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神父見習いと盗賊①
もくもくと立ち込めるけむりを、僕は無様な格好で地面に転がりながら眺めていた。
転んだときに落とした『北地に生息する薬草全書』の上質な紙がぐしゃぐしゃになってしまっているが、気にしている場合ではない。
バサバサと、大量の本が落ちる音が響き渡る。
けほけほと咳き込む声が聞こえたかと思うと、その本の山からにゅっと健康的な小麦色の腕が伸びてきた。
薄汚れたその腕はバタバタと動いている。
なんともシュールなその光景に、僕はあいた口がふさがらないまま、ただ見つめていることしかできなかった。
やがて、本の山の中から、「ううう…」と苦しげな声が聞こえてきたので、僕ははっとして、慌ててその腕を掴んだ。
手に伝わる暖かな感触に、「あ、これ現実なんだな」と今さら納得する。
「うぇ…ほこりが口ん中入った」
ブツブツとそんなことを言いながら山の中から這い出てきたのは、小麦色の肌に黒い髪をした少年だった。
格好からして、教団の人間ではない。
ここで、普通なら「君は何者だ」「何をしているんだ」「どうやって入った?」と聞くところだろう。
でも、僕が彼にはなったのは、違う言葉だった。
「君…その頬、どうしたの?」
「…はあ?」
怪訝な顔で僕を見つめる少年の頬に、思わず手を伸ばしてしまう。
だって…彼の左頬には、赤くただれたやけどの跡があったのだから。
「このやけど…最近のものじゃないね? でもちゃんと治療しなかったから、ひどい跡になってる…ちょっと見せて…痛っ!」
伸ばした手を掴まれ、ひねりあげられた。
少年とは思えないすごい力だ。
ってか、容赦ない。
「痛い痛い! ちょっとやめて!」
慌てて振りほどこうとするが、びくともしない。
「お前、ここの教団の人間か」
「そそそそうだけど! 放してって! 腕がもげる!」
僕の悲鳴があまりにもうるさかったからか、少年が腕を捻りあげる力を弱めてくれた。
まだ拘束はされているけど。
「ちょうどいい。お前、その服からして教団の人間だろ。書庫の場所まで案内しろ」
「書庫? 教団の? 案内も何も…」
「断ったらこの腕を折るぜ?」
ギギッと、腕を掴む力が強くなった。
「やめてって! 案内も何も、ここだから! ここが書庫だから!」
痛みのあまり半ば叫びながらそう告げると、少年の動きがピタリと止まった。
「…ここ?」
「ああそうだよ! 君が教会の窓をぶち抜いて落っこちてきたここが書庫だよ! おかげで貴重な書物がめちゃくちゃだ!」
そう。
僕が教団の書庫で本を読んでいるところへ、突然この少年が降ってきたのだ。
ズドカン! という効果音がぴったりなほどに見事に落っこちてきた彼のせいで、書庫の美しいステンドグラスは粉々に砕け、何もなくなった窓からは美しいべローザの青空がのぞいている。
ああ、いい天気だなぁ。
やっぱり、今日は中庭に行って読書をしていればよかった。
人がいないって理由で、書庫に来たばっかりに、こんな目に…。
ここの後片付けをするのも僕なんだろうな…。
何日かかるんだろ、これ。
半ば現実逃避をしていると、気づけば少年の顔がどアップになっていた。
「う、うわぁ! 近! なんだよ! …ていうか、あ、あれ?」
なぜか、体が動かない。
「悪いがしばらく大人しくしていてもらうぜ?」
そう言って笑う少年の手には、どこから出したのか細身のロープが握られていた。
「ま、まさか、それで僕を縛る気!?」
「いや、もう縛ってる」
「え! あれ!?」
いつの間にやったのか、僕の両腕は後ろ手に縛られ、書庫の柱にくくりつけられていた。
「ななな、なんて手際のいい!」
「お前、驚くほどのどんくささだな。俺が縛っている間一切抵抗もせずに」
「くっ…! 君がそんな悪い人間だったなんて!」
「窓から落ちてきた人間を”悪くない人”って思い込んでる方がおかしいだろ」
哀れみの目を僕に向ける少年は、窓を突き破るほど勢いよく落ちてきたというのに、大きな怪我はどこにも見当たらなかった。
「さて、怪我したくなければそこで大人しくしてな」
そういうと、少年は僕に背を向けて半壊した本棚の方へと向かっていった。
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