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第8話 unpleasant encounter
展示会も終わり、荷物を片付けた後はいつも簡単な打ち上げ、と言う名前の食事会があった。とは言ってもメンバーは五人だし、 熊谷と天羽以外は新幹線で関東に帰ることになっていた。
金曜が最終日だから早く帰ってもよし、後泊して遊んでいってもよし。もちろん打ち上げは自由参加だったが、三日間の出張でずっと上げ続けていたテンションに区切りを付けるために、五人全員が打ち上げに参加することになっていた。
お酒よりご飯がメインになるため、選んだのは駅近くの料理のおいしそうな創作居酒屋だった。サラダ、肉、魚料理、上海焼きそばやフィンガーフードがランダムに運ばれてくる中、三日間の立ち仕事の疲れを労って乾杯した。
疲れたところにお酒が入り、会話も弾んでゆく。誰に聞かれているか分からないので、客や商品の話はできず、話題は自然とそれぞれのプライベートに流れてゆく。そのうちに、バックヤードの応援に来ていた佐藤が、社員の性格や日頃の行動から兄弟構成を当てられる、と言い出した。
「熊谷さんは甘え上手だし、末っ子だよね? お姉さんに揉まれて逞しく女耐性つけてそう」
「佐藤さん、末っ子ってのは最初から知ってるよね」
「末っ子なのは知ってるけど、兄弟構成はどう? いかにもお姉さんがいる感じするよ」
「うん、そこは......合ってる。二人いるし、歳が近かったからめちゃくちゃパシリにさせられてた」
「末っ子で弟なら可愛がってももらったんじゃない? 甘え上手なのも筋金入りか。あ、でも面倒見もいいよね」
「可愛がってたんかな、あれは……いつもお菓子やジュース取りに行かされたり、大きい方を取られたりしてばかりだったし、逆らえなかった記憶しかないっすよ。そのストレスで、幼稚園では自分より下の子の世話を焼いて、かわいがってましたね」
ひとしきり笑ったあと、佐藤は順番に推理を披露してゆく。酔った勢いで自称七割方当てる、という分析にはそれらしい根拠もついてきていた。
「天羽さんは......うーん、長男だね。弟がいそう。性格も正反対の自由人な弟がいて、天羽さんはその分ちゃんとしなきゃ、って頑張ってそう」
「すごいですね、半分あたりです。長男で、歳の離れた妹がいます。お兄ちゃんだからって大人枠に入れられてたし、結婚するときは妹を連れていってね、とか言われるくらいでしたよ」
写真はないのかと言われ、かなり前に撮った妹の写真を見せた。ハイライトを入れた腰まである長い髪にくっきりした目鼻立ち。全員が「似てない!」と声をそろえて言った。
「こんな気の強そうな妹さんの面倒見てる天羽さんの想像ができないわ」
「子供の頃はそれなりに遊んでたけど、今は没交渉ですよ」
「子供の頃の天羽さん、小さい子にもめっちゃ大人な説明してそう」
「うーん、どうなんだろう。あ、でもたしかに『なんで飛行機は落ちずに飛ぶの』って聞かれた時に、どう説明していいか分かんなくなって、図鑑を元に『揚力と抗力ってのがあってね』って言い出したら『何言ってるのか分かんない!』って逆ギレされましたよ」
全員が大爆笑した。テンションが上がっているのか今日の天羽は饒舌だった。
++++
「じゃあわたし達はお先に失礼します。また月曜に」
「お疲れ様でした、お休みなさい」
最終の何本か前の新幹線に合わせて新大阪駅に向かう三人を見送った後、天羽と熊谷は宿泊先に向かった。
二人でぶらぶらと歩いてゆく。
展示会終わり際に会った男のことが心に引っかかっていたが、天羽は全く展示会の話をしようとしない。こちらから話しかけようとすると、とたんに表情を硬くして身構える。
なかったことにしてほしいのだろう。熊谷はそう感じて、安心させるように微笑んだ。
「飯、安くてうまかったですね。さすが食い倒れの町」
天羽の顔に安堵の色が広がった。表情が以前より少しだけ柔らかく感じて、熊谷はなんとなく嬉しくなった。
警戒心の強い動物を手なずけているような気分だった。澄ました顔してる癖に甘いキスをする人、酔うと噛み痕が現われるようなセックスをする人。そんな事を折りにふれ思い出す。
