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第5話
課長職について、御影は改めて伏見の存在の大きさを痛感していた。
サブリーダーをしてくれていたときはサポートに徹していたが、実際は自分なんかよりも人を導くことに長けているのだ。
「僕は人に指示を出したり、動かしたりとかが下手なんですよね」
そう言われた時、そんなことはないと否定したが、御影の考えはやはり当たっていた。今だって、再編成されて間もない時期にもかかわらず、チームを見事まとめあげている。
そんな優秀な部下と出会ったのは、二年前の春。
「でかい」、それが第一印象だった。平均身長よりも低い自分は元々人を見上げる方が多かったが、こんなにも急な角度で話さないといけない部下は初めてだった。
次に思ったことは「人たらしの平和主義者」
身長のわりに威圧感がないのは、この性質のせいなのだろう。そのおかげで、余計なトラブルを起こすこともなく、すぐに営業一課のメンバーとも馴染んでいた。
しかし、よく言えば平和主義だが、悪く言えば八方美人。
正直最初は事なかれ主義の八方美人だと御影は思っていた。仕事がある程度できても情熱はなく、指示されることはできても自ら道を切り開けるタイプではないだろうと。
しかし、ある日その考えが誤っていることに御影は気づかされることとなった。
当時からチームリーダーを務めていた御影は個人の成績は毎回一位をキープしてはいたものの、今ほど圧倒的でなく、またチームとしては、全国で二位や三位をふらついているような状態だった。
周囲からの嫉妬ややっかみを向けられることは、寧ろ今よりも多く、御影の口の悪さも相まって、絡まれることはしょっちゅうだった。
「そんなことを言う暇があるなら、少しでも売上伸ばすために努めたらどうだ」
この日も、そんな風に言い返した覚えがある。
何と言って絡まれたかは忘れてしまったが、相手は確か2、3歳上のどこかのチームリーダーだった。年下が同じ役職で、そして優秀なことに怒りと焦りがあったのかもしれない。
「おい、仮にも先輩に向かってなめた口聞いてんじゃねぇぞ」
隣にいた取り巻きのような男が、大声で怒鳴ってきた。一昔前のヤンキードラマでも見ている気持ちになる。低レベル過ぎて本当にここは社会人が集う場所なのかと疑いたくなった。
「後輩をいびるのが先輩の仕事なのか?そんなやつを一々先輩扱いしてられない。それより早く解放してくれないか。君たちと違って俺は忙しいんだよ」
つらつらと反論を並べれば、言葉で応酬することができなくなったのか、取り巻きの男が拳を振り上げた。
「てめぇ!」
バシ!
流石に手まで出してくるとは思っていなかったため、御影は目をつぶるしかできなかったが、しかし、衝撃を受けることはなかった。
「何やってるんですか」
「…!」
突如降ってきた声に驚いて、上を見れば、伏見が後ろから伸ばした手でその拳をなんなく受け止めていた。
まるで用心棒が突如現れたような展開に、先輩らも驚いたのか、ポカンと口を開けている。
「もー、探したんですよ、御影さん!」
「…そうか」
「準備しないと、商談に間に合わないですよ!…てことで、俺たちはこれで…」
何事も無かったように、つかんでいた拳を離した伏見だったが、そこでようやく、絡んできていた先輩たちの方を見た。 まるで、今やっと存在を認知したとでも言うように。
「あ。俺、暴力って嫌いなんですよ。だから、御影さんが殴られでもしたらショックで、相手のことボコボコにしちゃうと思うので、気をつけてくださいね」
そこまで言うと伏見は、呆気に取られて固まったままの先輩たちを放ったまま、御影の手首を掴み、そして歩き出した。
「ふは…、伏見、お前変なやつだな」
暴力が嫌いと言いながら、ボコボコにするという矛盾だらけの発言。それを当たり前のことのように、平気で言いきったことがおかしくなって思わず吹き出せば、心外だと言うように伏見は眉を寄せた。
「変じゃないですし、笑い事でもないです!本当に殴られてたらどうしてたんですか!」
「その時はその時だ。気にするな」
ぷんすかぷんすかと音が聞こえてきそうな伏見を宥めるようにそう言えば、また「もー!」と返された。
「そんなに、もーもー、言うな。牛になるぞ」
「牛になったら、御影さんのせいですね。心臓に悪いですよ」
ふわふわした八方美人だと思っていた部下は、二面性を持つ腹の底が見えない男だった。本人が言うように、御影が殴られていれば、平気で殴り返していたのではないかと思うほど、伏見は笑いながら怒りを露にしていた。
