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【必狂パラレルワールド】ハル編②
こうもおかしな言動をされると、さすがに心配になってきた。
俺が料理できない事も、聖南が綺麗好きな事も、まるで忘れちゃってるみたいに見える。
寝てる間に頭でもぶつけちゃったのかと、恐る恐る聖南に近寄って行く。
パソコン周りの整頓具合に感嘆の声を上げた聖南が振り返るや、ガシッと俺の腰を抱いて決定的な一言を放った。
「いつも家事任せてごめんな」
「えっ!? い、いや、あの……っ」
「俺がこんなだから、葉璃にばっか負担かけちまってるよな」
「だからそれはどういう……っ!」
「家のことは何も出来ねぇけど、そのかわり俺はバリバリ稼いでくっから」
「バリバリ……っ」
これ以上稼ぐ気!? という素朴な疑問は飲み込んだ。
やっぱり、頭を打っておかしくなった聖南の中で、俺は家の事を全部やってる人になっちゃってる。
……どうしよう。
これって記憶喪失の一種?
俺のことは覚えてるっぽいけど……全然違う人と話してる感覚になるな。
「聖南さん、ちょっと屈んでください」
「屈む? なんで?」
「いいからっ」
不思議そうに首を傾げながら、俺と同じ目線まで屈んだ聖南の頭を探る。
どうやったらこんなに寝癖がつくんだろ……いつもこんなにボサボサだったっけ?
そんな事を思いつつ、爆発した薄茶色の髪を触っていった。
ここまで様子がおかしくなるほど強く頭を打ってるなら、絶対にたんこぶとか傷があると思ったからだ。
「あれ……? 無い……?」
「何が無い?」
「たんこぶ……」
「え、なんでそんなの探してんの?」
「…………」
そんなはずない……! 絶対あるはずだよ!
聖南の言葉を無視して、俺は髪をかき分けて傷らしきものを探した。頭をなでなでして、膨らみを確かめてもみた。
だけど……。
「おかしい……どこにも無い……っ」
「あるわけないじゃん」
「そんな……」
あまりの必死さに、屈むのをやめた聖南から「ヘンなの」と言われてしまった。
待ってよ、なんでたんこぶが無いの……? 記憶喪失って頭をケガして起こるものじゃなかった?
それとも、なんの前触れもなくいきなり中身が変わったっていうの?
そんなことある……?
愕然とした俺の顔を、聖南が覗き込んでくる。
「マジどしたの? 葉璃、今日おかしくねぇ? 挙動不審っつーか。なんかあった?」
「おかしいのは聖南さんですよ!」
「俺はいつも通りじゃん」
「俺だっていつも通りです!」
どうして俺が〝おかしい〟方になっちゃうの。
憤慨して見返しても、聖南の瞳は真剣そのものだ。揶揄ってるようには見えない。
お互いがいつもと違うと思ってるなんて……頭が混乱する。
忘れちゃってるだけなら、思い出してほしい。
その一心で、俺は聖南を見上げた。
「あの……俺は、ここにはめったに入りません。パンも焼けません。どちらかと言うと掃除は苦手なので、聖南さんがいつもやってくれてます。料理も断然、聖南さんの方が得意です」
「え……?」
「聖南さん、どうしちゃったの? 俺のこと、分かりますか……?」
「分かるよ、もちろん。葉璃は俺の大事な人。誰よりも愛してる人」
「うっ……」
こういう時だけ、俺の知ってる聖南だなんて。
全然知らない人みたいなのに〝やっぱり聖南さんだ〟と思わされて、頭の中の混乱が激しくなる。
切なく痛みだした胸を押さえた俺は、この奇妙なパニックと戦った。すると聖南も、俺の戸惑いに少しずつ歩み寄り始める。
「俺は……まったく料理出来ねぇ。部屋もすぐ汚す。脱いだら脱ぎっぱなしで、いっつも葉璃から怒られてる」
「えぇっ?」
「これは、葉璃が知ってる俺じゃねぇんだよな? そう言いてぇんだろ?」
「…………はい」
「どういう事なんだ? おかしいよな?」
はい、と頷く俺の頭を、少し無骨にポンポンと撫でる聖南。撫で方まで違うと分かって、もっと切なくなった。
それに、「おかしいよな」って神妙に言うわりにのんきに口笛を吹いてるあたり、真剣なのは表情だけだ。
悩んでなさそう。何にも。
「……聖南さん、ほんとに考えてます?」
「うーん、あんまり。腹減ったなぁって。あと、挙動不審な葉璃が新鮮でちょっとムラってる」
「あぁ、やっぱりお腹が……って、えっ!? ムラってる!? この状況で!?」
「男たるもの、腹ごしらえは二の次だよな!」
「うわわわっ! ちょっ、聖南さん!?」
いきなりテンションが上がった聖南に驚いていると、ヒョイッと米俵のように担がれた。
ムラった聖南がそのまま向かったのは、ベッドルーム。下ろされたベッドの上にある布団とシーツは、クシャクシャだった。
起きてすぐにベッドメイクをする聖南らしくない。どう考えても違う人だ、と思わざるを得ない状況に絶望していると、聖南の手のひらが俺の太ももをさらりと撫でた。
「あっ……」
