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第11話 I'll never let you down

レースカーテンだけを引いた腰高窓は曇天をうつしている。 照明を点けた部屋で横並びにベッドに腰かけ、天羽にキスしようとしたら軽く制止された。 部屋についてすぐ、天羽は『準備するから』とシャワーを浴びに行った。一緒に入る、という熊谷の希望は受け入れられなかった。仕方なく一人で待っていたのにまだ待たされるのか。不満を表情にあらわしたところで、天羽が宥めるように言った。 「カーテン、閉めたいんだけど」 「......えっと、俺、よく見える方が興奮するんですけど、激し目より暗いところでスローセックスするの方が好きってことですか?」 「何でそんな質問……」 「営業なので、譲歩してもらえそうな落とし所を見つけたいんです」 熊谷が満面の笑みで返すと天羽は苦笑した。真正面にいる天羽の視線が熊谷の肩越しに窓を見た。 「あ、そうか。外から見えてしまいますね!」 慌てて遮光カーテンを閉めて戻ってくると、天羽の腕が鳥が羽ばたくようにふわりと動いて熊谷を抱き寄せた。 「もう、スローでも何でもいいよ。た、く......まがやさんの萎えない方でいい」 言いかけた言葉を拾って、全身の毛が逆立つように興奮が熊谷の身体を覆ってゆく。 「何したって萎えませんけど、何回もできるようにちゃんと顔を見せてください」 向かい合って唇を重ね合う。居酒屋の薄暗い廊下でしたキスとは違う、お互いに求めあう口づけはすぐに深くなってゆく。昨夜の余韻が身体に残っていて、身体にも心にもすぐに火がついた。 違うのはむしろ天羽の方だった。舌を絡め、身体をすり寄せ、熊谷の身体の形を指先でたどって誘いかけてくる。瞼、目の際のホクロにキスすると、首を竦めながら熊谷の髪に指通し、耳朶の溝に指を這わせていった。その仕草にそそられて、熊谷の唇は耳元、顎のラインを辿り徐々に降りてゆく。 お酒が入っていないせいか、肩口のホクロの周りには噛み痕は見えなかった。白い肌にある小さな点が位置を示しているだけだ。後ろから抱きしめて、何度もキスをしていると、流石に気付いた天羽がきまり悪そうに振り向いた。 「別に、妬いてなんかいませんよ」 そううそぶいた熊谷は、もう一度音を立ててキスをし、身体を下げて天羽のひときわ白い脚の間に潜り込んだ。緊張したのか、天羽の身体に力が入る。無意識に閉じようとする膝を両手で割り開いて顔を上げると、天羽は腕を伸ばして熊谷を呼び寄せ、両手で頬を包みこんでキスをした。  膝裏から内腿の裏のきめの細かい肌。そこから皮膚の薄い鼠蹊部を指の腹で擽っていると、天羽の中心が天を向いて震えていた。ぬめる体液を先端に塗り広げ、両手で包み込むように扱き上げてゆく。 「あ......あ、ん......はっ.....、あっ、も、出る......」 手の動きに合わせて腰を振る天羽から切なげな声がもれる。オフィスでは皺ひとつないシャツを着て澄ましている天羽がこんな風に乱れている。それが自分のせいだとおもうとぞくぞくした。背徳感に興奮が高まってくる。手を早めて追い込みをかけると身体にぐっと力が入った。 「出して、」 息を詰めて吐き出された粘液を受け止めた。掌のそれと、枕に頭を預けて大きく息をしている愛しい人。そのままキスを繰り返しながら、これから自分を受け入れてくれる場所に指を滑らせた。既に天羽が準備したそこは熊谷の指をためらいもなく受け入れる。その感触に息を飲んだところを天羽に気取られて、心配そうな表情をされてしまう。 「指がむちゃくちゃ気持ちいいんですけど、ほんとにここに挿れていいの?」 「ん......」 ローションでしとどに濡らした孔に熊谷は先端をあてた。短いストロークで往復しながらゆっくりと挿入していく。 一番太い部分が充血した肉襞の中心にめり込むと天羽は背中をしならせた。 「っ......はぁはぁ」 腰を進めるたびに天羽の唇はわななき、きつく閉じられた目の端から涙がこぼれていた。 「大丈夫? 比呂さん、辛いなら今日はやめましょう」 荒い息の下、天羽が目を開いて首を横に振った。 「いやいや、じゃなくて、我慢しないでください。無理やりやるつもりはないし......」 腹を上下させ荒く息をしていた天羽の唇が動く。 「え?」 