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第1話
*こちらの作品は本編「──だから、なんでそうなんだっ!」のその後のお話となります。
本編を先に読んでいただいてからのほうが、よりお楽しみいただけると思います。
取引先から社に戻って一息ついたあと、君島 が残務処理をしていると電話が鳴った。
終業時間まではあと十分ほど。終業のまでのカウントダウンをつい心の中でしてしまうのは、恋人と久しぶりに取り付けた約束に気もちが逸っているせいなのか。
その恋人は、いま君島の目の前で真面目な表情を崩すことなくパソコンに視線を集中させている。
「筧 さーん! 二番に西東 工業さんからお電話です」
「ああ。ありがとう」
君島の正面のデスクに座る筧賢太郎 がそう返事をして、画面から視線を外すことなく受話器に手を伸ばした。
短めの黒髪にスクエア型の眼鏡、品のいいスーツを堅苦しいくらいキチッと着こなしているこの男は、君島の直属の上司だ。
西東工業は筧が担当している大口の取引先。
取引先としては何の問題もないのだが、社長の西東が筧を特別気に入っている。そのおかげで取引先として対等かつ円滑な関係が築けているという点ではありがたいことなのだが、西東が過去何度か筧に愛娘との見合いを進めてきているのを知っている手前、面倒な用件でなければいいなと思いながら君島は筧と取引先の会話にひっそりと耳を澄ます。
「──ええ、はい。──え、は? 今からですか……!?」
無難に相槌を打って会話を繋げていたと思われる筧の声が急に高くなった。
「……」
嫌な予感がする。
今から、とか何の用だ。しかも終業時間間際のこの時間を狙った電話、仕事以外の面倒ごとの予感しかしない。
君島は誰にも気づかれないよう小さく舌打ちをし、さらに注意深く目の前の筧の様子を窺った。
「──いや、何度もお話はありがたいんですが。え、いや、そうではないんですが……何と言うか」
あーあ。なんか、押されてるし。
君島には先方の用件がなんとなくだが、想像がついた。どちらかといえば、勘は鈍いほうではない。
仕事の用件であるならば、筧がこのような歯切れの悪い返事を返すとは思えない。
相変わらず先方が一方的に話をしているようで、筧は受話器を握りしめたまま「いや…、はぁ、まぁ」とか相槌を打ちながら眉を下げ、明らかに困った顔をしている。
「分かりました。……じゃあ、今夜一度きりということで。七時に」
返事をした筧と目が合った。──が、筧が視線を逸らせたことから、この後、筧と取り付けていた久しぶりの約束が反故になったことを悟ったのだった。
受話器を置いた筧が、大きく溜め息をついた。それからこちらを見て困ったような顔をする。
いつの間にか定時を過ぎ、さっきまでフロアで仕事をしていた大勢の社員たちがいつの間にか半分以下の人数に減っていた。
「君島、悪い──今夜の」
「何すか? 急な接待ですか?」
君島が少し棘を含むように強い口調で言うと、筧が気まずそうな申し訳なさそうな顔で頭を掻いた。
「いや。……まぁ、それに近いっちゃー近いんだが。西東社長にごり押しされてな……」
「例の見合い? 娘紹介するってやつ、受けたんですか?」
「見合いじゃねぇよ。一回会うだけ会ってくれって……だけだ。どうしても、ってあの社長に言われたらさすがに断れないだろ」
「何言ってるんですか。一度会ったら余計断りづらくなるんじゃないすか?」
「や。それは俺も思ったんだけどな──先方のお嬢さんも今夜わざわざ都合つけてくれたらしいしな」
「アンタ、バカだろ」
仮にも自分の上司に向かってこんな失礼極まりない言葉を吐いてしまうのは、この男が君島の上司であると同時に、恋人でもあるからだ。
あの手この手で必死に口説き落とし、なんとか恋人というポジションを確保したあれから一年。
社内の人間には二人の関係は今では周知の事実ではあるが、社外の人間がそれを知るはずもなく。結婚適齢期に差し掛かる仕事のできるいい男が独り者だと知れば、そりゃあ、愛娘の相手にと考える取引先社長の気持ちも分からなくもない──が、そこはどんな嘘を吐こうとも断って欲しかったと思うのは我儘か?
「俺だって、断れるもんなら断りてぇよ。気が進むわけねぇだろ、取引先の社長の愛娘との見合いなんて」
「断りづらいってのは、分からなくはないですけど」
君島自身もサラリーマンの端くれだ。その辺りの複雑かつややこしい事情が分からないほど子供でもない。
──が!! が、しかしだっ!
「別に恋人がいるとか、上手いこと言えば断れたかもしれないじゃないすか」
「──それは」
筧が言葉に詰まった。
結局そういうことか。ほぼ無理矢理に近い形でこの男を口説き落とし、ゲイバレを頑なに拒んでいた筧の隠れ蓑を剥がし、筧がそれを受け入れてくれたことでどうにか社内で公認となった自分たちの関係も、一歩社外に出てしまえば何の意味もなさない。
元々、“普通”に生きていきたいと言っていた筧にとって、ゲイであること自体は認めてはいても、それを公言する気はないということだ。
同じゲイであっても、それを公言する、しない、セクシャリティーに関する向き合い方は人それぞれだ。
君島に筧の生き方を責める権利はない。
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