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【番外編】 ―その後―

テオドールの弟アルフォンスsideです リーンハルトを諦めきれないアルフォンスの思いは……?  §§§ 「ねえ、リーン。テオドール兄さんとぼく、どっちがいい男?」 「……アルフォンスは、いい男に育ったよ。六年間でこんなにも変わるなんて驚いたかな」 「ほんと?! じゃあさ、どうしてリーンハルトは、兄さんしかベッドに呼ばないの? ぼくもリーンと寝たい」  切実な目でそう訴えると、リーンハルトはふふっと楽しそうに笑った。 「添い寝してあげようか? 相変わらずベッドに入ったら五秒で寝ちゃうの?」  そんなわけあるか。誰がそんなガキ臭い真似を望んでいるものか。  アルフォンスは今年で十六歳。  リーンハルトより二歳年下だが、日々剣技や帝王学を学び、兄と匹敵するくらいにまで育った。じゅうぶん頼れる男になったはず。  だがリーンハルトのエメラルドみたいな目には、いまだアルフォンスが十歳の子供に映っているのだろうか。  その証拠にいくら性的な話を振っても、リーンハルトはまったく乗ってこない。  どうやってリーンハルトの目をアルフォンスに向けさせるか。ここが思案のしどころだ。  アルフォンスは今、リーンハルトと一緒にランチを楽しんでいる。  激務の兄から「リーンがちゃんと食事をしているか見てきてくれないか。しかし長居はするな」と命じられたが、額面どおりに行動するわけがない。  ちゃっかりふたり分の食事をトレイに載せて、リーンハルトを閉じ込めている魔の部屋へと赴く。  淫猥なおもちゃや遊具が溢れる室内。  リーンが発情でもすれば、速攻慰めてやろうなんて画策してみるが、どうにもこうにもそんな雰囲気になりそうもない。  かみ合っているような、いないような、よくわからないトークをしながら、スープやパンをふたりで食べている。  リーンハルトが前屈みになったとき、金糸のような髪がさらりと落ちて首筋にうっすらとした歯形を見つけた。  アルフォンスの逞しい胸がギュッと痛くなってしまう。  兄がつけた「運命の番い」である証拠が、リーンハルトの白く滑らかなうなじにしっかりとある。  アルフォンスだって、リーンハルトが兄のものであることは重々承知している。  運命の番つがいとなった以上、ふたりの間に入り込めないことだって理解している。  だが六年間の思いは、そうそう簡単に諦められるものではない。  アルフォンスは、すっかり初恋をこじらせていた。 「ぼくは十二歳でアルファの目覚めを迎えたんだ」  兄より優れているところを並べ立て、リーンハルトの気を引こうと頑張ってみる。  諦めが悪いと言われようが、アルフォンスだってリーンハルトを心から愛しているのだ。 「十二歳? 早いね」  リーンハルトが驚く顔をしたから、これ幸いとばかりアルフォンスは自分の利点を並べててみる。 「そう。兄さんは十六歳だから遅いほうだよ。こればっかりは早い遅い関係ないけど、やっぱり早く目覚めを迎えるほうが何かと有利かな。兄さんより、ぼくのほうが握力はあるみたい。重い荷物とかあったら言ってね。運んであげるから」 「そのときは頼むね。天使みたいに可愛かったアルフォンスが、こんなに逞しくなるなんて驚きだよ」  リーンハルトがクスクスと笑うから、アルフォンスも嬉しくなってしまう。  アルファの目覚めは、身体的に現れる。  男性の場合は、陰茎の根本に亀頭球と呼ばれる、勃起すると大きく膨れる部位が現れる。  女性の場合は、本来内側に隠れている女陰が飛び出し、男の陰茎のように勃起するのである。  アルフォンスとテオドールの兄弟は、幼少の頃からアルファだと言われていた。  飄々とした兄は、アルファの目覚めに対しそれほど焦ってはいなかった。  いつか来るべきときが来たら、アルファとなるだろう。そんな程度しか考えていなかったと思う。  その兄がアルファの目覚めを迎えたのは、ヴェンデル王国から帰国してすぐだった。  おそらくリーンハルトへの焦がれるような思いが、兄をアルファへと促進したのだろう。  早く立派なアルファとなり、リーンハルトを奪いたい。その気力が兄を大人の男にした。  それはアルフォンスも同じだった。  兄の変化を目のあたりにして、自分も置いていかれまいという気持ちが先行した。  そして十二歳のときアルファとして目覚めたのだ。  それなのに、あんなムッツリスケベの兄に、大事なリーンハルトをあっさり奪われるとは。  悔しい。実に悔しい。  少しばかり横やりを入れたって罰は当たらないだろう。 