「あー……今日も最高の触り心地〜♡ スベスベだ〜」
「聖南さん! 触り方、なんか、やらしいっ」
「やらしい? そっか、やらしいか。……やべぇ……挙動不審の葉璃ちゃんもいいね、興奮するー……」
この聖南が知ってる〝葉璃〟は、俺とはかなり違う人間らしい。
しきりに「初々しい」と言って喜ぶ聖南は、飽きることなく何分も太ももを撫でまくっていた。
くすぐったくて何度も身を捩ったんだけど、聖南は足フェチなんじゃないかってくらいしつこかった。
さらさら、さらさら、時々モチッと握られる。
「おっと、マズイ……」
いよいよくすぐったさの限界がきた俺と、聖南が右手で鼻を押さえたのは、ほぼ同時だった。
「ヒッ!? ちょっとちょっと! 聖南さん、大丈夫!?」
「ヤバ、今日大量だな。葉璃、ティッシュ取って」
「は、はいっ!」
指の隙間から滲み出てきたのは、真っ赤な血。それも、ポタポタと垂れるようなレベルじゃない。
ドバッと溢れ出てきていて、俺が着てる濃いオレンジ色のパーカーはみるみるうちに聖南の鼻血で汚れてしまう。
急いでティッシュを箱ごと渡すと、慣れた調子でまずは手を拭いて、垂れてる鼻血を拭いて、くるくるっと丸めたティッシュを鼻の穴に詰めると下を向いて黙った。
血の出が落ち着いてくると、ドサッとベッドに横たわる。
……ビックリした……。
俺はひたすら、鼻血の対処が慣れすぎてる聖南を見つめることしか出来なかった。
「ごめん、葉璃。服汚しちまったな」
「い、いえ……それはいいんですけど。……大丈夫ですか?」
「あぁ、しばらくこうしてれば止まる。興奮するとダメなんだよな。いっつもこれでセックス中断すんだよ。マジでごめんな?」
「…………」
「それお気に入りだって言ってたろ。一番最初に俺が着せたパーカーがそれだったから。当時、洗濯してんのそれしか無くてさ。俺が超ズボラだってのがバレて、見かねた葉璃が「高校卒業したら一緒に住みます」って言ってくれたんだよなぁ。懐かしー」
「……そ、そう、なんですね……」
同じ顔の恋人から、俺にはまったく分からないエピソードを聞かされると、胸がギュッと苦しくなった。
頭を打ってるわけじゃない。
それなのになんで……俺との思い出を話してくれないの。
興奮したらいつも鼻血の確認をしてる聖南だけど、ほんとに血が出たことなんかないじゃん。
なんで、鼻の穴にティッシュ詰めてヘラヘラしてるの。鼻血が出た時は上じゃなくて下を向くんだって、そんなの知らない。
おかしいよ。
いったい何がどうなってるの……?
「葉璃もおいで。添い寝してよ」
「……はい」
瞳を閉じた聖南から伸びてきた手を、まるで他人のそれのように感じながら握り返して、俺も横になった。
聖南だけど聖南じゃない人に、添い寝を頼まれたから。
でも、寄り添うことは出来なかった。
手のひらを握るだけで、それ以上は近付くのも躊躇われた。
「鼻血止まったらメシ行こうな」
「……焼きたてパンじゃなくていいんですか」
「だって葉璃ちゃん、料理出来なくなっちまったんだろ?」
「そうですけど……」
「それなら、俺がいつか作れるようになるまでだ。何年かかるか分かんねぇけど。片付けも頑張るよ。普段から散らかさねぇように、な」
「…………」
不思議としか言いようがない会話だ。
聖南は元々、頑張らなくてもなんでも出来る人なのに。
鼻血で赤黒く染まってくティッシュを見つめたまま、ただ一つ共通点を見出した俺は思った。
──急に聖南さんがだらしなくなっちゃったけど、向上心だけは俺の知ってる聖南さんと同じだ……。
前向きで、ポジティブで、出来る人が出来ない人のカバーをすればいいって満面の笑みで堂々と言い放つ、俺の自慢の恋人。
目を閉じると、瞼の裏でその人が俺に笑いかけてきた。
「葉璃」って呼ぶ声と、両方のほっぺたを触って愛おしげに見つめてくる視線が、恋しくてたまらなくなる。
このまま眠ってたら、ずっと、〝俺の聖南〟のもとに居られるかもしれない……。
実際に握られてる手のひらは、温かくて大きくて……感触は同じだった。
だから余計に、寂しくなった。
「聖南さん……」
静かに名前を呼んでみても、お世辞にもスマートとは言えない寝入ってしまった聖南からの返事は、無かった。
代わりに、夢の中の聖南が両腕を広げて俺を呼んでいる。現実逃避したい俺を少しも咎めないで、微笑んでくれている。
目が覚めるのが嫌だ……なんて言ったら、だらしない聖南は傷ついちゃうかもしれない。
だとしたら俺は、新しい聖南を好きにならなくちゃいけない。
どんなに前の聖南がいいと思っても……。
【必狂パラレルワールド】ハル編 終
※ここから【必狂パラレルワールド】③中段に繋がります(つ・ω・)っ
お付き合いいただきありがとうございました!
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