その凶暴性を肌で感じたから、先輩たちもあれ以上なにも言わなかった…いや、言えなかったのだろう。
「お前は怖い男だな」
と、小さく呟けば「何か言いました?」と仔犬のような目を向けてくる。
とんでもない男になつかれてしまったかもしれないと思いつつも、嫌な気持ちにはならなかった。
そこから、番犬伏見はことあるごとに、用心棒のように御影のピンチには颯爽と駆けつけた。
それだけではなく、自分の仕事の引き継ぎが一通り終わり、自身の仕事にある程度慣れると、今度は色んな場面で御影をフォローするようになった。資料作りやプレゼンから人間関係の構築まで、あらゆることに尽力してくれた。だが、同時に御影は恐怖も感じていた。このまま甘え続けたら、伏見なしでは何もできなくなってしまうのではないかと。
距離を取ろうと伏見に何度冷たい発言や突き放すようなことを言っても、まるで手応えがない。それどころか柔らかく包みこまれ、いつも白旗を揚げるのは自分の方だった。
しかし、そんなある日。意外なことに先に爆発したのは伏見の方だった。
「もう、ついて行けません。御影さんといたら心臓がいくつあっても足りないです」
そう言った伏見は何か覚悟を決めた表情でこちらを見つめていた。
チャンスだと心で声が囁く。離れた方がいいと思っていたじゃないかと、このまま近くにいれば今以上に依存してしまう。どこか別の営業課へ移動させればいい。その法が互いの為だと。
だが、いざ声に出したのはまったく別の言葉だった。
「お前、俺から逃げるのか?」
もう、その時には好きになってしまっていたかもしれない。
わざと挑発するような言葉を選んで、離すどころか再び自分へと縛り付けた。
その気持ちに気づいてからは、伏見に言われることも可能な範囲で聞くようにした。
最初はできないと思っていた、周囲への愛想も、訓練すればなんとかふりまけるようになり、以前よりも格段に仕事はしやすくなった。
彼氏にふられたくがないために言うことを聞く彼女のようで、自分でもうすら寒くなったが、伏見が言うことは基本的に正しく良い方向で進むため、今では大分素直になった。
そうして、わざと突き放すこともしなくなり、良好な関係を築いていたが、やはり伏見の前から逃げ出してしまいたくなる瞬間は周期的に訪れた。
伏見の女関係だ。
女性と付き合ったことがあるものの、淡白な付き合いしかしたことがなく、就職してからはからっきしだった御影とは違い、伏見は女性との関係を切らしたことはなかった。とにかくモテるのだ。それは、そうだろう。こんなに、扱いにくい上司をも懐柔してしまうほどなのだから。
淡い恋心は、その女関係の話を聞くたびに何回も粉砕された。
そもそも、あんな女たらし。好きになることが不毛なのだ。
そう何度も言い聞かせてきたが、恋心が消えることはなく…、粉砕され、仕事が一緒にできればそれでいいと言い聞かせながら再構築し、また粉砕される。の、繰り返しで、御影は自身でも気づかないほど、それを守る壁は厚手になっていった。
だから、この二年、バレることもなく、共に働いて来られたのだ。
それがいきなりどうしたというのだろう。
“ご褒美がほしいです”
そう言って、何故かキスをされた。
一生触れることはないと思っていた唇に触れられて、驚くほど身体は喜んだ。しかし、伏見がなんのつもりでこんなことをしてくるのかが、怖くなって、抵抗した。
唇を噛むなんてことをしたくはなかったが、あのままでは本当に押し倒されてしまいそうだったので仕方がなかったと思う。
もしかしたら、女に飽きて、男も抱いてみたいと思ったのかもしれない。そして、抱かれて捨てられれば、今度こそ自分の恋心は粉々に砕け散ってしまうかもしれない。そんな考えが脳にちらつく。
一度こちらを見てくれたらそれでいいと思えるほど強くはない。
一度触れられればきっと、ずっとを求めてしまう。自分と同じ気持ちが欲しくなる。
そして、今。今度は何の音沙汰もない状態になっていた。
やはり、キスしたものの男よりも女がいいと思ってしまったのだろうか…。
「伏見さん、今日のアポの件なんですが…」
営業課の女性新入社員が伏見の元に駆け寄れば、振り返った伏見が「了解~」と言っているのが見えた。忙しいわりに顔色は良さそうだ。
これだけ、悩んでいるのに、すました顔で過ごしている伏見が憎たらしくなって、御影は眉間に皺を寄せ、肺に溜まった空気を吐き出した。
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