「リーンが自分のことオメガとわかったのは、半年くらい前だよね?」 「うん、そう。よく知っているね」  兄とアルフォンスは、ここ数年、ウェンデル王家の動向を探っていた。  いつか下克上してやる。王家転覆してやる。  ……リーンハルトを魔の巣窟から助け出してやる。それだけを心に誓い、斥候を放っていたのだ。  だからリーンハルトがオメガと判明し、下劣な悪徳宰相に下げ渡されたと報告が入ってすぐに動くことができた。  あんな変態野郎に美しいリーンハルトを穢されなくて、本当によかった。 「ねえ、リーン。オメガになったきっかけってあるものなの? 言いたくなければ言わなくてもいいよ」 「きっかけ……」  リーンハルトは首を傾げて、過去を回顧するように目線を右上に上げた。 「うーん……ある日突然かなあ……夢を見たような気がする」 「夢? どんな?」 「テオと一緒に湖に行った夢。昔、一緒に行こうねって約束したのに、行けなかったからかもね。ランチボックスを持って、湖のほとりで一緒に焼き菓子やオープンサンドを食べるんだ。アルフォンスも近くにいてね。三人で仲良く……」  それを聞いて途端に鼻白んでしまう。  兄のことを思ってオメガとして覚醒してしまったわけか。  結局のところアルフォンスは、リーンハルトの視界に入っていなかったのだと知る。  ……いや、ちらっと端っこにいるようだが、所詮はその程度の扱いなのだ。  こうなったら作戦を代えよう。  無害な男のふりをして、とりあえずは接近戦に持ち込むというものだ。 「ごちそうさま。アルフォンスと一緒に食事するの楽しかったよ。食べきれないパンはアルフォンスが食べてくれる?」  リーンハルトは小食だ。アルフォンスがリーンハルトの食べ残したパンを全部平らげてしまった頃、リーンハルトが眠そうにあくびをした。 「腹が膨れたら眠くなったね。添い寝してくれるんでしょう?」  愛嬌のある顔でにっこり笑うと、リーンハルトが照れくさそうな面持ちを浮かべる。 「アルフォンスってば、身体は大きいのに子どもみたいなんだから」  そうしてアルフォンスは、あどけなさを装ってこんなことを言うのだ。 「うん、そう。リーンと一緒に寝たらぐっすり寝られそう」  つまりは、ヴェンデル国王の秘密の遊び場と言われている淫猥な部屋で、アルフォンスは食事をしながらリーンハルトを口説きまくっているというわけである。  ヴェンデル王国を陥落させたはいいが、正直事後処理が多すぎてついていけない。  兄とアルフォンスは、朝から晩まで走り回っている。  特に兄は食事どころか寝る暇すら惜しみ、ヴェンデル王国再興に尽力を注いでいた。  いつなんどき、逃亡中の王族を担ぎ上げた、反政府軍打倒の旧王制派が牙を向かないとも限らない。  クーデター軍の旗印であるリーンハルトを暗殺されたりしたら、大義名分を失うと考えている兄は、この秘密の部屋に隠してしまった。  ……というのは表向きで、結局は自分が囲い込みたくて監禁しているようなものだ。  兄が六年間貯め込んだ粘着質でしつこそうな恋心は、ちょっとやそっとじゃおさまらないとみえる。  きっとベッドの中でも、ねちっこい性格そのままで、執拗にリーンハルトを苛んでいるに違いない。  本当に、そんな兄のどこがいいんだか。アルフォンスは、それをそのまま訊いてみた。  リーンハルトは頬を薄紅色に染めて、照れたように小さく答える。 「えっ……と、それは簡単に説明できないな。でもこれだけは言えるよ。テオの高潔な魂というか……自分に厳しいところ、ストイックなところに惹かれてしまうんだと思う。私にはない心の強さだから」  何が高潔だ。何がストイックだ。  リーンハルトは騙されている。あの兄がそんなタマか。  六年前、ヴェンデル公国に人質として暮らした半年間で、兄とアルフォンスは打倒ヴェンデルを決意した。  近隣諸国と水面下で反ヴェンデル同盟を秘密裏に結成したが、あと二年は時間を要すると思われていた。  だが兄は、今このタイミングで決行した。  つまりはリーンハルトを自分のものにするために動いたということになる。  欲望垂れ流しではないか。  そのとき扉がガチャリと開き、兄が現れた。  兄のテオドールはアルフォンスより六歳上で、黒い髪に黒い目。華やかな印象を持つアルフォンスと違い、厳格で堅実なイメージを持つ屈強な男だ。  そして、圧倒的な覇者としての器を持っている。  その兄が大股で、アルフォンスとリーンハルトが食事をしているテーブルに向かって近づいてきた。 「何をしている。アルフォンス」 「何って。兄さんの頼みどおり、リーンの様子を伺っているのさ。ついでに一緒にランチもしたけど」 「ランチは余計だ。