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第20話

 深夜零時。空には満天の星空が広がり、秋の星座を瞬かせている。  俺達以外に誰もいない、静まり返った真夜中の宮若神社。  コオロギを捕まえようとして草むらにしゃがんだ夜霧の背中へ声をかける。 「頭首様、もう大人なんだからそんな真似はなさらないように」  振り返った夜霧が月明かりの下で照れ臭そうにはにかみ、俺の方へ戻って来た。その姿は二か月前よりもずっと大きく、男らしく、頼もしい。  俺も彼と同じように少しは成長できただろうか。 「こっちに来い、朱月」  夜霧に手招きされて拝殿の方へ行き、二人で並んで二礼する。それから軽く手を二回叩き、俺は心の中で強く願った。 「……静かだな」  眼下に広がる夜の村。ベンチに座ってそれを眺める夜霧と俺の前髪を撫でて行くのは、心地好い九月の夜風だ。今では村の街灯も増え、この季節、この時間でも以前よりはだいぶ明るい。 「初めてここに来た時に買った紫狼様のお守り、まだ持ってるんだ」  俺はポケットから取り出したお守り袋を夜霧に見せた。あの時は夜霧から守ってもらいたい一心で買ったのに、今では俺の大切な宝物になっている。 「……これは、恋愛成就のお守りだな。女子供が買う物だ」 「そ、そうなの? 全然知らなかった」  夜霧には呆れた顔をされたけど別に構わなかった。お守りの効果かどうかは分からないが、結果的に俺の恋愛は成就したようなものなのだ。 「朱月。さっき、紫狼様に何を願った?」  ふいに唇が寄せられて、俺は素直に顔を上げた。 「秘密。夜霧は?」 「俺はいつも通り、この村の平和と矢代家の未来を願った」  鼻先をくっつけ合いながら少しだけ笑う。 「本当のところで願っていることは、どうせお前と一緒だろうがな」 「どうかな。夜霧が思ってるほど、今の俺は素直じゃないかもよ」 「お前、村長選の時はわざと俺の邪魔をしていたな。拡声器の電池を抜いたり、スピーカーに細工をしたり……」 「だ、だって当選が決まってるなら、少しくらい仕返しのつもりで悪戯しても許されると思って……。後で謝ったら、梅吉爺ちゃんも笑って許してくれたし」 「あと、決起集会で小火騒ぎも起こしたな」 「あっ、あれは皆のために、夕飯でも作ろうと……お凛ちゃん達の手伝いを……」  夕凪に摘み出されたことも、お凛ちゃんの苦笑いも斗箴のお小言も、全て昨日のことのように覚えている。  それだけじゃない。嵐雪の涙や春雷の笑顔も。梅吉爺ちゃんの謝罪も、笹上町の皆、そして丑が原村の皆の温かい歓声も。  それから。  儀式当日の晴やかな空の色や厳かな空気も、夜霧が見せた凛々しい横顔も。  親父と対峙したあの夜。  夜霧が俺を抱きしめて、よく頑張ったと褒めてくれたことも――。 「……夜霧。頭首になったこと、後悔してない?」 「していない。失った物が多い代わりに、得た物も多いからな」 「結局、夜霧は何の教師になりたかったの? 天体望遠鏡なんて持ってたくらいだから、やっぱり理科の先生とか?」 「だ、誰に聞いた、そんなこと」  目を細めてニヤつく俺を見て、夜霧が観念したように溜息をつく。 「科目は何でも良かった。小学校程度の授業なら全て自信があるからな」 「……その夢も、いつかは実現できるんじゃないかな。立派な学校建てて、村の子供達集めてさ。考えただけでわくわくするよ」 「教師が俺一人では対応できないだろう……」 「こう見えても俺、勉強は得意だったから期待していいよ」  どうだか、というように夜霧が肩を竦めて笑う。 「……頭首の仕事はよく分からないけど、そっちの仕事なら俺も夜霧を手伝えるかな」 「なんだ、そんなことを考えていたのか?」 「だって俺も、少しは夜霧の役に立ちたい……」 「ある意味ではこれから、お前が一番忙しくなるのだがな」  そう言って夜霧が俺のジャケットの中へ手を滑らせてきた。唇は既に深く重なり合っている。火照った頬が冷たい風に撫でられて、気持ち良い。 「……神社でこんな真似してたら、紫狼様に怒られるよ」 「その紫狼様を作ったのは俺の先祖だ」 「………」  だったらもう、隠していたって無駄なのかもしれない。いつだって夜霧には強力な守り神が憑いている。 「……やっぱりさっき俺が願ったこと、教えてあげようか」  俺に触れていた唇を離した夜霧が、眉を吊り上げて不敵に笑った。 「言ってみろ。どうせ俺にしか叶えられないことなんだろう」  俺は夜霧の目をじっと見つめながら、囁くように打ち明けた。 「これからも、……」  夜霧の腕が背中に回される。 「……俺達」  風が吹き、俺は夜霧の胸に顔を埋めた。 「朱月――」  夜霧の囁きと風の音に混じって、遥か頭上から紫狼様の咆哮が聞こえた気がした。 「既に決まっていることだ」  俺は夜霧に抱きしめられたまま、世界で一番愛しい彼とその背後にいる神様に心からの笑顔を捧げた。 「……うん!」  丑が原村の平和な夜は今日も静かに更けてゆく。  やがて迎える暁の刻を、その腕に強く抱きしめて――。  終

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