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第6話

「はぁ……やっちまったなぁ…」  あんなに自信満々に“一位とったらご褒美下さい事件”を起こしておきながら、その翌日、打って変わって伏見は自分のやらかしたことを既に後悔し始めていた。  スーツにネクタイ、靴と時計。身だしなみは完璧。にもかかわらず、伏見は自宅の玄関に座り込んでいた。 自分が自分でなくなってしまいそうで、認められなかった気持ちは、しかし、一度認めてしまえば、相手が上司だとか、男だとか、そんなことは頭から飛んでいた。そして、同時に理解した。今まで自分がしてきた恋愛は本気じゃなかったのだと。 「だって、あの目は狡いよー。可愛すぎる…魔性だ魔性…」  こんなにも自分が猿だと思ったことは初めてだった。好きだと自覚した途端、言葉よりも手が出るなんて、自分でも呆れてしまう。  御影の怯えた顔を思い出して、伏見は目を隠すように手の項を顔にあてた。 「どうするかな…」  どうするもなにもこのマイナスポイントを覆すには、宣言通り一位をとって、告白するしかない。長い独り言を言い終えると、御影は玄関のドアを漸く開けた。 *  気がつけば課長に昇進してから、三ヶ月が経っていた。 キスをしたことが嘘のことように、何もなく毎日が過ぎていき、あれは夢だったのではないかと思うようになっていた。  しかし、コンテストが近づくにつれて、知らず知らずのうちに、あと何日だとカウントしてしまっている自分がいて、御影は唇を噛んだ。  だいたい、あいつはもうそんなこと忘れてしまっているかもしれないのに。だが、もし忘れていなかったら…?伏見に身体だけの関係を迫られたら、自分は振りきれるのだろうか。  そんな、考えてもどうしようもないことをグルグルと考え続けていると、オフィスの休憩室で、一組の男女が揉めている声が聞こえてきて、御影は足を止めた。心臓が嫌な音を立てる。 これは…伏見と、伏見のチームの新人女性の声だ。 「どうしても、ですか?」  新人女性が泣きそうな声で問いかけた。 「ああ、ごめん…」  伏見のは疲れているのか、声にいつもの覇気は感じられなかった。 「それは、私が社内の人間だからですか?」 「違うよ」  このやり取りで、女性が伏見に告白したのだろうということはすぐにわかった。 「嘘!だって、伏見さん…関西のころは社内で彼女作ってたのに、本社に来てから、一切なくなったって」  そこまで聞いて、御影は息を止めた。“社内で彼女は作らない主義なんで”それが伏見の口癖だった。だからてっきり入社時代からそうなのだと勝手に思い込んでた。 「それって、仁科美香さんのことまだ好きだからですか?」  知らない女性の名前が出てきて、心拍数が上がる。 「…なんで、仁科さんの名前が出てくるのかな?」 「だって、こないだの出張研修で、二人が楽しそうに話してたって…」  そう言いながら、女性が泣きそうな声を出したところで、伏見は限界だったのか、大きく息を吸った。 「いい加減にしてくれ!僕に今恋人がいないことも、君と付き合わないのも、彼女とは関係ない。そんなことより俺は今、プレゼンの資料作りに忙しいんだ。ミーティングでも言ったあだろう、絶対に一位を取るって。これ以上邪魔をしないでくれ!」  普段の伏見では考えられない、きつい言葉の数々に女性はワッと号泣し、そのまま立ち去った。  あんな風に怒鳴るなんて、どうしたんだ、ダメだろう、と咎める気持ちと心配する気持ち、そして… “絶対に一位を取る”  喜ぶ気持ちがぐちゃぐちゃになって、御影は声をかけることができずに立ち尽くした。 * 「伏見くん、頑張ってるみたいですね」  廊下を歩いていると、メガネ姿の40代の男ーー藤宮から話しかけられて、御影は足を止めた。藤宮は課長補佐として、今の御影を間近で支えてくれている一人だ。