聞き返した熊谷の首に手が伸びてきて、身体をぐっと引き寄せる。 「......緊張、してる……だけ。抜かないで、慣れるから......最後、まで……欲しい」 耳元で切れ切れにささやく声は、その内容に反して色気に満ちていた。熊谷が眉を下げた。 「力抜いて、っていっても難しいっすよね。口あけて、舌出して」 困惑しながら天羽はおずおずと口を開いて舌先を見せた。熊谷の顔が近づいて、優しくその薄桃色を吸い、自分の舌でなで上げた。小さな果実を分け合うように敏感な粘膜を絡ませあっていると、天羽からふわりと力が抜けた。 時間をかけて全部挿入した後、熊谷は宣言した通り天羽が心の輪郭を失うまで、何度もその奥に熱を吐きだした。朦朧として既に言葉も発せられなくなった天羽を揺さぶりながら「たすくって、呼んでください」と健気に繰り返し、最後の一絞りを注ぎ込んだ。 ++++ 天羽が意識を取り戻したのは一時間ほどたった後だった。前日の睡眠不足も手伝って深く眠っていたようだ。カーテンの隙間から漏れる光が眩しい。 朝だろうか? 今日は何曜日? いや出張から帰ってきて...... ぼんやりとした頭で状況を把握するのに数秒かかった。昨日からの記憶がゆっくりと戻ってくる。 あー、やったんだった。 やってしまったんだった。熊谷さんと、セックスをしたんだ。 身体のだるさと妙な幸福感がその証拠だ。 久しぶりのセックスは、ぽっかりと空いていた気持ちを一気に満たしてくれた。ずっと身体の中にあった、飢餓感が、今はすっかり消えてしまっている。 でも今ベッドにいるのは自分一人しだった。汗や唾液や、その他の液体を吸い込んだであろうシーツには、体温すら残っていなかった。 天羽は途中からぐちゃぐちゃになっている記憶の糸をたぐってみた。 終わった後何か言っていたっけ? 自分の名を呼ぶ低く唸るように押し殺した声が耳に残っている。シーリングライトを背に自分を見下ろす熊谷の雄々しい表情までは覚えている。そここら先が曖昧で、自分がヘマをしたのか、単純に気が済んで黙って出て行ったのか。 そこまで考えてようやく実感が湧いた。事が終わり、自分が寝ている間に立ち去られたのだと。 陽だまりのような幸せな温かさが遠のいて、身体が内側から冷えていく。一人取り残された虚な寂しさがひたひたと水かさを上げていく。 今ここに彼はいない。それが現実だ。少しでも熊谷の言葉を信じて浮かれてしまった自分を呪いたくもなる。 「ははっ、そうだよな、当然そうなるよな。大体、職場の年上の男なんかに本気で興味持つわけがないんだよ。分かってる、好きだとかなんだとか、全部嘘に決まってたのに……何を勘違いしてたんだろ」 泣き出しそうな気持ちをごまかすために声に出してみたのに、気持ちは重たくなるばかりだった。 手に入れたいと思うことだけでも図々しすぎた。一回でもすることができただけで、もう何も期待しちゃいけない。いい夢を見たと思って忘れよう。 自分に言い訳をするほど悲しみが募り、鼻の奥がつんと痛くなる。 泣いちゃだめだ。涙を引っ込めようと思い切り息を吸い込んだ時、軽やかな足音が聞こえてきた。開け放したドアから姿を見せたのは服を着た熊谷だった。 「あ、起きたんですね。おはようございます、ってもう午後も遅い時間ですけどね」 「ふぇ?」 息を止めていた天羽の口から、変な声が出た。熊谷は気にする風もなくゆっくりと近づいてくる。 平日の朝事務所で会った時のように妙に元気で爽やかな笑顔を見せている。いつもと違うところと言えば、Tシャツにトレーナーパンツをはいていることくらいだ。 また酔っ払ったところを送ってもらったのではないかと勘違いしそうになる。 何より、昨日からの出来事が嘘のように、いつもと変わりない態度だった。 「今何時......」と言おうとした自分の声に天羽は目を丸くした。軽く咳き込みながら声を出そうとすると、目の前にペットボトルが差し出された。 「お水どうぞ、間に合ってよかった」 コンビニの袋を片手に目の前に立っている男の顔と、ペットボトルを交互に見ているうちに、天羽の胸の奥が熱くなり、さっき押さえ込んだはずの涙がこみ上げてきた。ぐっと歯を食いしばってこらえた顔に、熊谷が目を丸くした。 「あ、鍵を勝手に使ったのを怒ってます? それともどこか痛むとか、苦しいとかですか?」 水滴のついたプラスチックの輪郭がぼやける。頬に熱い涙が伝わっていく。