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夏の思い出(光城久弥⇔紫陽花)

ホラー注意 「――で、喉に矢が刺さった甲冑の幽霊に追いかけられたらしい。その人は翌朝傷が無いのに血塗れで死んでたって」  ぎゃああああ、という悲鳴が禿達の大部屋に響いた。もうこれは華乱全体に聴こえているだろう。この夜中に私の他に花魁、禿、そして下働きの者達と柊さんが集合している。お盆は一週間程休業するので、華乱は数少ない夜中の自由時間だ。夏は何故か広い禿のの部屋にたむろして怪談話をするのが風物詩になっている。この時期にやったら本物を呼び寄せそうだが、それもまた面白いというのが大多数の意見なのだ。全く、怖いもの知らずというか、無謀な程に勇気があるというか、とにかく華乱にはそんな人物が多いらしい。物の怪や幽霊などの類が苦手な者は毎年不参加だから参加者の悲鳴だけを自室や休憩室などで聴く事になる。ここ近年最も怖い話を用意してくるのは先程の語り手である昼顔、夕顔だ。何処かの言い伝えから作り話まで何でもあるのだ。 「では次は俺、良いですか?」  悲鳴が止んでからすっと手を挙げたのは菖蒲だった。表情も変えずにただ淡々と語るので、より頭で自由に映像を思い浮かべてしまうので一層恐怖が増す。 「ちょっと待って。朔月先抜けるか?」 「何故でありんすか? わっちだけ除け者にするつもりか、撫子は薄情者でありんすなあ」  既に涙目で撫子にしがみついている朔月が不満げに言った。ガタガタと震えているが先に抜けるつもりはないらしい。まあ、人の居ない薄暗い廊下を歩く方が嫌だという気持ちは分かる。撫子は向かい合わせになるように自分の膝に朔月を乗せた。菖蒲は朔月が大人しくしているのを見て口を開く。 「これは人づてに聞いた話ですが――」  丑三つ時が過ぎた頃に怪談会はお開きになった。禿達と撫子、胡蝶蘭は部屋に残り後片付けをする。私はは帰るつもりで自分の荷物をまとめた。まだ大部屋付近は人がいるが、少し離れたら一気に人の気配がない。ギシッ……ミシ……と鳴る床の音がやけに大きい。なるべく音を立てないように静かに、しかし早足で歩いた。 「あれ、久弥さん帰るんですか?」 「こんな時間ですから、今夜は泊まって行きませんか? 俺の部屋に寝具を用意しますよ」  後ろから聞こえた声に小さく肩が跳ねたが、冷静を装って振り向くと向日葵と菫が立っていた。 「幾ら久弥さんでも、流石にこの時間に一人で出歩くのは危険ですよ」 「折角の休みだし、呑みます?」  向日葵が猪口を煽る真似をした。返事をする前に菫が私のの手を引く。 「ありがとう」  私は有難く二人の誘いに乗った。本音を言えば、帰りたくはなかったのだ。家に居たくないのではなく、帰りの道が嫌だった。というより、今は一人になりたくない。けろりとしている向日葵は厨に酒を取りに行き、菫と二人で先に向日葵の部屋に向かう。向日葵が戻って来てから二つ並んでいる布団の上で乾杯した。 「既に布団が並んでいたが、二人は並んで寝るつもりだったのか?」 「一人の時に何か出たら嫌じゃないですか」 「見たって騒いでも証人がいないんじゃあ事実かどうか分かんないでしょう?」  その答えに思わず一人の時に見た事があるのかと聞きたくなった。だが聞いたが最後、なりふり構わずこの部屋を飛び出す気がする。 「というのは冗談で、本当は寂しいから呼びました。ほら、皆でわいわいやった後に一人部屋に戻ると静かでしょ」 「……そうか」 「だからそれだけです」  さらりと向日葵はそう言った。 「桜から何か聞いたのか?」 「何の事でしょうか?」 「いや、何でもない」  菫は黙って私の猪口に酒を注ぐ。私はそれを一気に煽って言った。 「ありがとう」 「それ、さっきも聞きましたよ」 「分かっている」  もう一度酒を注いでもらいながら、小皿の豆をつまんだ。前の上級花魁はこんなお節介もちゃんと引き継がせたらしい。先程の向日葵の誘い文句と同じ言葉を、久弥は毎年怪談会の後に聞いていた。 (桜、去った後の事までお前が私を気にかけるとは思わなかったよ) 五年前__ ―一人で部屋にいた筈なのに、後ろから誰かに肩を掴まれた。その肩に乗った手は血塗れで、振り返ると肩を掴んでいたのは、黒目しかなくて血の涙を流した黒くて長い髪の女だったって言うんだ。坊主がそいつと目が合った時、そいつはニタァって笑ったって―  つい先程の怪談会の話が頭をよぎり、一人部屋に戻った私は恐る恐る部屋の中を見回した。桜の足音に違いないと分かっていても、廊下の足音や物音が聞こえるたびに体が強張る。やはりあんなものに参加するじゃなかったと後悔した直後、大きな音を立てて障子戸が開いた。 「紫陽花、いるか?」  無遠慮に上がり込んで来た桜を見て眉を顰める。片手に枕を抱えて丁寧に戸を締めた桜は招いていないにも関わらず、部屋の奥に進んだ。 「何の用だ? というか、勝手に入るな」 「一晩こっち居ても良いか?」 「はあ?」 「大勢で集まって楽しい事やった後に一人部屋に戻るとさ、静かで寂しいんだよ。だから入れてくれ」  もう入ってるし、枕を畳に置いてそのまま畳の上で横になってるし、嫌だと言っても出ていく気はないだろう。私は小さく溜息を吐いた。 「そんな所で寝たら体を痛める。こちらに入りなさい」 「そしたらお前は何処で寝る気だよ?」 「部屋の主を追い出す気か? 一緒に入れと言っている。ほら」  先に横になり、端に避けて隣を叩いたら、桜がごろごろと転がってきた。 「流石に狭いな」 「五月蝿い。嫌なら自分の布団を持ってきなさい」 「いや、これで良い。ありがとな」 「どういたしまして。寂しいなら賑やかな大部屋に行けば良かったでしょう?」 「ここが一番近いだろ」  桜の「寂しいから来た」なんて言葉は嘘だ。私が幽霊だの怪談だのが苦手な事に気付いていたのだろう。でなければ静かな私の部屋を選ぶ筈がない。桜らしい気遣いが有難かった。 「桜」 「ん?」 「助かった」 「お互い様だ」  その後は確か、互いに背を向けて眠った気がする。安心感があったからか、私は昼頃まで目を覚まさなかった。

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