年上部下と上手くやっていけるか伏見には心配されたが、藤宮補佐の穏やかな気性のせいか案外上手く仕事は進められていた。もちろん、伏見と同じようにはいかないけれど。 「ああ、そうですね」 「でも、今日はちょっとしたミスがあったみたいで、落ち込んでると聞きました」  補佐に言われて、無言で頷く。それは知っていた。だから、さっき告白されたときも、余裕がなかったのだろう。 「御影さん、一言励ましてあげてください」 「え…」 「そしたら、きっと伏見くんも喜びます」  補佐にそう言われて、思わず目をしばたたかせた。  昔の自分ならこんな風に助言をしてくれる人は現れなかっただろう。いつも、ピリピリして、まともに会話もしようとしていなかったから。  “御影さんは愛想さえ身につければ完璧です!あと、とくに部下にはもう少し優しい言葉をかけるようにしてください!”  そんな言葉を思い出し、「しょうがねぇな」と苦笑しながら呟いた。 *  今日は朝から最悪だった。  実績は、御影が抜けてから調整に調整を重ね、なんとか保ちつづけていたが、やはり問題はプレゼンコンテストの方だった。  個人やチームだけでなく、課としても評価されるコンテストは実績と同様、皆が重きを置いている重要な行事だ。全国の営業課がしのぎを削る戦いを、再編されたばかりのチームで挑むのは、やはり大変だった。  分担を細かく分け、それでも間に合わないものがあれば、朝早く来て、伏見が作業をすることによって賄う。それを繰り返してどうにか進捗させていた。  そんなこんなで伏見は今日も朝早くから出勤していた。  早朝のオフィスは静かで好きだ。だが、見たくないものを見てしまう時もある。  まだ人もまばらなオフィスに聞きなれた二人の声が響いてきて、伏見は思わず耳を手で塞いだ。 一人は尊敬する上司であり想い人の御影悠希、もう一人はその補佐をしている藤宮課長補佐だ。御影が多忙なためなかなかコミュニケーションをはかれないからと、藤宮補佐が最近御影に合わせて早く出勤しているらしかった。 昔から考えれば、あり得ない微笑ましいやり取りを、嬉しく思う反面、そこにいるのが何故自分ではないのだという嫉妬心も出てきてしまい、伏見はブンブンと振り払うように頭を振った。  昼休み。二つ目の不幸はやってきた。人間なぜこうも嫌なことというのは重なってしまうのだろうか。  営業一課、しかも同じチームの女性社員に呼び出され、嫌な予感がしつつも休憩室へと向かえば、案の定、告白された。せめてコンテストが終わってから言って欲しかったと、どうしようもないことを考える。何よりも今はコンテストに集中したい。余計なトラブルは避けるべきだ。そう自分に言い聞かせていたものの、関西支社での過去の女性関係のことまで持ち出されて、ついには怒鳴り泣かせてしまった。  そして、夜。ついにはこのミスだ。  商談と会議をダブルブッキングさせるという、新人時代でもしたことのないミスをしでかしてしまったのだ。幸いにも、調整はできたのだが、今までにしたことのない間違いをおかしてしまったことは、思った以上に、堪えた。  もう、漏れるため息もない。と、誰もいない休憩室で落ち込んでいると、少し高めのよく通る声が、後ろからした。 「そんなんで、一位がとれるのか?」 「…御影さん」  向かいのソファに腰をかけると、御影は足を組んでこちらを見た。 「らしくねぇミスだな」  その言葉には返す余裕もなく黙っていれば、「まったく…」と御影はため息をついた。 「そんな余裕のない顔してたら、誰も着いてこないのは知ってるだろ」  知っている。わかってる。そんなことは誰よりも理解しているはずなのに… 「だってイライラするんですもん。御影さんはどんどん先に行っちゃうし。