まったく油断も隙もない。おまえはリーンがちゃんと食事をしているかどうか確認すればいいだけだ」  最上級のシルクを月の光で染め上げたような金髪がさらりと揺れ、職人が丁寧に磨き上げたみたいなエメラルドの目が揺らいだ。  リーンハルトが立ち上がると、テオドールの傍らに近づく。 「テオ。私はここでひとり退屈でした。アルフォンスのおかげで気を紛らわしています。どうかそんなに大声を出さないでください」  リーンハルトが訴えると、兄の顔が途端に緩む。 「しかしアルフォンスは……」 「アルフォンスは優しくていい子です。私を心配してくれたんです」  アルフォンスはリーンハルトの死角で、テオドールに見えるようにニヤリと笑う。 「いい子」という言い方が少々気になるが、兄を出し抜くには無害を装うのもひとつの手だ。 「アルフォンスに騙されるな。こいつはそんなタマじゃ……」 「テオ。私はいつまでここにいればいいのですか?」  リーンハルトの問いに、兄が困った顔で頭をかく。 「もうしばらく我慢してほしい」  兄の言葉にリーンハルトが首を振る。 「私がここにいても、何も事態は変わりません。できれば国民の前に出て、復興の約束をしたいのです。みな不安になっているでしょうから」 「反王政派を一掃するまで待ってくれ。あなたの身を危険にさらしたくない」 「いいえ。一掃なんて現実として無理です。反王政派は知らぬ間に生み出されるものですから。私は逃げたくありません。お願いです、テオ。私を臆病者にしないでください」 「リーン……」  もうしばらく、ここでリーンハルトと蜜夜を過ごしたいと目論んでいたであろう兄が、困った顔をする。  アルフォンスは、心中でほくそ笑む。あの兄がリーンハルトには頭が上がらないなんてね。  六年前、ヴェンデル国王と王妃に心身ともに痛めつけられたとき、周囲の者は誰ひとりとして助けてくれなかった。  だが第四王子のリーンハルトだけが気にかけてくれた。彼は、アルフォンスと兄の心の支えだった。  しかし兄の思いはもっと深い。  ヴェンデル王家の腐れ王子どもが兄を暗殺するために仕込んだ毒料理を、リーンハルトが犠牲となって口にしたときから、それは確固とした恋情となった。  悔しいが相思相愛というものだろう。アルフォンスがいくら横恋慕しても、リーンハルトは見向きもしてくれないのだから。 「あなたの意志を尊重しよう。明日から一緒に政務室に顔を出してくれ」 「ありがとうございます。テオ」  兄がわざとらしく咳払いする。 「あーだが……できればおれの妻というか、その未来の王妃として……リーンを女扱いするつもりはない。しかしおれの番として一生を共にするわけだから、できれば、その……」 「嬉しい。私をあなたの伴侶として、みなに紹介してくださるのですね。光栄です」 「リーン……」  いつも威風堂々としている兄がタジタジだ。馬鹿らしい光景だな。勝手にやってくれ。  アルフォンスは椅子から立ち上がると、厚みのある広い肩を竦めた。 「兄さん。ぼくは食べ終わったから、先に執務室に戻っているよ」 「ああ。次の軍議は三時だからそれまでに行く」  ちょっと時間が空いたから、自らリーンハルトの様子を見にきたというわけか。  ふたりの仲睦まじい姿を見るのが辛い。アルフォンスは早足で秘密の部屋を後にする。  謁見室を出てウェンデル王城の廊下を闊歩すると、再び活気が戻ってきているのが見てとれた。  兄の信頼おける配下の手配により、身元のしっかりした使用人を雇い、軍議や執務が滞ることなく進むようひとを多数配置している。  もちろんその中にオメガも多数存在した。  可愛い女の子のメイドがステンドガラスを掃除する手を止めてアルフォンスに見とれているし、美形の執事見習いの男が恭しく頭を下げるとき頬を染めていた。 「まあ、いっか。ぼくはぼくで楽しもうっと。いつだって兄さんよりモテることだし」  ハンサムだが強面でお堅いテオドールより、真夏の太陽のように明るく爽快なアルフォンスのほうが、実のところよくモテた。  しかし本命だけは手に入らない。そのことだけが口惜しい。  足を止めて振り向くと、廊下の奥に目線を送る。実際はその扉の向こうの謁見室にだ。  きっとふたりは、今頃愛を確かめあっていることだろう。 「……ぼくにも運命の相手が現れないかな。リーンみたいな思いやりのある優しいひとがいいな」  アルフォンスはそう呟くと、再び廊下を大股で歩いて行った。  残されたのは、太陽がステンドグラスを透過したときに現れる、七色のきらめく虹の光だけだった。

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