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第20話 雪弥の部屋
隆文が雪弥の部屋を訪れたのは、分かれた二時間後の、十一時を回った頃だった。
スウェットにダウンジャケットを羽織っている隆文は、佐藤家で風呂に入って来たようだ。仄かに石鹸の香りが漂ってくる。
「待った?」
「全然、待ってなかったけど、どうぞ。」
パジャマ姿で出迎えた雪弥は、風邪を引かせないように、速やかに六畳一間の部屋に上げる。
つい先程、隆文の伯父である亮太郎が、布団をもう一組持って来てくれたので、なるべく間を空けて敷いてみた雪弥だった。
その布団の敷かれ方を見つめていた隆文が、片方の布団に手を掛ける。
「ストーブにちょっと近くないか?」
雪弥の気遣いを他所に、隆文が二組の布団をぴったりとくっつけてしまった。
「気持ち、離さない?」
「気持ちを話す?」
「いや、布団を離す。」
状況を理解したのか、ハッとした隆文が、布団を30センチほど離した。
二人はそれぞれの布団の上に座り込む。
「…で、いつ帰る予定?」
雪弥に問われ、隆文は困ったような顔をした。
「え?もう、俺が帰る話?」
「いや、予定、聞いておこうと思って…。」
「ああ、そうだよな。…三泊する予定。俺的に今、正月休みな感じかな…。」
隆文はふっと顔を綻ばせる。
「こうしてるとさ、俺達、また友達になれた気がするよ…。」
「気のせいじゃない?」
雪弥は冷たい態度を取る。なるべく心に壁を作ろうと、シミュレーションの結果、決めた事だった。
「俺は友達じゃないのか?」
隆文の顔が神妙な面持ちに変わった。
「どっちにしても、…僕が欲しいのは友達じゃないからね。」
友達はいらない、といったニュアンスで、雪弥は返した。
「友達じゃなかったら、…俺も雪弥の恋人になれるって事?」
隆文は違った意味に解釈したらしく、思わず雪弥は固まってしまった。
その反応に、隆文は慌てて謝る。
「…じゃ、ないよな。ご免…。」
雪弥は心に壁を保ったまま、問い掛ける。
「…なれるって言ったら、なってくれるの?」
「…なるよ。」
予想だにしていなかった答えに、雪弥は当初に決めていた、自身の振る舞い方を忘れてしまう。茶化せばいいのか、怒って見せればいいのか、方法を見失ってしまった。
「意味、分かって言ってる?同性を愛するって事なんだよ。」
「うん、分かってるよ。…でも性別とかじゃなくて、雪弥は特別なんだよ。だって、十年間、忘れられなかったんだからさ。」
「それは…罪の意識からだろ?」
「思い続けてたのには、変わりないから…。」
――そんな飛躍の仕方って、ある?
信じられないと思いながらも、雪弥の心の壁が、静かに崩れていく。
すると、自然に心情を吐露する気になれた。
「…中学の頃、サッカー部に入って、初めて鹿倉を見た時、一瞬で魅かれたんだ。男らしくて、大人びて見える君は、僕とは真逆の存在で、僕は君みたいになりたいって、ずっと思ってた。」
過去の記憶を辿ると、どうしても浮かんでくる光景がある。
「それなのに、俺は雪弥にあんな酷い事…。」
悔やみ始める隆文を、雪弥は遮るように彼の肩に手を置いた。
「聞いて。…栄志さんとの関係が、中一の夏に始まって、僕は君に秘かに助けを求めていたんだと思う。それと同時に、快楽に弱い、淫らな体のことは、死んでも知られたくなくて…。鹿倉にされた時、ショックもそれなりにあったけど、一番知られたくなかったのは、僕の…行為に慣れた体だったんだ。…君に暴かれて、もう、終わりだって思った。」
隆文が肩にある手に触れようとした瞬間、それは離れた。
「あの人が…雪弥の体を変えてしまったんだろ…。」
隆文の矛先が栄志に向くのを感じて、雪弥は当時の心境を打ち明ける。
「栄志さんの事、ひとつ弁明しておくとね、…僕がちゃんと抵抗したのは、最初の時だけだったんだ。後は、されるがままにされたし、自分から誘導する事もあった。…鹿倉も僕も、望まない初体験をしたのに、大違いだよね。」
雪弥は恥ずかしそうに俯くと、隆文との距離を少しだけ空けた。
「俺も、…まさか勃たなくなるとは思ってなかったよ。」
隆文も自身の事を、自嘲気味に吐露してきた。
「もしかして、僕の後、誰とも出来てない…とか?」
「まあ、そんな感じ…?こっちからは上手く始められなくて、だからって向こうから積極的に来られると、姉貴の友達、思い出してダメになるんだ。もう、…フェラからの騎乗位とか、絶対に無理なんだ!」
――ほぼ童貞って事…?
長身で精悍な顔付きをしていて、面倒見もいい隆文なのに、中身が草食動物過ぎて、これでは難攻不落な物件というよりも、残念感の方が勝ってしまっている感じだ。
「なんか…拗らせてるんだね。」
隆文自身に問題があるのだが、自分の所為でもあるのではないかと、雪弥は考え込む。
ふと、顔を上げた雪弥は優しい声で、ある提案をする。
「記憶を改竄してみない?…君は女子大生に、レイプまがいに初体験させられてしまったけど、その後、君に好意を寄せる僕と、セックスをやり直した。それで、どう?」
「雪弥は…それでいいのかよ?」
心なしか、隆文の声は上擦っている。
「…うん。君は十年、苦しんでくれた。だから、いいんだ。」
雪弥のその言葉を切っ掛けに、隆文は土下座をした。
「ご免!…本当…ご免…!俺さ、本当に馬鹿だったよ…。」
そのまま、ダムが決壊したかのように、隆文は泣き始める。
雪弥は好きなだけ泣かせてあげようと思い、それを見守る事にした。
そうして散々、泣いた後、隆文は寝落ちしてしまった。
その顔をタオルで拭いてやりながら、雪弥は彼を子供みたいだと思った。180センチ近い身長の、大人の男に対して、そんな感想を抱いた自分に、雪弥は思わず笑みを洩らす。
「ちゃんと布団の中で寝ないと、風邪引くよ…。」
雪弥が耳元で囁くと、隆文は寝返りを打つ感覚で布団に入った。手の掛からない、いい子といった感じだ。
――もっと、話したかったな…。
雪弥は隆文の寝顔を再度、確認してから、部屋の灯りを消した。
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