…そりゃ藤宮補佐だってできる人ですけど、俺ならもっと上手くサポートできるし、なんで俺が御影さんの隣にいないんだろうって…」  そこまで、言えばポカンと口を開けてこちらを見られた。なんでそんなことで苛ついてるんだ、というところだろうか。 「…嫉妬してるみたいに…聞こえるぞ」 「ええ、そうですよ。嫉妬してるんです」  困惑した声を伏見は肯定すると、御影はますます驚いた表情をした。 「でも、お前が嫉妬したことなんか…」 「本気で好きになったのは御影さんだけですから」 「なんで…お前、あんなにモテるのに…」  会話の流れで、好きだと告白してしまい、思わずしまったと思ったが、それよりも、煮え切らない御影の態度に伏見はため息をついた。 「それとこれとは関係ないじゃないですか。…御影さん、まさかコンテストの結果出る前に俺のこと振るつもりなんですか?…だったら、それは聞かないですから」  本当に今の自分には全くというほど余裕がない。このままでは八つ当たりしてしまいそうだと立ち去ろうとして、伏見は腰を上げたが、御影に手を捕まれた。 「まて…」 「…なんですか?」  やはり、ここでフラれるのかと、身体が硬直する。 「…かがめ」 「え?」 「聞こえなかったのか?…かがめ」  もう一度同じことを言われて、訳がわからずも、身体を前へと傾ければ、ぐいっと腕を引かれ、唇に柔らかい感触が伝わった。 「え……ええ!?」    驚き、御影を見ると、赤くなった顔で睨まれた。いつもは白い顔が今はポストのように首まで真っ赤に染まっていた。 「これ以上はダメだ。…コンテスト一位とるんだろ?」  その瞬間、史上最大の“待て”をされたことに気がついた伏見は声にならない悲鳴を上げた。 *  会社からでると、すっかり暗くなっていた。鈴虫が鳴いていて、深呼吸をすれば秋の澄んだ空気が流れ込んできた。  足を進めると正門のところで、目当ての人が待っていて、伏見は駆け出した。 「お疲れ」 「お疲れ様です。待っててくれたんですか?」  御影に問いかければ、素直に「ああ」と頷かれて、伏見は堪えきれずに笑みを作った。 「何、ニヤニヤしてるんだ」 と、いつかと同じ質問をされて「聞きたいですか?」と言えば「やっぱりいいと」答えられた。 「お前が、ニヤニヤしてるときはろくなことないからな…。…それより、これ」 「なんです?」  渡された紙を受け取りながら首を傾げる。 「大したものじゃない。前に貰ったお土産のお返しと…、あと、コンテスト優勝したから、それの祝いだ」  恥ずかしいのか、小声でボソボソと言われたが、伏見の耳にはしっかり届いており、たまらずに伏見は両手を大きく広げて、御影に抱きついた。  驚いた御影が「わ!」と叫んだが、構わずに抱き締め続けると、おずおずと背中に手を回してくれた。キスはしたことがあったが、こんな風に抱き締めたことはなかった。すっぽりと腕に収まる御影の華奢さに、心臓が締め付けられるのを感じ、伏見はますます腕に力を込めた。 「御影さん、好きです。御影さんは俺の“好き”は軽いって言ってましたけど、この好きはそんなことないです」 「…ん、知ってる」  苦し気なくぐもった声が聞こえて、腕を緩めれば、つり目気味の大きな瞳と目があった。 「こないだは順番すっ飛ばしてすみませんでした。俺、今までまともなお付き合いってのをあんまりしてきてないので、御影さんに教えてほしいです。御影さんの“待て”は結構聞けると思うので」 「バカ…」 「ね、御影さんは俺のこと好き?」  そうして、耳元で囁かれた声を聞いて、愛しさを伝えるように伏見はまた御影を強く抱き締めた。 *** 「社長と副社長って、昔この営業一課でチームリーダーとサブリーダーやってたんだって。それでその時から言われていたらしいよ」 「なんて?」 「営業一課の凸凹コンビって!」 完

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