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chapter1
文武両道。
その言葉は俺の兄のためにある言葉だ。
陸上短距離のスポーツ推薦で大学に入学できたのに、それを断って自分の力で地元の陸上部の強豪大学へ進学。そして入学後は陸上部のエースで一年の頃から全国制覇している怪物だ。一躍大学や地元のヒーロー扱い。
もちろん、単位だって一つも落としていないスーパーマン。
俺はというと、中学の頃こそ兄の背を追いかけるように陸上部へ入部したが、どんどん兄と比較され、それになじめずすぐに退部して今は近所のボクシングジムに通っている。
器用貧乏、とは誰に言われた言葉だったか。
俺は俺で、兄貴は兄貴だ。
違うのは、当たり前の事なのにいつだって兄貴と比較される。
ジムから帰ると、兄貴の自転車が停まっていた。兄貴が俺より早く帰ってきているなんて珍しい。
「あ、お帰り」
「何で、居んだよ」
兄貴の所属する陸上部は地方の大学の癖に強豪校で、練習が厳しい。いつも帰りは俺より遅いことが多いのに、今日は俺より早い帰りだ。
「ああ、今日は早めに帰してもらったんだ」
「……なんで」
「今日、母さんたち旅行だろ? お前、料理はおろか家事、なんもできないじゃん」
そう言いながら兄貴はダイニングテーブルに、たった今作り終えたのであろう料理を並べていく。
母親がいつも、兄貴のためにと使っている健康食品会社が出しているらしい雑穀米。サバの塩焼き。みそ汁、卵焼き。レタスときゅうり、トマトのサラダ。
はいはい、料理までもカンペキってか。
カンペキな兄貴に腹が立つ。
「ほら、食べよう。いただきます」
「……いただきます」
兄貴の作った食事を食べる。俺の好きな和食の献立は、普通に美味かった。
兄貴が台所で食器を洗う音が聞こえるなか、俺はリビングのソファーに座ってテレビを見ている。
兄貴は優しくて、かっこよくて、スポーツもできて、人気者で。俺なんかとは違う、本当にカンペキな兄貴だ。
「俺、ロード行ってくるから」
家にふたりきりという状況が気まずくて、兄貴にそれだけ伝えると、走る準備をはじめる。
「オーバーワークなんじゃないか? それにもう遅い。朝でもいいんじゃないのか?」
「鍵持って行くし、俺ももう、ガキじゃねえし」
「……そっか。気をつけてな」
台所からひょこっと顔を出して、ジャージに着替える俺に声をかけてくれた。
どんなに俺が兄貴に冷たく当たっても、兄貴はいつも、俺に優しい。
いつから、俺は兄貴に素直になれなくなったんだろう。
こんなに大好きなのに。
でも兄貴だって、俺のことをいつからだったか、お前と呼んで壁を作っている。
「いってきます」
口の中で呟くように言った言葉は、兄貴には届いていない。
街灯に沿って走る、いつもの夜のロードワークコース。
ボクシングをしている間や、こうやってロードワークをしている間は何も考えなくていいから好きだ。
帰るころには、早寝早起きの兄貴は寝ているころだろう。
秋口の夜は冷えるが、走り終えたころには汗だくだ。
家に帰ると玄関とダイニング以外の部屋の電気は消えていた。
ダイニングテーブルに紙と水が置いてある。紙には兄貴の少しだけ汚い字で「お疲れさま。ちゃんと水飲めよ」と書かれていた。
字だけは、昔から俺の方が上手だったことをふと思い出す。
風呂に入ってテレビをつける。学校で人気のお笑い番組。
いつも楽しく見ているのに、今この家には俺と兄貴しかいない。そう考えると、なにも頭に入ってこなかった。
「くそっ」
テレビを消して2階の自分の部屋へ向かう。
俺の部屋は兄貴の部屋の隣だ。
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