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第6話

「んっ、ん…はっ、ん…」  俺の口を割り開きながら、栗原さんが俺の体を床へと寝かせる。少しでも多く“ソレ”を流し込む為の角度だと分かっていても、どうにも押し倒されている様に思えてカッと顔に血が上った。 「何かあったら直ぐ連絡しておいで」 「わ、分かった」  素直に答える俺に栗原さんが笑って俺の髪を掻き混ぜた。 「じゃあ、また明日」  玄関を出て行った栗原さんの背を扉が閉まり切る最後の最後まで見送った後、俺はその場に崩れ落ち頭を抱える。 「あーーーっ、もう!!  何だこれヤバイ」  栗原さんが自身の過去を語ってくれたあの日から、どうにも俺は可笑しくなった。  調子が戻るまではと近くのホテルに泊まり込み、毎日治療にやって来る栗原さん。  そう、それは“治療”でしかないはずなのに、合わせられる唇が今までと何か違う気がして照れくさくて仕方ないのだ。  流し込まれる唾液を嚥下する度に、細胞一つ一つへと行き渡り、染み込み、浄化されていく。そんな慣れたはずの感覚が、鳩尾の辺りや背筋にゾワゾワとした妙なモノを走らせた。  相変わらず彼の心だけは聞こえない。  それが不安でもあり、逆に安心でもあり、俺の心は余計に混乱していく。更に彼の触れ方が優しく変化したことで、混乱は混乱を招き収拾が付かなくなっていた。  彼女の代わりにしたい訳ではないと言った、その言葉が素直に嬉しかった。  心が読めないから本心かは分からないが、何故か栗原さんの言葉は信じられる様な気がした。  今まで散々な態度を取ってきた俺を、あの人は見捨てたりしなかった。  遠くから慌てて飛んできて、濡れる事にも、汚れる事にも躊躇いを見せること無く俺を看病してくれた。  その上落ち込んだ俺を慰める為なのか、聞かれたくない過去まで晒し、助けたいと言ってくれた。  店長との拗れた関係に疲れ、弱っていただけかもしれない。それでも、栗原さんのその姿は俺の中を大きく変えて行く。  そして、微かに伝わる彼の苦しみに心が揺れる。  何度も言うが、栗原さんの心だけは聞こえない。そう、聞こえないはずなのに、俺は確かにあの日、彼の心の叫びを聞いた気がした。 『ここから助け出してくれ』  差し出された栗原さんの手だけは拒絶してはいけない。この手を放してはいけない。彼を孤独から引きずり出してやらないと…  そんな、妙な気持ちに駆られたのだ。  ◇ 「何かあった? 元気無いね」  毎日来てもらう様になって何度目かの治療の後、堪えきれず漏れた溜め息を栗原さんが拾い上げた。  体調はすこぶる良い。そりゃ、何たって毎日浄化して貰っているんだから。ただ、その後に待つ現実が俺を追い詰めていた。 「例の店長?」 「……うん。もう、あからさまに俺を嫌ってる。それが覚悟してた以上にキツくてさ。ごめん、栗原さんにこんなこと言ったって困るよな」  へへっ、と無理して笑えば、それを見ていた栗原さんが眉を下げる。 「好きなのか? その人のこと」  その言葉に俺はビクッと肩を揺らした。 「ハッキリ聞いてくんのな」 「…………」  何も言わずジッと見つめてくるその目に抗えず、俺は再び大きな溜め息を吐いた。 「正直分かんないんだ。好きなのかもって思った事もあるけど、単なる憧れの様な気もするし。でも、やっぱ嫌われるのは…辛い」  だからって、好きだったのかどうかはまた別で、頭も心もぐるぐると渦巻いて気持ちが悪かった。  ハッ、と短く笑って俯けていた顔を上げる。 「ぎゃっ!?」  先ほどまでもう少し遠くに居たはずの栗原さんが、何故か目の前にいた。そうして彼が俺の顎を掬い上向かせる。 「好き、なのかもね」 「へ…?」 「けど、そんな男はお勧めできない。止めておけ」 「えっ、へ……っ!?」  キスされていた。  ちゅっ、ちゅ…と啄むだけの簡単な触れ合い。それでも俺の全身は燃え上がったみたいに熱くなって、思わず栗原さんの髪を引っ張った。 「痛っ、」 「なっなっ、な、何してんの!? ちっ、治療は済んだだろ!?」 「治療はね。でもこれは治療じゃないから」 「はひっ!?」  髪を掴んだ手をそっと外させられたかと思えば、またキスをされる。 「ちょっ、んっ、ちょっと待っ! …ふんっ、んんっ、」  ジタバタと暴れる俺を、栗原さんが面白そうに目を細めて見ている。 「んんんん! んっ! ぷはっ!! ぁああアンタぁ! おもっ、面白がってんだろ!!」  激しく怒る俺に悪びれもせず笑ってみせる栗原さんは、とんでもなく悪い顔をしていた。 「信じらんねぇ!まさかアンタがこんなタチの悪い事するなんて!!」 「別に悪戯した訳じゃ無いんだけどね」 「は…」 「変な男にくれてやるには惜しいなって、思っただけなんだけど」 「はっ、え…はっ!?」 (可愛いなぁ…)  ――ボンッッ!! 「ひぇえ!?」 「あれ、オイっ!」  初めて飛んできた栗原さんの小さな心の内が、更に俺に追い打ちをかけ…俺はのぼせ上がりぶっ倒れた。  かっこ悪すぎる。 『俺の家へ引っ越す気は無い? 部屋は幾つか空いてるし、何より、お互いが今よりずっと楽にケア出来る』  帰り際に出された驚くべき提案に、俺の心はグラッグラに揺れていた。  仕事と言っても俺の立場など直ぐに代わりがきいてしまうし、しがみつく程誇れるスキルもない。辞めると言えば、直ぐにでも許可が下りるだろう。  両親とはほぼ絶縁状態で、頼りにしていた店長との関係も既に破綻している。断る理由など何もなかった。  それに幾ら国からの補助が有るからと言っても、月に何度も遠くから来るのは栗原さんが大変だし、仕事や私生活にも支障が出るんじゃないか、とか。そんな事は正直に言えば建前だ。  俺は多分、栗原さんに惹かれてる。それも、恋愛感情を含んで…だ。  あんなに見た目がよくてモテそうな人、俺には不釣り合いだって分かってる。それでも優しく触れられればどうしようもなく期待してしまうし、彼もまた、その手で救いを求めている気がするのだ。  俺はその手を、掴みたい。

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