「今日はビール一本も飲んでないから、さすがに酔ってませんよね、天羽さん」
「んー、んふふ。ちゃんとしてるよ」
返事の通りそれなりにまっすぐに歩いてはいるけれど、天羽の『ちゃんと』は熊谷の思う『ちゃんと』とは違うようだ。注意力散漫な様子で、自販機や看板にぶつかりそうになったりして、危なっかしいことこの上ない。
「やっぱりお酒、弱いっすね。気を付けないとぶつかりますよ」
「弱いかなぁ......。しばらく飲んでなかったから、飲み方を忘れちゃったんだよね」
「しばらくって、禁酒でもしてたんですか?」
人通りの多い道なので背中を押して誘導すると、天羽は素直に従ってくれる。
「酔い覚ましにちょっとだけ遠回りしませんか?」
「うん」
ふらつく天羽がついに歩道に飛び出していたのぼりに突っ込んだのを見て、熊谷は笑いながら腕をつかんだ。
「未確認生物捕獲! FBIっぽくないですか?」
「ふはっ、確かに。僕ねぇ、子供の頃E.T.って呼ばれたことがある」
「マジすか? タイトルしか知らないけど、首が細長い宇宙人ですよね。なんでまた?」
「小学校の理科で、カタツムリとか触るでしょ。あれが苦手でさ、震える指先で必死に触ろうとしてたら、先生にE.T.だって言われたんだよね。で、クラス中がよく分かんないままE.T.って呼び出してさ」
「それ、微妙にいじめ案件じゃないですか?」
「いやぁ、三日くらいでみんなすぐに飽きちゃったから、いいんじゃ……」
言葉が止まる。天羽の腕が前に進むこと拒んでいる。熊谷は、何かあったのかと前を見たが、視線の先には特に変わったところはなかった。
週末だけあって人通りが多かった。これから二軒目に向かうのか、帰宅するのか。何の法則もなく入り乱れる人の群れに対して、天羽は後ずさりしようとしていた。
「熊谷さん、何か、飲み物買いに行きませんか、水......とか」
隣の天羽が小さくつぶやいた。少し先にドラッグストアが見える。
「じゃああそこで買って帰りましょうか」
前に進もうとしたのに、天羽はやはり腕を引いて抵抗する。意味がわからず手を離すと、逆に熊谷の腕を取って元来た道を戻ろうとした。理由を聞こうとしたら、すぐ側に誰かが近づいてきた。
振り返ると、さっき展示会場で会った古橋だった。嫌な感じがする。会釈して立ち去ろうとしたのに、片手をあげてけん制してきた。
「こんばんは、さっきはどうも。こんなところでま比呂と会うとは思わなかった」
「こんばんは」
挨拶に応えたのは熊谷だけで、天羽は目を合わさずに大きくため息をついた。男は面白そうに熊谷と天羽を見比べている。
紙やすりで撫で上げるようなざらざらした視線が不愉快だった。
「古橋さんはご帰宅ですか? 俺達はホテルに戻るので、失礼します」
そのまま立ち去ろうとしたのに、古橋は熊谷の横に一歩踏み出して距離を詰めた。肩を掴み、顔を耳元に寄せてささやいてきた。
「二人共同じホテルだよね。部屋も同じだろ? 俺も一緒に混ざっていい?」
全身の毛が逆立った。熊谷は拳を握りしめて大声を出した。
「あんたっ! 何が言いたいんだ!」
「熊谷さん!」
カッとして掴みかかった熊谷の剣幕に驚いたのは天羽の方だった。胸倉を掴まれた男は、何も気にする様子もなく悠然と微笑んでいる。
「別に、言葉通りだけど。何を想像したんだか」
「熊谷さん。もう行きましょう!」
部屋で飲もうとか話をしようなんて意味じゃないことは直感で分かった。言いようのない怒りにはらわたが煮えくり返る。
慶太の目が愉快げな光を帯びた。もう一度耳元に口を寄せられて、暖かい息がかかった。ゾッとして突き放そうとした瞬間ささやかれた。
「噛み痕、まだ残ってる?」
引き離そうと引きずられるように道を戻りながら振り返ると、何事もなかったかのように歩き去る背中が見えた。
考えたくないのに徐々に目の前に現れる天羽と古橋の関係は、熊谷の心に大きな嵐を呼び起こしていた。
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