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第10話 rekindle
しばらくの沈黙の後、熊谷が口を開いた。押し殺した声に苦し気な響きが混ざっていた。
「ああ、そんな風に思われてたんですね。正直、ショックです......俺、あなた以外の人にどれだけ誘われても、幾ら金積まれてもしませんよ。不愉快に感じたんなら俺が悪いので謝ります。ただ、興味本位でこんなことしてるなんて思われたくはない」
熊谷の瞳の中の光は弱まることはなかった。一切逸らすことのない視線から伝わる獰猛な欲求が、天羽の身の内をじりじりと焦がしていた。
「......でも天羽さん、一度も拒絶の言葉を使ってないですよね。本当に嫌だったら、止めろって言って下さい......すぐに出て行くから」
鼻先が触れるほど顔が近づいた。お互いの肌で息遣いを感じる距離だ。数センチ先にある唇に、吸いよせられそうになる。そんな天羽の心を見透かしたように、熊谷は背中を押してきた。
「もう一回触れても、いいですか?」
シャツの端を握る天羽の指は震えていた。その上に熊谷の手が添えられて、薄膜をめくるようなやさしさで手の甲を撫でてゆく。触れられた箇所から欲望が露出して身体中が熱くなっていく。力の抜けた指を絡めとられ、仰向けになった頭の脇に押し付けられた。シャツが隠しきれなかった腰に、空いている方の手が触れた。天羽の出方を伺いながら、もう一度たくし上げてゆく。抵抗の様子がないのをいいことに熊谷は掌で天羽の肌を堪能していた。
脇腹を滑る体温が、肌の下に隠された意地や我慢をじわじわと溶かしてゆく。触れられた部分の感覚が毛羽立って身体がひどく敏感になり、熊谷の息遣いにすら欲情を煽られていた。
鎖骨の中心から下りていき臍の周りを回る手に、天羽の呼吸が乱れてゆく。時折間違えたかのように胸の先端付近に伸びる指先にじらされて、思わず身じろぎして熊谷を見た。
天羽の視線に気付いた熊谷はゆっくりと頭を下にずらしていく。
「ぁん……」
やわらかいものが触れた感触に、思わず声が漏れた。緩く吸われ、舌で突かれるとますます刺激が欲しくなる。自由な方の手で熊谷の髪を撫でると、べろりと大きく舐め上げられた。ちゅ、と音を立てて痛い程かたく充血した箇所を吸われると「んんっ」と喉の奥から勝手に声が出てしまう。
立てた親指の爪先で薄い胸の敏感な突起を何度も掠められ、官能を呼び起こす痺れが尾てい骨から背骨を駆けあがった。
「んっ......ああぁっ......」
遠慮のなくなった熊谷の指と舌先が、小さな粒を弄ってゆく。内側からこみ上げる快感に天羽は腹を上下させながら荒く息を吐いていた。つ、と臍の周りに指先が走る。びくっと反応して背中が反り返ると、熊谷の腕が腰をかき抱いた。唇が身体の真ん中を通って臍へと下りてきた。どこもかしこも性感帯になったみたいだ。天羽の本能は、皮膚を這う唇と舌が与えるやわらかい刺激を味わい尽くそうとしていた。
カチャと音を立てて熊谷の指が天羽のベルトにかかった。あいている指で腹をくすり、切なそうな顔で見つめられた。
「続けていい? って、今断られたら俺死んじゃいますよ」
こんな誘惑に抗える人間がいるのだろうか。ひたすら甘く、いじらしい程懇願されることがこれほどの欲望を掻き立てるなんて思いもしなかった。天秤にかけるまでもなく、心と体が大きく傾いて熊谷に向かって流れだす。
もうこのまま押し流されてしまえばいい。こんなところで止められたら天羽だって死んでしまいそうだった。
「......死ななくていい、続けて。お願い」
その一言に熊谷の恐ろしい程の緊張がほどけたように見えた。こんなに自分勝手に見えても、この男は無理になそうとはしないのかと微かな驚きを感じた。
汗でしっとりした男の髪を梳ってやると、熊谷は喉を鳴らす。ベッドの上で身を起こして膝立ちになった熊谷が、自分の服を脱ぎ、天羽の服を剥ぎ取ってゆく。今白い肌を紅潮させているのは羞恥だった。
久しぶりのセックス、しかも男はおそらく初めてであろう相手だと思うと身体中の血が沸きそうだった。
お互いに飽きることなく愛撫し合い、我慢できなくなった欲を、何度も手で吐き出させた。それでも熊谷はまだ求めてきた。しかしゴムもローションもない上、ここは会社が予約したビジネスホテルだ。天羽が内腿を使って熊谷を慰めたが、男二人にホテルのセミダブルベッドはさすがに狭かった。
ぴったりくっついたまま仰向けになって休み興奮も収まった後、熊谷に引っ張られて一緒にシャワーを浴びた。明るいから嫌だと抵抗したが、無駄だった。立ったままボディーソープを手で泡立てて身体を洗っていると、熊谷は名残惜しそうに背中を洗ってくれた。
