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〈Ⅱ〉-4
(心残りなんて……無い。いや、無くさなくちゃいけないんだ。今日を限りに――)
梓 が『番 』の相手を今まで正式に決定しなかった理由。
それはまだ、誰にも話したことがない梓だけの秘め事だった。
(誰にも言えるわけがない。絶対に叶うはずのない事なんだから。僕が『番』になりたいのは――)
「梓?」
気遣わしげにかけられた淳弥 の声にハッとして、梓は意識して笑みを浮かべた。
真実を話すことはできないが、梓はこの誠実な友人になるべく嘘はつきたくなかった。
「気がかりは……無くなった、と言ったら嘘になってしまうんだけど。でも、それよりも僕にとって、君を『番』に選ぶ事の方がずっと大切な事になったんだ」
なかば自分に言い聞かせるような台詞だった。
梓は淳弥の右手をとり、そっと両手で包み込む。
(僕は淳弥と、手を携 えて歩んでいく。その覚悟を決めなければならないんだ)
そしてまっすぐに、淳弥の瞳を見据えた。
「『番』になっても、今の僕たちの――大切な友達だっていう関係は変わらないよね? 淳弥は、変わらないでいてくれるよね?」
淳弥の左手が、梓の手の甲を優しく撫でる。
「『番』になることで、何かが変わるのかはわからない。だけど俺にとって、梓が大切な友人であることは絶対に変わらないよ」
その心強い言葉で、梓はますます淳弥への信頼を厚くする。
やはり、『番』になるのは彼しかいないと心に決めた。
◇ ◇ ◇
「ありがとう、淳弥。きちんと話せてとても気が楽になった」
「俺もだよ。良い報告で安心した。午前中の授業は、梓の話というのが何なのか気になって身が入らなかったんだ」
「思わせぶりだったよね、ごめん。でもその割には、先生に当てられてもすらすら答えていたよね?」
梓と淳弥は、緊張感の解けたいつも通りの会話を交わしながら『相談室』を出た。
開け放たれた廊下の窓から、初夏のさわやかな風が吹き込んでくる。梓の髪がその風になぶられて顔に覆いかかった。
「わ……っ」
「梓、少しじっとしていて」
視界を遮る柔らかな髪を、淳弥の指が撫でるようにかき分ける。梓が条件反射で閉じていた目を開くと、至近距離に淳弥の瞳があった。
(綺麗な瞳……、海の色みたいだ)
淳弥の瞳は黒色なのだが、梓にはその静かな佇まいが、何かで見た青の洞窟のような、深く透き通った青に感じられた。
(あれ? 何だか、頭がふわふわする……?)
「梓っ!」
ふらりと足をよろめかせた梓の体を、淳弥がとっさに抱き止める。そしてすぐに異変に気がついた。
――梓の体から、花のような香りが立ちのぼっていたからだ。
「梓、『相談室』に戻ろう。おそらく『発情期 』が来る」
「え……っ」
頭の中がぼうっとして体の火照りは感じているものの、梓はまだ自分の身に起きた変化をうまく実感できていない。足取りがおぼつかない自覚はあったので、抱き抱えてくれている淳弥にすがって歩くのが精一杯だった。
「抑制剤、今は持ってないよな?」
「う、ん……教室の、鞄の中……」
「確か、『相談室』には抑制剤が置いてあるはずだから――」
梓はもちろんだが、淳弥もまた梓の発する香りで理性が飛ばないよう必死だったので、気がつかなかったのだ。
二人の姿に気づいて近づいてくる人影に――
「兄さん?」
まるで、その声がスイッチであったかのようだった。
「う、あぁぁ……っ!?」
体の奥がジンと痺れ、爆発し、梓の全身を乱暴な熱が駆け巡る。
しゃがみこみ、震える体を抑えるために自分自身をギュッと強く抱き締める。
(体の中が……、奥が、熱くて溶けて、何かを欲してる。僕の中に、足りないものを――!!)
しかし、そんなことで発情を抑えられるはずもなく、梓の呼吸は浅く、速くなっていく。
「兄さん。部屋の中まで運ぶから、少しの間我慢して」
柾の声がしたかと思うと、梓の体は膝を抱えて縮こまった状態のまま抱き上げられていた。
そして、梓の上にばさりとやや厚みのある布のようなものがかけられる。
(この匂い……淳弥の制服……?)
淳弥の匂いを嗅ぐと、梓は少し安堵の気持ちが得られた。だが、このどうしようもなく疼く体の熱は収まりようがない。
(柾……、まさき……っ)
淳弥と『番』になると決心したはずなのに、発情した梓の脳裏を占めるのは彼ではなかった。
(まさき。柾が欲しい。僕はずっと、柾にどうしようもなく惹かれていた。叶わぬ願いのはずなのに。そう知っているのに――。この体は、求めているのは柾しかいないと確信してしまっている――!)
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