視界の中で、熊谷が真顔になった。 「なんで?……ああ、やっぱりこんなのあり得ない。帰ってくるなんて、夢に決まってる。もうそんな、はず……うっ……」 ぐちゃぐちゃになった思考がそのまま口から漏れていた。そのまま口に出して、天羽は泣きだしていた。 いくらでも湧いてくる涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、天羽は声を上げて泣いた。こんな風に人前で泣いたのは、慶太と別れて以来初めてだった。 いい歳をして子供のように泣きじゃくる天羽を慰めるでもなく見ていた熊谷は、しばらくしてベッドの端に腰掛けた。重心がずれて二人の身体がゆれる。 熊谷は正気に戻った天羽の顔をティッシュで丁寧にぬぐい、目元にキスをした。それから困ったような顔で微笑んで、天羽の顔をのぞき込んだ。 「泣きぼくろができるわけだ。ね、比呂さん、そんなに似てるんなら、俺の方がいいですよ? 」 「違っ、そんな……んじゃなくて、似てるからとかじゃ、あの……」 似てるとか、慶太がしてくれなかったことを熊谷がしてくれたとか、そんなのは表面的なことだ。本当は心のどこかで、こんな風にみっともない自分を見せれば呆れて出て行くんじゃないかとか、でもそんな情けない素の自分を受け止めて欲しいとか。「どうせ」、「でも」、「だって」で諦めてきたことがいざ目の前で現実になるとどうすればいいのか自分の感情を持て余しているとか。 そんなことをうまく説明できるほど冷静になれなかった。 涙こそ止まったものの、言葉の出ない天羽を熊谷が包み込んだ。強く抱きしめるでもなく、ただ毛布のようにふわりと腕の中に閉じ込めた。 温かい肌に触れて、裸の身体が冷えていたことに気がついた。Tシャツからは熊谷の匂いがする。すんと鼻を鳴らすと「臭かったらすいません、ホテルで寝巻きにしてたやつなんで」と声がした。そんな言葉にふっと力が抜けた。 気がつくと、ぺたりと熊谷にもたれかかっていた。昨日の夜からずっと近くにあった男の匂いだ。香水もつけない、洗いざらしの服に()のままの雄の匂いが胸をくすぐってくる。 「くさくは、ないです」 天羽の言葉にクスクスと笑いながら、大きな手がゆっくりと髪を撫でてゆく。 「俺、きっかけが何でも気にしません。でも昨日のことは夢じゃない。どれだけ俺の名前を呼んだと思ってるんですか? 勝手に夢だとか言わないでください。覚えていてもらえるように噛み痕でも残しましょうか?」 そう言いながら熊谷は、まだシャツも着ていない裸の腕をとり、肘の内側に軽く歯を立てた。冗談めかして甘噛みし、皮膚の薄い箇所を舌先で舐めた。ぬるりとした感触に天羽の身体がむずむずとする。視線をあげた熊谷と目が合った。大きく印象的な瞳が、いたずらっぽい光をたたえて弧を描く。 「食べ損ねた昼飯の代わりに食べていいですか?」 お腹をすかせた狼のような物言いに笑いがこみ上げてくる。声を立てて笑いながら、天羽は再び泣いていた。こんなささやかで優しいやりとりをどんなに求めていたのか。満たされて初めて、自分の中に足りていなかったものが分かった。 叶えてくれた相手は、そんなことにすら気付いていないだろう。そういう無邪気なところもたまらなく愛おしかった。 天羽の頬を伝う涙を親指で拭いながら、熊谷が悪戯っぽく微笑んだ。 「泣き笑いって、両方の顔が見えていいですね」 楽しそうに自分を見つめる相手に、天羽は目を閉じて「全く」とでも言いたげに首を左右に振った。にやけてしまう顔を見られないように俯いたけれど、項が真っ赤になっていた。それに気づいた熊谷が、まだ服も着ていない身体にじゃれつくように抱きついてきた。 「うわっ!」 勢いに負けてそのまま背中からベッドにしずんだ天羽の頬に、熊谷は巨大な犬のように鼻面を擦りつけながら、何度もキスをした。 「冗談じゃなくて本気です。ご飯買ってきたけど、食べる前にもう一回しますか?」 押しつぶされそうになった天羽が必死で声を上げる。 「くま……がや、さ……ん! 今日は限界だから......ご飯を」 その声が聞こえたのか、聞こえないふりをしたのか。熊谷は、さっき買ってきたサンドイッチのことなどとっくに頭の片隅に追いやり、もみくちゃにされた花のような天羽を抱きしめた。 完

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