湯気のこもるバスルームのドアを全開にして身体を拭いていると、熊谷が困った顔をしてきりだしてきた。
「明日、東京に着いたらそのまま天羽さんの部屋に行っていいですか?」
明日、というか、すでに今日だ。何か用事でもあるのだろうかと不思議に思っていると、
「ちゃんと続きがしたいです。必要なもんは途中で買ってくんで、ベッドだけ貸してください。俺の部屋、ここと同じセミダブルなんです。男二人であれするのは多分きついから......」
そんな会話を交わして熊谷が自分の部屋に帰ったのが午前三時。朝食を食べて新大阪駅に着いたのは午前九時前だった。
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薄っすらとクマを作った天羽が新幹線の席で出発を待っていると、コーヒーの香りが鼻をくすぐった。目の前のトレイが倒されて、砂糖スティックと共に置かれた。いつの間にかプラットホームで買っていたらしい。礼を言いながら、まだ熱い液体を口にする。熊谷は隣の席で、蓋を外して豪快に飲んでいた。力強い顎のラインが上に向き、喉が大きく上下する。
「今更だけど、こんな寝不足の三十男の顔見て後悔してない?」
「後悔って、何を? そういや俺より五つ上でしたね。あー、しまった、青いクマができてる。えっと、遅くまでお付き合いいただきありがとうございました」
お礼を言われてしまった。そう言う所が憎めないのだ。仕事でもプライベートでもこんな風に相手の警戒心を解いているのだろうか。
「はぁ......」
なんだか気が抜けた。
飲み終わったコーヒーカップを空いたビニール袋に入れ、目を閉じた。長く続く発車ベルの後、駅を離れると周りの音がしずまってゆく。
まな裏には、閉じる直前に見えたまだ眠たそうな横顔、数時間前に睦言を交わした時の理性を削り落とした表情が、断片的に浮かんでは消える。
「天羽さんの顔、俺の理想なんですよ」
ん? 薄目をあけて隣を見ると、熊谷が後ろの席を確認してリクライニングを倒すジェスチャーをする。二人で同じ位の角度に倒して前を向いた。そんな馬鹿みたいにどうでもいいことに、心の奥を擽られる。
「うち、父が沖縄、母が北海道出身で、俺は父親似の、見ての通り濃い顔でしょ。だから天羽さんの顔がめちゃくちゃ好みだし、遠慮なく見られるのが嬉しい......」
何を言い出すかと思ったら、中学生の初恋のような告白をされた。聞かなかった振りをして天羽は目を閉じた。頬が微かに紅潮するのは抑えようがない。
「熊谷さんの方が魅力的な顔してますよ。モテるでしょ? 僕みたいな顔の人間ならそこらじゅうにいくらでもいるし、年をとれば顔も変わる」
「誰だってそうですよ。だから、そんな長期計画の予防線は張らなくていいし、」
言われて自分の図々しさに気がついた。何を考えてそんなことを言ってしまったんだろう。天羽の焦りも気にせずに谷は声を落として続けた。
「その顔で俺とあんなことしてくれる人は他にいません」
公共の場で何を......思わず眉根を寄せて隣を睨んだ天羽が見たのは、自分をまっすぐに見つめている熊谷だった。
「あ、やっと目を開けた」
反応を見ていたのだ。恥ずかしいやら腹が立つやらで、声に出さずに「ばか」と唇を動かした。
「天羽......比呂さん。二人の時、比呂さんって呼んでいいですか。あと俺の下の名前知ってます?」
知ってるに決まってる。入社後、営業チームに挨拶に行った時、一番最初に聞いた名前だ。
「熊谷......匡 」
「あたり、知ってたんだ」
そう言いながら熊谷は自分の名刺の裏に名前と振り仮名、そして連絡先を書いて天羽の手に捻じ込んできた。
小さな紙片に、自由で力強くのびのびとした字がバランスよく収まっている。人柄が表れるのか、センスがいいのか。名刺を検分していると、何がそんなに面白いのかと興味深そうに熊谷が眺めてきた。
「熊谷さんてさ、字が上手だよね。初めて見た時、凄く印象がよかった」
「あざっす。あと、匡 です。熊谷って呼ぶの面倒じゃないですか?」
「あー......えっと」
さすがにいきなり下の名前で呼び捨てはできない。でも、口角が上がってしまうのが止められず、目を逸らしたら「照れてる」と小声で突っ込まれた。
宣言通り熊谷は、品川駅からそのまま天羽の部屋に直行した。
道すがら好きなローションの銘柄まで確認して機嫌よく歩いて行く。あまりにテンションが上がり、うっかり家主より先に行っては、立ち止まり振り返って天羽を待っていた。
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