事もなかったような素振りに、隆文は昨夜の雰囲気を取り戻せなくなる。 「え!?それ、休みになってないじゃないか。…普通、休みは自由行動だろ?」 「…自由行動だったら、僕は鹿倉と一緒に居ないけど?」  相変わらずの冷たい言葉が返ってきた。隆文は苦笑してみせる。 ――中学の頃の雪弥は、もっと愛想がよくて、向こうから来てくれる感じだったのにな…。  隆文がそう思った矢先、雪弥が鋭く指摘してくる。 「今、僕の事、昔は素直でいい子だったのにって、思ったんじゃない?」 「いや、まあ…少しだけ。」  隆文が肯定すると、雪弥は小さく溜息を吐いた。 「あの頃の僕は、君に好かれようって必死だったから…。」 「今は条件が違う…?」 「そんなとこ…。」  はにかんだんような笑顔を浮かべた雪弥に、隆文は少しだけ安心させられた。  軽い朝食を佐藤家の食卓で済ませ、二人は澄み渡る青空の下、佐藤家のガレージに赴いた。  公隆の白のSUVの扉に雪弥が近付くと、アンロックされた音が鳴る。隆文は雪弥が車のキーを持っているのだと、改めて気付いた。 「雪弥、運転…出来るのか?」 「日本の免許じゃないけどね。」  そう言って、雪弥はスウェーデンで取得した、国際運転免許証を見せた。 「鹿倉は…?」 「俺は免許は持ってるけど、車は持ってなくて、運転は自信がないかな…。」 「そうなんだ。」  雪弥はどこか勝ち誇ったような笑みを見せる。少しだけ悔しく思った隆文だったが、なんとなく下手に出ておく方が、いいように事が運ぶ気がした。  SUVが走り出す。昨夜の雪の名残りは全くないとは言えないが、道路に問題はないようだった。  雪弥は話し掛けられないくらい、真剣な顔で運転している。隆文はそんな彼を、無言で見守るしかなかった。  十五分程、走り続けていると、景色の中にコンビニエンス・ストアやファスト・フードのチェーン店の看板が見えるようになった。道路も大きくなり、車線も増えると、雪弥の顔は更に険しくなっていく。  カーナビの指示を二度ほど間違えて、漸く二人を乗せたSUVは、目的地の大型ホームセンターへと辿り着いた。  駐車場でエンジンが完全に止まった処で、隆文は労いの声を掛ける。 「お疲れ…。」 「うん…。」  雪弥は頷くと、スマートフォンを取り出した。 「効率よく、二人で手分けして、買い出ししようと思う。…それで、このメールを君に転送したいんだけど。」  雪弥は買い物リストの書かれた、メールの画面を見せる。  隆文はドキリとした。アドレス交換が極自然に行えるのだ。 「…番号の方も教えて貰っていい?」  交換する前に、隆文は交渉してみる。 「ほら、ここって広いから、一旦、離れたら、出会えなくなるかも知れないだろ?」 「大袈裟だな。別にいいけどね。」  あっさりと交渉は成立した。  別行動は少し寂しい気がした隆文だったが、雪弥の連絡先が手に入った事に心が躍った。 「金って、立て替え?」 「立て替えで。お金、持ってる?」 「持ってるけど。…何、買わされるんだ?」  雪弥は早速、公隆から届いた買い物リストのメールを、隆文のアドレスに転送した。  その内容に隆文は眉を顰める。 「電動ノコギリ…広告の品…。」 「それは多分、亮太郎さんの欲しい物だね。…食料品関係と備品関係で分担するけど、どっちがいい?」  選択肢を提示された隆文は、備品関係を担当する事に決めた。 「それじゃあ、大体二十分後ってとこかな…?」  二人は別れて、それぞれ目的地へと移動した。 「電ノコで一気に、かさ張った…。」  予定の時刻を十分程上回り、隆文と雪弥は買い物を終えて、駐車場の(SUV)の前で合流した。 「…帰ったら、後は暇?」  カーナビを佐藤家に設定中の雪弥に、おずおずと隆文が声を掛ける。 「多分…。」 「じゃあ、一緒に出掛けないか?」  隆文が思い切って誘ってみると、雪弥は意地悪を言いそうな顔で間を持たせた。  それから軽く溜息を吐き、雪弥は口を開く。 「いいよ。」 「…いいのか?有難う。」  隆文が礼を言うと、雪弥は少し驚いた顔をした。 「…有難うとか、言っちゃうんだ?」 「言うよ。…本当は俺と一緒に居たくないんだろ?」  雪弥は答えずに笑った。  隆文は過去や近況についての話を、少しずつ話していく。雪弥もそれに絡めて、自身の過去を語ったりした。  その度に隆文は、あまり掘り下げて訊かないように気を遣った。雪弥の過去には、彼の叔父が深く関わっていると分かっているからだ。 「…僕と栄志さんの話は、訊かないようにしてる?」  察したように、雪弥が尋ねた。 「うん。今はいいかな…。話したいのか?」 「いや、今はいいかな。」  隆文は雪弥の中に巣食う、叔父の存在の根深さを感じ取り、人知れず心を痛めた。  忘れさせたい、そう切実に思う。

ともだちにシェアしよう!