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吸血鬼と狼男
ヴラドはとてつもなく戸惑っていた。
頭上にはさんさんと降りそそぐ太陽の光、胸から下はきらきら輝く透明の水が流れていく。
泣きそうになりながら周りを見渡すと、明るい叫び声をあげる子供たちが浮き輪に乗って流れて行った。
「ど、ど、どうしよう…」
こんなはずじゃなかった。
我ながらここに来るまでの準備は周到だったとブラドは思い返した。
インターネットで見かけて、こんな便利なものがあるのか!と喜んで速攻買った真っ黒のラッシュガードとスパッツは、肌のほとんどを隠している。
それに合わせて着てきたのは黒のパーカーフードとつばの広い帽子。
日光に当たれば燃えて灰となってしまうヴラドにとって、今日身に着けてきたものは必要不可欠なアイテムであった。
ここまでしても、灰となってしまう危険を冒してでも、ヴラドは「市民プール」というものを楽しみたかった。
事の始まりは、城で召使いたちが休日に「プール」で遊んだという話を耳に挟んだからだ。
城から出ることがあっても、夜にしか外出をしたことのなかったブラドにとって、仲間たちとわいわい楽しそうに休日を過ごしたという彼女たちの話は夢のような話だった。
――いいな、僕も「プール」やってみたい
自室に慌てて戻るとインターネットを使い「プール」について調べてみた。
「なるほど、水は動かないのか」
生まれつき流水は苦手な体質だ。
日光も、ニンニクも、十字架も、鉄も苦手。
一族に守られて宝物のようにこの城で育てられたヴラドは、苦手なものがあっても困るような生活は送ってこなかった。
「よし!これとこれを着れば日中にプールに行けるはず!」
こうして、ヴラドは市民プールへと行くことにしたのである。
「う、動けないよぉ」
勢いとやる気だけで近所のプールへ向かい、最初に目に入ったプールに飛び込むところまでは良かった。インターネットで見たプールの水は流れていなかったはず。
それなのに、ヴラドが飛び込んだプールの水はどんどんと流れていく。
体に纏わりつくラッシュガードの布が水を吸い込み張り付いていき、気持ち悪ささえ感じてきた。目の前で水が流れていく様子を見ているだけで段々と体の力が抜け、頭が朦朧としてくる。
「も、もうダメだぁ」
ぐらっと頭が揺れ意識が薄れそうになった。頭のどこかで、このまま水に頭までつかり、そのまま溶けて死んでしまうんだと理解し、城のみんなにさよならが言えないことが悲しくなってしまった。
「おいっ!ヴラドっ!」
周囲の水が飛沫を上げ飛びあがった。
身体が心地よいフワフワな何かに包まれると心に温もりが戻り、涙が流れ出る。
――これは天国なのかも
だから温かいのかと思っていると覚えのある感触が額を撫でた。
「え?トゥルク?」
恐る恐る瞼を開くと、昨夜ベッドを共にした狼男が目尻を下げて自分を見つめ返している。
茶色い瞳は心配と恐怖の色に揺れ、ご自慢の白と灰色が混じる毛並みは、プールの水に濡れ、いつもより色濃くなっていた。
トゥルクの顔から水滴が自分の顔に滴る。それだけでも先ほどの恐怖を思い出し、ヴラドは目を固く瞑った。
「もう大丈夫だ、ヴラド」
お腹の底に響くような低い声はヴラドのお気に入りだった。
声だけじゃない、顔だって、手だって、舌だって。
トゥルクの全てがブラドのお気に入りだ。
「あ、あ、ぼ、僕…」
「城の者から聞いた。泳いでみたかったのか?」
「ち、違くて。ぷ、プールをやってみたかったの」
「はぁ。分かった。次は一緒に試してみよう」
「ん、うん…」
ふーっとため息をつきながらも、自分のことを一番に考えてくれるトゥルクの愛を感じヴラドは安心した。
落ち着いてきた頭で周りを見回すと、先ほどまでワイワイと大声を上げていた子供たちが浮き輪に乗ったまま静かに自分たちを見つめている。
「あ、トゥルク…も、もう行こう」
「そうだな。ここにいても騒動を起こしそうだ」
トゥルクは、バシャバシャと水しぶきを上げ、ヴラドを腕に抱えながら流水プールから出た。
プール内の子供、プールの周りに座っていた大人たちの視線が痛いくらい自分の背中に刺さる。
「人間とは面倒くさい生き物だな」
「ん?何?」
「何でもない。城に戻るぞ」
人気の少ないプールサイドまで歩くと、トゥルクはヴラドを降ろした。
「水のせいで身体が重い」
ブルブルっと頭から尻尾の先までトゥルクが身体を振ると、たくさんの水しぶきが飛ぶ。
「う、うわぁ」
近くに立っていたヴラドは頭から足の先までずぶ濡れになってしまった。
「ああ、すまない」
もう水なんてこりごりだ!なんて文句を言いたかったヴラドだが、自分の額から前髪、頬から首筋をゆっくりと大きな舌で撫でていく愛する人の姿に言葉を失った。
少しだけまだ水気の残る毛並みが、狼男のトゥルクの格好良さを際立てている。
「大丈夫か?」
「う、うん。大丈夫。早くあったかい所に行きたいな」
「すぐに温めてやろう」
そう言うとトゥルクはヴラドを背中に乗せ、森へと走り出した。
Fin.
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