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第2話

実の所、月次郎に描きたいものは、特に無かった。 絵が好きなだけで絵師になりたい訳でもなく、単に両親に連れられて来て流れで弟子になったようなものだった。 それでも豊師匠に手ほどきを受け、数年が経つ頃には正吾と一緒に師匠に近い弟子となっていた。 それでも胸にぽかんと穴が開いたように、どこかしら虚しさがあった。 そんな中、彼が唯一描いてみたいと感じたのは人間の「愚かさ」と「儚い美しさ」だ。 いつの間にか歌舞伎の演目で出てくる残酷なシーンを事細かに描くようになっていた。 繊細なタッチでありながら、目を背けたくなるような血塗れの絵は兄弟子たちも唸った。 野晒しとなっていた髑髏を丁寧に写生していたのを目撃されたこともあった。 さらにその憂いに拍車を掛けたのは月次郎の風貌にあった。 髪を長く伸ばし、紐で一つに括っていた月次郎は背が高く痩せ型であった。 病弱なせいか何時も顔色が悪く、普通にしていても大丈夫かと聞かれる始末。 まだ彼には大きな特徴があった。 少しだけ左右の瞳の色が異なっている。 右側は漆黒の瞳。左側は栗のような茶褐色。 左側は見えづらいと言う。 まるで役者のような端正な顔立ちであったが、年頃になっても色めいた話はなかった。 憂いを含む月次郎に対して、正吾は憂いとは無関係の見るからに活発な風貌だ。 短髪に少し日焼けした肌。 健康的な身体は月次郎と正反対だ。 「お前、吉原行ったことないって本当かよ」 正吾が隣を歩く月次郎に唐突に聞いた。 「ないですよ。吉原、面白いですか」 「…お前、人生の半分損してんぞ!絵師に生まれたからには女の身体をだなあ…」 「ヨシさんにも言われましたよ」 町娘からたまに視線を感じるくらいの月次郎だが本人は女性というものに興味がなかった。 否、女性というよりも「営み」に興味がない。 ヒトを生み出す前の行為がどうしても好きになれなかった。 己の分身など吐き気がする。 「どうせ出合茶屋にも行ったことないんだろ」 ※出合茶屋…当時のラブホテル 絵師は遊び人と相場が決まってらあ、と正吾が笑いながら先を歩く。 正吾は吉原通いをしているのだろうか。 「正吾兄さんは行ったことあるんですか」 「じゃなけりゃ、女は描けねえよ」 「ふうん…」 「そういえば師匠が春画を近々やるらしいぜ」 「別名で出してる本を?また出すんですか…」 「そんでよお、体位の形を写生してえからってお声がかかったんだけど一緒にやんねえか?オメエ、このままだと本気で女、描けれねえぜ」 浮世絵師が女体を描けねえなんてありえねえよ、と正吾が呟く。 師匠だけでなく、他の絵師でも別名を語って春画を販売している。 その写生のために弟子たちがモデルになることも多々あったのだ。 「営み」の真似事。 ヒトを生み出すことのない「営み」 それなら師匠のためにやってもいいだろう。

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