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第1話
「紅花 …紅花 !!」
控え室のドレッサーの前でぼんやりとしていた和久 は、はっとして顔を上げた。
紅花 …まだ呼ばれ慣れていないその名が、ここでは自分を指す事を思い出す。
和久は慌てて返事をした。
「は、はい!」
目の前には綿麻の黒いチャイナスーツに身を包んだ細身の男が立っていて、骨張った顔に訝しげな表情を浮かべてこちらを見下ろしている。
眼窩 の落ち窪んだ金壺眼でジロリと見られて、和久はゴクリと唾を飲んだ。
「初日からボ〜ッとしてたら困るよ!もうすぐお客さん来るんだから!」
中国語独特の早口で捲し立てられて、何とかヒアリングできた和久は少しホッとする。
愛想笑いを浮かべると、男と同じ中国語で返答した。
「はい、支配人 」
男が立ち去るのを確認した和久は、それまで貼り付けていた作り笑いを消すと深く溜め息を吐いた。
ちらりと横を見ると、姿見に映った自分のあられもない姿が目に飛び込んでくる。
ここに来てすぐさっきの男に着るよう命じられた衣装を着ているのだが、その姿は何度見てもぎょっとするような格好だった。
和久が着せられているのはチャイナ服だ。
煌びやかな刺繍が施されたゴールドのチャイナ服。
しかしそれは男性用ではなく、女性が着るような身体にぴったりとしたボディコンシャスなワンピース、所謂チャイナドレスというものだった。
和久が戸惑っているのはそれが女性用である事だけではなかった。
とにかく露出度が凄まじく高いからだ。
胸元はなぜか三角形に布がくり抜かれ大きく開いているし、裾には深いスリットが入っている。
しかも両側に、だ。
いや、これはもうスリットとは呼ばないのではないだろうか?
ウエストまで入ったスリットのおかげで、ドレスはもはやエプロンのようになっていて和久の足をほぼ剥き出しにしている。
これを着ているのがもっと豊満で魅力的な女性だったら、世の中の男の大半をその気にさせることができるだろう。
しかし櫻井和久 はれっきとした男であり、またそんな趣味があるわけではなかった。
好きでこんな格好をしているわけじゃない!断じて!!
姿見に映った和久は一人鼻息を荒くすると、心の中で力強く叫ぶ。
控え室には和久と同じような露出度の高いチャイナドレスに身を包んだ数人の男が中国語で談笑を交わしている。
和久とは違い、彼らはこの状況にすっかり馴染んでいる様子だ。
和久がなぜこんな場所に居て、紅花 という名で呼ばれ、しかもこんな女装 までする羽目になったのか。
それは数日前に遡る。
和久は警察官だ。
と、言ってもテレビドラマで華やかにピックアップされる刑事課や組織犯罪対策課なんかではない。
所属しているのは交通部の総務課。
仕事内容は、各所で行われる交通安全教育や安全運転管理者講習、広報活動が中心だ。
和久はそこで交通標識などの施設工事の積算業務を担当している。
同じ交通部でも身体を張ることは滅多にない。
所謂デスクワークが業務なのだ。
直接犯罪や犯行現場に関わらない警察官なんて警察官じゃない。
地味すぎる。
警察官に対して華やかなイメージを持っている周囲には何度もからかわれたりした。
だからといって和久は刺激なんてものは特に求めてはいなかった。
それなりにやり甲斐も感じていたし、自分にはこれくらいが丁度いいと思っていたのだ。
しかしそんな和久の平穏な日々は、その日の上司の呼び出しによって一変してしまったのである。
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